パネルディスカッション 第15回読売・大学広報懇話会(下)

第二部で対談するパネリストたち(7月24日、東京都千代田区で)=米田育広撮影

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英語教育、民間試験をめぐって意見交換


――第1部に引き続き、英語と大学教育をテーマにパネルディスカッションを進めたいと思います。第1部では、苅谷先生とアリソン・ビールさんから非常に興味深い問題提起がありました。それも踏まえて、建設的なアーギュメントになるように努めていきたいと思います。まずは立教大学副学長の池田伸子先生に、立教大学の英語教育について、お話しいただければと思います。

(コーディネーターは古沢由紀子・読売新聞東京本社論説委員)

 

池田 立教大学は英学とキリスト教、聖書を学ぶ私塾としてスタートしましたので、開学当時から英語教育には非常に力を入れてまいりました。そうした中、一つの大きな転換点になったのが、全学共通カリキュラムの導入で、1997年のことでした。当時、5学部(現在10学部)だったのですが、どの学部に入ったとしても、共通のカリキュラム、共通のシラバスで、統一された、クオリティの揃った授業を同じように学生に提供するという考え方から始めました。と同時に、それまでの読んで訳すという形ではなくて、コミュニケーションを重視した英語教育を積極的に取り入れました。近年では、第1部でアーギュメントのお話がありましたが、立教大学でも、きちんと英語を使って、議論する、相手とメッセージのやりとりができる、ということを目指して、1クラス8人程度で英語でのディスカッションのスキルを身につけるための授業を展開しております。さらに、これからは、さらにそれを一歩進めた形として、違う意見を持った相手と、どのように英語でやりとりをし、どう着地点を見つけていくのか、というようなことを英語の授業の中でも取り入れていこうと、今、取り組みを始めています。

 

 

池田伸子 立教大学副総長(国際化推進担当)

国際基督教大学教養学部卒業。同大学大学院教育学研究科視聴覚教育専攻博士課程後期課程中退。博士(教育学)。九州大学留学センター助教授を経て、2004年、立教大学経済学部教授。08年、異文化コミュニケーション学部教授。12~18年、同学部長。18年から現職。

 

――文部科学省大学改革官の佐藤邦明さんは、文科省でスーパーグローバル大学の施策に携われたほか、秋田県職員時代に国際教養大学の立ち上げに関わられるなど、多様な経験をお持ちの方です。そのような経歴を踏まえて、今の大学の英語教育の現状をどうみていらっしゃるかをお話いただけたらと思います。

 

佐藤 大学の英語教育については、たぶんピラミッド型の構造になるのかなと思っています。大学が、というわけではなくて、英語学習者の各層がピラミッドになるという意味なのですが、全国に780余りある大学の中には、国際教養大学とか国際基督教大学(ICU)のような英語教育に特化した大学がある一方で、英語教育にはあまり力を入れていない大学もあります。すべての大学に同じレベルの英語力を求めるのというのは、たぶん間違っていて、それぞれの大学に建学の理念があり、そこで描かれる人物像に合わせて英語教育を行なうべきだと思っています。ピラミッドの底辺が数として一番多くて、求める英語のスキル、コンピテンシー(能力、適性)が高ければ高いほど、三角形の上の方にいく。それを学生にどこまで身に付けさせたいのかを大学側が明確に意識して、それを社会に対して発信していく、また、実際に学生がそこに到達したのかどうかを検証できるようにしていくことが不可欠だと思います。

 スーパーグローバル大学については、これは体質改善事業なのですね。大学の体質を改善してもらうための事業。大学を改革していこうとすると、どうしても出島的な取り組みになってしまう部分が多くて、ある一部局とか、一セクションだけがやっていて、それが大学全体に広がっていかないという反省があって、それをどう変えるかを考えた時に、大学の小さな制度一つ一つ、教務制度であったり、人事制度であったり、いろんなものを変えていくことが必要だと考えて、スーパーグローバル大学創成事業というものを考えたのです。

 採択された37大学の学生数、教職員数を合わせると約63万人で、日本の大学のちょうど20%ぐらいです。社会を変えていく、クリティカルマス(限界的普及率)と言われる割合には達しているのかなと思っていて、10年の事業でまだ半分過ぎていませんが、これらの大学がけん引役として、日本の大学界全体が引っ張っていってくれるものと期待しているところです。

