【高円宮杯】大会の意義とは?ティム・ブレッド×有村・前女性活躍相

 67回を迎えた高円宮杯全日本中学校英語弁論大会の意義について、協賛企業として大会を長年支援し続けている日本コカ・コーラのティム・ブレット社長と、1985年の大会で2位に入賞した有村治子・前女性活躍相(自民党参院議員)に 語り合ってもらいました。対談は11月9日、東京・大手町の読売新聞東京本社ビルで行われました。

 司会は高橋誠司事業開発部長。(以下敬称略)

>>大会ウェブサイト


 

――戦後70年の今年、高円宮杯全日本中学校英語弁論大会は、67回目を迎えました。終戦直後の1949年、「将来の日本を担う国際性豊かな青少年を育てよう」と、故高松宮殿下のご賛同を得て創設されました。コカ・コーラシステムを始めとする各社のサポートもあり、99年からは高円宮杯として今日に至っています。毎年、校内予選を含めると、全国およそ10万人の生徒が参加しており、戦後の教育史に大きな足跡を残しています。また、出場者のOB、OGを中心に、現役大学生が大会運営に携わるのも特徴です。

 特別協賛としてサポートを続けていただいているコカ・コーラ社には、1963年以来、読売新聞、日本学生協会(JNSA)基金と、半世紀以上にわたるパートナーシップ関係にあり、優秀な成績を収めた中学生への奨学金などで、大会を支えてきていただいています。

 まずは、コカ・コーラシステムの取り組み、あるいは、本大会に対する思いについて、お聞かせ下さい。

 

ブレット このような機会をいただき、ありがとうございます。JNSA基金、読売新聞と協力させていただいていることに感謝します。1949年に、この英語弁論大会が鈴木啓正氏(初代JNSA基金理事長)によって開始されたとのことですが、先見の明を持った判断だったと思います。当時と比べ、状況は大きく変わっているかもしれませんが、現在も有意義な特徴が残っていると思います。

 どのような言語であれ、きちんとコミュニケーションできることは必要なことです。早くからその重要性に鑑み、取り組まれたということであり、私どもも全国各地のボトリング会社とともに、この取り組みに参加できることを嬉しく思います。

 この大会の歴史と並走するように、私どもコカ・コーラシステムは日本で育ってきたとも言えます。日本でコカ・コーラがビジネスを本格的に開始したのが1957年。そして63年から、この大会を支援し始めました。その当時、コカ・コーラシステムは、日本の企業として事業をスタートし、今日に至るのですが、この間、日本の国も、そしてコカ・コーラシステムも、大きな変化を経てきました。

 日本では、3回にわたってオリンピックが開催されました。そして、4回目のオリンピックも、これから開催されようとしています。オリンピックが開催された回数から、時間の長さを測ることができます。もう一つ、成功の尺度として申し上げたいのは、過去の大会入賞者の、その後の活躍です。そして、その一人、有村氏が国会議員になられたことも、本大会の成功の尺度ではないかと思います。

 そのほかの大会入賞者も、各方面で活躍されています。1回目の1949年の大会入賞者は、後にドイツ大使になられた有馬龍夫氏です。また、国際原子力機関(IAEA)事務局長の天野之弥氏も、学生として大会運営に携わっていたと聞いています。

 この大会に長年携わってきたことを、大変誇りに思っています。前向きさを価値観とするコカ・コーラシステムは、未来を担う世代である青少年育成の一環として、国際教育の重要性を認識しています。本大会は、それを表す大会だと考えています。

 

――有村氏は、1985年の第37回大会で2位に入賞されています。また、大学進学後は、JNSA基金の運営本部員として、大会運営に携わってきました。本大会との関わりについて、お聞かせ下さい。

 