 

 

佐藤邦明 文部科学省高等教育局 視学官・大学改革官

米国ミネソタ州立大学卒、東京大学教育学研究科博士前期課程修了。秋田県庁在職中、国際教養大学の設置準備・運営に従事。文部科学省に転籍後、高等教育局国際企画専門官として、スーパーグローバル大学やグローバル人材育成、ジョイントディグリー等大学の国際化推進施策を担当。2018年から現職。

 

読解力、文法も大切に


――続いて、杉山剛士先生にお願いします。現在、埼玉県立久喜高校教頭であると同時に、拠点校参与というお立場で多数の県立高校を回られ、助言等をされています。この春まで、県立浦和高校の校長を務め、全国高校長協会で高大接続推進に関わってこられました。

 

杉山 高校の英語教育の現場では今、4技能のうち、スピーキングとライティングの能力に課題があるということで、コミュニケーション能力の育成に重点を置いた、コミニカティブな英語に力点を置こうという動きがございます。一方で、そもそも日本人は、英語が母国語ではないので発話機会が少なく、話せないことは仕方ない。専門的なレベルのコミュニケーションを図るには、むしろ基本的な論理的な思考、それはアーギュメントの力も含むのですが、そういった力が必要なのではないかという議論もあります。私個人としては、流行に乗って英会話をやるというのではなく、日本の英語教育で培われてきた読解力とか、細かい文法知識も含めた文法力は侮れない、軽視してはならないと思っています。

 そう思う背景として、浦和高校の生徒の留学経験がございます。浦和高校の生徒たちは、毎年イギリスの姉妹校であるパブリックスクールで2年間のIBクラスに進み、そのままオックスブリッジなどに進学していきますが、彼らが帰国した際に、私にこういうことを話してくれたのです。彼らは留学して最初の英語のテストで、リーディングでの成績はよかったものの、スピーキングスキルは、ほとんどアウトだったそうです。でも2年間経つとスピーキングスキルもそれなりに上がったそうです。他方、同じように最初、リーディングの成績がよかった外国人の生徒のスピーキングスキルが上がったかというと、決してそうではなかった。日本の英語教育は非常によくできているので、そのよさはなくしてはいけないというのです。それを聞いて、やはり読解力を侮ってはいけないなと思ったのです。浦高生が海外に羽ばたいていく時に、幅広い教養・知識も含めたそうした読解力や、学校行事や部活動などで鍛えられてきた経験が、伸びていく力、ベースになる力になっているのだなと実感しました。

 

 

杉山剛士 埼玉県立久喜高等学校教頭(拠点校参与)

東京大学教育学部教育学科卒業、同大学院教育学研究科修士課程修了(教育社会学専攻)。埼玉県立高等学校教諭・教頭、埼玉県教育局文教政策室長同局高校教育指導課長などを経て、埼玉県立浦和高等学校校長。2015年度と16年度に全国普通科高等学校長会高校基本問題検討委員会委員長。18年から現職。佐藤優氏との共著に「埼玉県立浦和高校 人生力を伸ばす浦高の極意」(講談社現代新書)。

 

――ありがとうございました。まずは大学の英語教育について議論を進めていきたいと思います。今まさに大学の英語教育が変わってきていると言われる中で、コミュニケーション重視の流れとともに、英語で他の教科を教えるという授業も急速に広まっていると聞きます。こうした流れについて、苅谷先生、どのように感じていらっしゃいますでしょうか。

 

苅谷 いくつかの大学で授業を見せていただいたり、参加させていただいたりしましたが、日本の学生の英語能力が低い場合、コミュニケーションが十分成立しないために、なかなか他国から来た学生とミックスしない、交流ができないということがありますね。一方、日本に来る留学生が英語ネイティブかというと、必ずしもそうではなくて、むしろ英語以外の言語を母国語としている学生さんが多くて、それが原因で分断ができてしまうこともあります。

 教員の側にも問題はあります。英語のネイティブの先生なら、それなりの教育が期待できるのですが、そうでない場合、たとえば日本人で留学経験があり、きちんと教えることができる人と、留学経験があるといっても本格的なものではなく、原稿やパワーポイントを用意すれば、それを読むことはできるというレベルとでは、かなりの差があります。日本人の学生の英語力が低くて、先生の側の英語力が低いと、申し訳ないが、目もあてられないことになる。コンテンツを学んでいるのか、英語を学んでいるのか、またはコンテンツを学ぶ建前で、それを動機付けに英語を学ぶというのが主たる目的なのか、きちんと分けて教えることが必要だと思います。

 

 

苅谷剛彦 オックスフォード大学教授

1955年東京都生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了、ノースウエスタン大学大学院博士課程修了(社会学)。2008年よりオックスフォード大学社会学科・ニッサン現代日本研究所教授。専門は社会学、現代日本文化論。著書に「オックスフォードからの警鐘 グローバル化時代の大学論」(中公ラクレ)など。

 

――立教大学でまさにその点を意識してやっていらっしゃると、お聞きしたのですが、どうでしょうか?

 

池田 私は、グローバル化した今の日本の社会において、それぞれの大学がどういう責任を果たし、役割を担っていくかという観点から、英語、あるいは英語で展開する科目の教育を考えればよいと思っています。立教大学の場合ですが、まず日本人の学生をしっかりと育てる、また、グローバル化という視点から見た場合は、アジア、アフリカの国々の学生に立教大学の中でしっかり学んでもらうことによって、その人たちの母国、そして日本が豊かになっていく、そういう教育を展開することだと思っています。

 そうした中で、英語で展開する科目、あるいは英語教育を考えた場合、まず立教大に入学した日本語があまりできない学生たちが立教大学を卒業していくために、英語でコンテンツを学ぶ必要があります。だから、まずそこに英語で展開される科目を置きます。または、立教大学に入ってきた学生の中にも、海外の大学院に行きたい、あるいは国際的な団体で働きたい、海外の企業で働きたいという希望を持った学生もいますので、そういう学生が、卒業時にそのレベルまでに英語力を上げていけることができるようなカリキュラムも必要です。その二つが、立教大学が責任を持って提供しなくてはならない科目だと思っています。

 

――佐藤さんが立ち上げに関わられた国際教養大学は、全国に先駆けてすべて英語で授業を行うという、非常に先進的な取り組みをされたのですが、その当時のことをお話しいただければと思います。

 

佐藤 国際教養大学をつくる時に、いろんな方々にご相談にうかがったのですが、ほぼ全員の方から、「絶対失敗するからやめなさい」と言われました。ただ私は、一つ明確な特徴をぽんと打ち出すと、極めて目的意識が高い学生が集まると思ったのです。実際、その通りでした。今でも、4年での卒業率が50%を切り、2人に1人は4年間で卒業できないのですが、退学率はとても低いのです。目的意識が高いと最後まで頑張れるのですよね。秋田のような地方で英語教育をやるという、コンセプトとしては、非常に飛躍したところもあったのですが、特徴を明確化した中で、目的意識が高い学生が集まってきて、結果として成功したということだと思います。

 

――このような大学の側の英語教育の変化を、高校の側ではどう見ているのでしょうか。浦和高校も含め、高校を卒業して、そのまま海外大学に進学する方もいらっしゃるそうなのですが、杉山先生、いかがでしょう。

 

杉山 大学での、そのような取り組みは、素晴らしいと思いますね。英語で授業をやり、英語で考えるというのは、やはりかっこいいですよね。高校生は憧れると思います。そういった憧れを抱かせるというのは、すごく大事なことだなと思います。

 海外大学への進学については、確かなデータがないのではっきりと言い切れないのですが、局所的には非常に高まっているという印象はあります。とは言いながら、それが全体的な動きになるかというと、まだ障害があると思うのですよね。一つ目は、費用です。数百万円から1000万以上かかってしまいますからね。埼玉県の事業で、ハーバードやMITに短期留学した319人のうち、その後、海外の大学に進学したのは8人だそうです。何が障害になっているか、アンケートをとると、留学費用が第一の理由でした。もう一つの問題は、就職の問題があると思います。日本の学生は、片道きっぷで行く人はあまりいなくて、いずれ日本に戻ってきたいという気持ちがあります。就活も早い時期から始まりますので、それを考えると高校を卒業して海外の大学へというのは、まだちょっとハードルが高いようです。

 