有村 67年という英語弁論大会の歴史は、日米の民間による友好親善の一翼を担ってきた実績だと思います。

 鈴木啓正氏は戦後直後、国際社会に開かれた日本の青年を育てなければいけないということで、高松宮殿下に相談されました。鈴木氏は当時、殿下からの「50年は続けて下さい」とのお言葉を受け、私財を投じて読売新聞、各省庁、コカ・コーラ社に掛け合い、具現化させました。殿下との約束のみならず、日本の未来に対する約束だったのではないかと思います。

 鈴木氏は、一つのことに強いこだわりを持っていました。それは、日本の子供たちに本物を見せるということでした。その一環が、帝国ホテルで一番大きい「孔雀の間」でのレセプションです。読売交響楽団による第一級の演奏を、中学生に聞かせる。中学生のための大会ではなくて、英語教育に携わる親御さん、先生方、地域、ひいては日本、世界の和平や共通の理解という大きな目標を抱き続けていました。

 JNSA基金の学生の皆さんも、中学生だった私にとって、まぶしい存在でした。読売交響楽団による君が代と米国国歌の実際の演奏を聞く経験を与えていただいて、日本のトップの決勝まで行けたんだなあと、こみ上げるものがありました。

 

――有村氏は大学生時代、大会の運営スタッフとして携わってきました。JNSA基金に対する思いを聞かせて下さい。

 

有村 中学3年生の時に入賞した私は大学2年生から、JNSA基金の運営本部委員として、お手伝いの方に回りました。JNSA基金のメンバーになることを目指して、東京の大学に入りました。そして、学業もそこそこに、大会の準備のため、読売新聞の社内で長い時間を過ごしました。

 1年かけて、大会の成功のために、仲間たちと青春の時間を共有していたことを思い出します。鈴木氏は、中学生も子供扱いせず、一人の大人として扱ってくれました。

 高松宮殿下、高円宮同妃両殿下を始め、読売新聞社やスポンサーのコカ・コーラ社など、第一線で仕事をされている方々と、日々、一緒に等身大でお付き合いさせていただく中での人格形成は、とてつもなく貴重な経験になりました。

 

――国際親善を促しつつ、次世代を応援していくという点で、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに対する思いをお聞かせ下さい。

 

ブレット 私も、2020年の東京オリンピック・パラリンピックには、わくわくする思いを持っています。英語弁論大会と同様、コカ・コーラシステムがオリンピックに関わった歴史も非常に長いです。最初にオリンピックに関わったのは、1928年のアムステルダム大会でした。そこから一貫して、支援を続けています。

 そして、この英語弁論大会とオリンピックには、共通点があると思います。それは、先ほど有村氏もおっしゃった、若い人たちの間の相互理解、そして平和につながるものだということです。

 2020年に世界中から若者やアスリートが集まることは、日本にとっても素晴らしい機会だと思います。コカ・コーラシステム内でも、早くから日本の事業に取り組んでいた人たちが、今でも1964年の東京五輪を懐かしく話しています。その後の札幌、長野の冬季大会についても、同様の思いをお持ちのようです。

 その中で、私どもはコミュニケーションに関して貢献できたと思います。日本社会に国際的な精神を取り入れることにも貢献できたと思います。中でも、日本が一番得意としているホスト国としてのおもてなしについて貢献できたことを嬉しく思います。

 その中で言語のスキルは重要な役割を果たします。2020年には、何千というボランティアの方々が素晴らしい英語を話して、外国からのお客さんを歓迎することになると思います。今から楽しみです。

 2020年には、私はもう日本にいないかもしれませんが、少なくともオリンピック観戦には戻って来たいと思います。

 

――コカ・コーラ社は、青少年の育成という観点から、文化、スポーツに対するサポートを続けていただいています。英語弁論大会に出場する中学生も、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに関わっていくことが期待されます。今後の大会に期待することをお聞かせ下さい。

 

ブレット スタートした当時と、国の置かれた状況は変わっていますが、コミュニケーションする重要性は変わらないと思います。従って、この大会はこれからも、環境の変化に応じて進化していくと思います。その必要性は不変だと思うし、これからも成功し続けることを期待しています。

 