――続いて、アリソンさんにお聞きします。まだ一握りとはいえ、オックスフォードの日本事務所にも、高校、大学を卒業して、オックスフォード大学に進学したいという問い合わせが多いというお話なのですが、そういう方たちは、何を求めているのでしょうか。

 

ビール 一つの流れだと思います。私が高校生の頃は、イギリスから同じ英語を使っているアメリカの大学に行きたいという学生は、ほとんどいなかったと思います。ところが、グローバル化によって、いろんな選択肢があるのだという意識が学生にわいてきましたので、当たり前のように自分の国の大学に進学するのではなく、ほかの国の大学に進学する傾向が生じたと思います。

 オックスフォードに進学を希望する日本の学生の多くは、将来的に国際的な企業や機関で働きたい人が多いと思いますので、英語のスキルを身につけることを求めて志望されていると思うのですが、全体的に知名度にひかれて大学を選ぶケースが多いように感じます。世界中に通用するブランド力のある大学に進学したい人が、今とても増えているような気がします。

 

 

アリソン・ビール オックスフォード大学日本事務所代表

オックスフォード大学セント・ヒルダズ・カレッジ卒業。JETプログラムで来日後、18年にわたって国際交流や文化交流に従事。中国、トリニダード・トバゴ、日本でブリティッシュ・カウンシルの管理職を歴任後、2009年から12年まで、日本のブリティッシュ・カウンシル副代表。同年から現職。

 

民間試験をどう活用するか


――続いて、日本の大学入試改革に話題を移したいのですが、文部科学省は共通テストに英語の民間試験を2020年度から導入します。活用方法は各大学に委ねられています。苅谷先生は民間試験の導入にご意見をお持ちではないかと思うのですが、いかがでしょう?

 

苅谷 白黒つけろと言われれば、反対です。それには、いろいろ理由があって、一つは、これは英語教育の改革だけに限らず、教育改革をする時の基本的な前提なのですけれど、改革に必要な十分な資源投下がないところに、何か追加した要求項目を付け加えると、必ず何かが犠牲になるということです。小学校での英語教育では、発音のいい子どもは増えるかもしれないけど、英語が読めない子どもは確実に増えますよ。民間試験の導入で、スピーキングにシフトした時に起きる現象というのは、スピーキングを教えられない先生がそれをやるわけだから、当然無理があって、その中で何を犠牲にするかというと、その先生たちができることを教えなくなります。この場合教員というリソースがない中でやろうとすると、こういうことが起きるのですね。リソースのアンバランスが根底にあるので、今のままなら、民間試験会社が儲かるだけで終わると思います。

 

――民間試験をめぐっては、受験機会や料金など、課題がいくつかあるのですが、杉山先生、今の高校現場の反応はいかがでしょうか。

 

杉山 民間検定試験自体は、意味があると思うのですね。問題なのは、それをナショナルテスト、50万人の選抜の道具として、活用するということです。当初から大きな課題が指摘され、いまだそれが解消できていないというのが、率直な感想です。

 具体的に言いますと、一つ目は学習指導要領との整合性です。それぞれの検定は作られた目的が違いますので、それと学習指導要領との整合性をどうとるか。二つ目は、各検定の比較の妥当性ですね。三つ目、これは全国の校長先生が一番多く口にされることなのですが、地域格差、経済格差の拡大への懸念です。特に三つ目については、これまでの日本の教育政策は、学制発布以来、「邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめんことを期す」というスローガンのとおり、教育の推進により格差を解消しようという方向性のもとに進められてきましたけれど、大きくその理念が切り替わってしまう心配があります。

 

――いろいろ現場の課題が浮かび上がっていますが、一方で、この会場に関係者がいらっしゃる大学の大半が、民間の試験をすでに入試で使われていると思うのですね。4技能を測るにはメリットがあるかと思うのですが、池田先生のご意見をお聞きしたと思います。

 

池田 どういう英語教育を展開し、どういうゴールを設定するのかによって、英語の外部試験の導入の度合いも変わってきて当然だと思います。いくつか課題はあるものの、入学時からしっかりと4つの技能を使った英語教育を展開していくということを考えた時に、入学時の4技能の力を測ることができる試験は、大学にとって意味があると思っています。自分の大学でどういう学生さんに来てほしいのか、あるいはどういう教育を展開するのかを明確に高校生に伝えていくと同時に、入試についてもきちんと説明をしていくことができれば、私は4技能の試験は、これから積極的に取り入れていくべきだと思っています。

 

――佐藤さん、文科省としてはいかがでしょうか?

 

佐藤 学習指導要領との整合性については、高校の指導要領で4技能ということが言及されていますし、各検定の比較の妥当性については、専門家による検証を受け、それをクリアした民間試験を導入しています。地域格差、経済格差の拡大への懸念に対しては、各都道府県ですべての検定が受けられるようにし、回数を制限したり、低所得者の給付型奨学金の対象に検定料を入れたりすることで、地域的、経済的な格差を解消しようとしています。民間試験だけに舵を切るのではなくて、大学共通テストとしても、2技能の部分をちゃんと並行して大学が選択できるようになっています。先ほど、池田先生がおっしゃられたように、各大学が、どういう判断でもって、どの試験を導入するのか、しないのかをちゃんと丁寧に説明していっていただければと思っています。

 

――民間試験の導入について、英語のネイティブであるアリソンさんは、どうお考えでしょうか。

 

ビール 学生は試験に関してとても敏感なので、試験が変わることによって、学んでいくことのモチベーションが変わってくるのではないでしょうか。日本の大学で民間の外部試験を導入し、4技能をテストすることによって、学生のモチベーションが高まることが期待できると思います。日本の英語教育の現場にいる外国人の中には、これまでコミュニケーションスキルを重視していなかったことに、フラストレーションを感じていた方が少なからずいました。それが、4技能をまんべんなくテストすることによって、英語教育の内容が大きく変わってくるだろうと思います。一方で、一番点がとりやすい外部試験に受験者が集中するのではないかという危惧もあります。そういう現象が起きた時に、日本の英語教育の現場が、今より士気が下がってしまうのではないかと心配です。

 

 

スーパーグローバル大学の課題


――議論は尽きないのですが、終わりの時間も迫ってまいりましたので、最後に皆さんから一言ずついただきたいと思います。先ほどスーパーグローバル大学について、佐藤さんからご説明があったのですが、苅谷先生にお話しいただければと思います。

 

苅谷 グローバル人材が必要だとか、日本人が英語で発信しなければいけないとか、確かにそれを否定するのは難しいのですけど、しかしそれはだれにとって必要なのか、だれの利益になるのか、そのことを考えないまま議論していくことに意味があるのかと思うのです。ただ日本経済がだめで、それは日本の大学がグローバル化に対応していないからだとか、グローバル人材がいないからだとか、それで日本全体が縮小してしまったみたいな、そういうわかりやすい構図の中でグローバル化という言葉に飛びついてしまうというところが、日本人の性格なのか国民性なのか不思議なところがあって、本当にそれはそうなのかを、ちょっと疑ってかからないと、と僕は思うのです。

 先ほど、佐藤さんがおっしゃったように、それぞれの大学がミッションを持って、スーパーグローバル大学をやるはずだった。でも、どうしても日本の社会は、構造的にA大学がやったら、B大学、C大学がそれに続くというように、それが上位を目指す競争になればいいが、互いに足を引っ張り合うようになると、うまくいかないわけです。そこに、グローバル化というマジックワードがあって、たとえばオックスフォード大学は自分たちのことを、グローバルユニバーシティとは言わないわけですよ。ワールドクラスとはいうわけですけど。元々、グローバルだから。それは、ワールドクラスであることの、ノーブレス・オブリージ(noblesse oblige、高貴なる者の責任)を感じているわけですよね。そういう英語圏の強み、オックスフォードの歴史の強みを背景にして言っているわけで、それでは日本の大学の強みは、それぞれ何なのかというところから始めて、その強みを発揮しないといけないと思うのです。政策誘導と言われても、どこに連れていかれようとしているのかを、それぞれの大学が、自分の足で立って判断して見極めないと、誘導された結果、お互いに足を引っ張り合ったり、レベルを下げたりということになりかねないと思います。

 

――英語教育の問題というのは幅広くて、大学改革の問題にも繋がっていくのかと思うのですけど、池田先生、それぞれの大学の強みを発揮するという苅谷先生のご指摘を踏まえていかがでしょう?