有村 30年前の大会の時に、コカ・コーラ社から、「CSR(企業の社会的責任)」という概念を初めて教えられたように思います。参加者全員に、「コカ・コーラ」と「スプライト」のロゴが入った鉛筆が配られました。コカ・コーラ社から、「あげますよ」というアナウンスが全くありませんでした。全員に配っていただいているのに、広告・宣伝を一切されない。「これは企業にとってどういう意味があるのだろう」と、中学生ながらに思いました。

 つまり、コカ・コーラ社はアピールしなくても、必要なことには汗をかかれる。これが当時の世界のブランドの信用力、ガッツ、アイデンティティーなんだと思い知らされました。

 英語弁論大会やオリンピックのスポンサーでいることは、決してコスト的にも安いものではありません。多額の支援を続けていただいていることに敬意を表します。オリンピックは経済力がある国であっても、それだけで開催できるわけではありません。国としての信用と実績が大切です。英語弁論大会の出身者がそれぞれの場面で活躍してくれればありがたいと思っています。

 安倍首相は「世界で最もバリアの少ないオリンピックにしたい」と言っています。これは、世代ごとの概念や身体のハンデがあるかないか、あるいは外国と言語や文化の違いがあるかないかというだけではない。英語がネイティブの人と、英語を外国語として話さなければいけない人の間で、アドバンテージ、ディスアドバンテージがあるということでもない。

 東京が、英語を介して、より多くの人が理解し納得し合い、共通の理解、和平を作っていく大きなショーケースになると確信しています。

 

――英語弁論大会を主催する読売新聞、JNSA基金、サポートしていただいているコカ・コーラ社に、今後期待することはありますか。

 

有村 「教育は国民性を創る礎」が私の信念です。どんな教育をしていくかということは、どんな地域や国家をつくるのか、と同義語になります。

 英語弁論大会も67回を数えると、常勝校が出てきます。その先生に付けば、どんな話の内容になっても、振り付けはみな同じ、毎年変わらないという指摘もあります。もちろん、常勝校にも頑張ってほしいと思います。

 いい意味での番狂わせというか、いろいろな機会のある私立学校のみならず、公立の学校や新任の先生、過去のレガシーを持たない新規の学校が参画でき、内容そのもので評価されるという公平性が貫かれ、ネイティブにどれだけ近いかだけでなく、伝えたい内容をどれだけ伝えられたのかという観点からジャッジしてほしいと思います。

 かつて、高円宮殿下は毎年、レセプションの中学生に向けたメッセージで、最初は流暢な英語で話されていましたが、ある時からは日本語で話されるようになりました。それは、中学生に伝わってこそメッセージだという思いが込められていると思います。

 

――新規校が参加しやすいよう、公平性を持った、輝かしい大会にするよう努力したいと思います。

 

ブレット 「継続は力なり」です。有村氏のアドバイスを聞き入れ、大会として、これからも進化していくことが必要だと思います。重要なのは、各方面からのフィードバックに耳を傾けることだと思います。参加者や新聞の関係者などからのフィードバックを受け入れ、進化していくことを恐れてはならないと思います。そして、強力な基盤を整備していかなければならないと思います。

 さらに、何よりも楽しいことが重要だと思います。学習を促すには、その過程が楽しくないといけないと考えるからです。同様に、今までの輝かしい成果は誇りに思うべきだと思います。

 誇りに思う要素としては、様々なものがあります。何よりも、毎年10万人の参加者がいることが、この大会の成功の証左ではないでしょうか。また、過去の入賞者が各方面で重要な仕事に就いています。政府や外交、ビジネス界などで活躍する人たちをたくさん輩出していることも、その大きな証左ではないかと思います。

 ですから、今あるもので機能しているものはこれからも継続していただき、そして状況にあわせて進化を続け、何よりも楽しい大会であってほしいと願っています。

 

――今後も、両者からはいろいろとサポートをいただきながら、輝かしい大会を運営していきたいと思っています。きょうは本当にありがとうございました。

 

(2015年12月16日 04:00)
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