 

池田 私は、スーパーグローバル大学にも、苅谷先生がおっしゃったことにも、両方とも賛成なのです。私が個人的に、スーパーグローバル大学がよいと思うのは、それを実現しようとすると、苅谷先生がおっしゃるように、自分たちの大学の強みを活かし、自分たちのミッションをちゃんと全うしていこうとする。そこには大学改革が絶対伴ってくるのですよ。今までの枠組みと変わらないとか、こういう課題、難しいことがあるから、やめておこうかと思った瞬間に、苅谷先生がおっしゃるように、表面的なグローバル化だけに終わってしまって、実は全然国際化が進んでいないということが起きてしまう。私は、スーパーグローバル大学は、日本の大学がワールドクラスまでにはいかないかもしれないけれど、国際的な基準でいろんな国からの学生を受け入れていくことができるようになるための必要な枠組みの転換だと思っていて、それは日本の大学にとって、いい起爆剤だと思っています。

 

――佐藤さん、改めていかがでしょうか?

 

佐藤 スーパーグローバル大学のプランを考えた時に、大学の関係者の皆さんに文科省とかに頼るのではなくて自分たちで考えて改革をしてほしいというのが、ベースとしての思いにありました。体質改善は、そうでないと実現できないと思うのですよ。この事業は、日本の大学が国際的に競争力を持つ前に、まず制度の面で互換性がないと世界と一緒にやっていくとか、肩を並べるという話はできないという考えから生れました。とはいえ、実は反省もすごくあって、KPI(Key Performance Indicator、重要業績評価指標)、KPIと、すごくそれが前面に出すぎたという反省があります。数字が高ければ高いほどいいというものではないですよと、何度も何度も説明したのですけれど......。それが実現可能な数字であればいいのですけど、ただ単に採択されるためだけに出した数字だとすると、事業としては非常に不幸なことで、ただそういうことは起りうるということを改めて思いました。

 

――それでは杉山先生、大学への期待を込めて、お話しいただければと思います。

 

杉山 先ほど、グローバル化の話が出ていましたけれど、外へのグローバル化だけでなく、内なるグローバル化も進んでいると思うのですね。生産労働人口が減少し、多くの外国人が日本にやってきています。すると、自然と外国の方と接する機会も多くなり、必要性が高まることによって、英語を学ぼうというモチベーションが高まるのではないかと、私個人は楽観視している部分がありまして、むしろ大事なのは、単なるレベルの向上ではなく、会話のベースとなるコミュニケーション能力ではないかと思います。外国から来た人と、英語をツールとして、偏見を持つことなく上手にコミュニケーションを交わすとか、あるいは文化の違う人と協働して、ものごとを成し遂げるとか。最近よくダイバーシティーという言葉が使われますけれど、日本の大学生、高校生には、英語教育を通して、コミュニケーション能力を磨いていってほしいと思います。

 浦和高校では、グローバル人材ということで、「タフでやさしい人間になれ」と生徒たちに常々言っています。英語力だけでなくて、他者に対するやさしさと共感力を身に付けた大学生、高校生から見て、「あんな大学生に早くなりたいな、かっこいいな」と思えるような大学生を、それぞれの大学の建学の理念に沿って、人間形成をしていただければ、大変、ありがたいなと思います。

 

――最後にアリソンさんから、日本の大学の関係者、特に英語教育に携わる方に向けてメッセージをいただけたらと思います。

 

ビール きょうのディスカッションで話があったように、すべての大学が同じような大学になるのは必要もないし、意味がないと思います。各大学は自分のミッション、責任に合った役割を果たすべきだと思います。必要に応じて、ある大学は英会話に力を入れればいいですし、ある大学は高度なアーギュメントができる学生を育てればいい。これから、どの大学も英語教育に力を入れてくるでしょうから、それが将来、どのような結果を生み出すか、とても楽しみです。

 

――異なる意見があっても、そこから発展が生まれるようなパネルディスカッションになったかと思います。本日は、ありがとうございました。

 

司会・コーディネーター 古沢由紀子(読売新聞東京本社論説委員)

社会部、ロサンゼルス支局、教育部長などを経て現職。著書に「大学サバイバル」(集英社新書)、共著に「大学入試改革~海外と日本の現場から」(読売新聞教育部、中央公論新社)。

 

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(2018年9月10日 10:00)
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