2045年の学力(23)「リアルな教室」の意味

安西祐一郎(あんざい・ゆういちろう)日本学術振興会理事長、文部科学省顧問。前慶応義塾長・大学長。認知科学。70歳。

 「高大接続」という言葉が独り歩きしている。目まぐるしく変わる世界で、私たちの子どもはどんな力を求められるのか、それにふさわしい教育を創っていこう。そんな思いで始めた改革だったが、その方向に進んでいるのだろうか。議論を進めてきた責任者の一人として、改革に込めた思いを語りたい――中央教育審議会会長として改革を世に送り出した安西祐一郎氏が語り始めた。

第1、3金曜日掲載(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈)

 

[vol.23] 「リアルな教室」の意味


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 前回、先生自身がみんなの前で手を挙げてほしいとお伝えした。これからの時代は、与えられた課題を解決するだけでなく、自ら何が課題なのか、問いを立てる力が求められている。子どもたちに「質問しなさい」と言うのなら、まず大人、それも子どもたちの前に日々立つ先生自身が範を示してほしいのだ。みんなの目の前で手を挙げ、質問を投げかける――新しい教室づくりは、そこから始まるだろう。

 

 すでに従来とは異なるタイプの教室が登場している。インターネット上の「バーチャル(仮想)教室」だ。ネットを通して先生が語りかける一方的な授業だけでなく、その場で生徒たちが先生に質問することもできる。生徒が提出した課題を添削して、ネットを介して個別に生徒に返すことも容易になる。そうなるとむしろ、あらためて問われるのが「リアルな教室」の意味だ。

 

 リアルな教室でいつも気になるのは、先生の立つ位置だ。たいていは黒板を背にし、教壇のあたりに立っているようにみえる。視線は扇形になり、両脇の前方が死角に入ってしまう。それで果たして、子どもたち一人ひとりを見る、寄り添っていると言えるのだろうか。1学級30~40人の子どもを見ることは、そんなに難しいことなのだろうか。

 一人ひとりを見る、寄り添うとは、「先生は自分のことを気にかけてくれている」と子どもたち一人ひとりが思えるような目線の合わせ方、声の掛け方だ。クラスの中にはかなり手のかかる子もいれば、そうでもない子もいる。すべての子を「まったく平等に」ということではない。たとえ強弱はあっても、「完全に無視されている」と子どもに思わせないアイコンタクトや距離の取り方が大切なのだ。

 

 フィールズ賞の数学者、広中平祐さんから興味深い話を聞いた。広中さんが懇意にされている世界的指揮者の小澤征爾さんが「なぜ大指揮者なのか」。オーケストラの団員一人ひとりが、曲の始めから終わりまで「小澤さんがずっと自分を見てくれている」と感じるからなのだそうだ。「一対一のコミュニケーション」が取れていると感じさせてくれる指揮者を、オーケストラの団員たちはあたたかく受け入れるようになるらしい。プライドの高い世界水準のオーケストラでもそうなのだ。

 学校の先生に、すべて小澤さんのようになってほしい、と言うつもりはない。だが、学校の先生も教育のプロであるはずだ。毎日の授業で磨くべきスキルの一つは、こういうことではないだろうか。オーケストラの団員一人ひとりが「小澤さんが自分を見ていてくれる」と思える、これをなぜ小澤さんができるのか、考えてみるだけでも面白い。

 

 私は毎年秋学期に慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)で授業をしている。SFCの授業のテーマは認知科学で、「科学的に考えるとはどういうことかを認知科学の基礎を学びながら考える」ことを狙っている。毎回の受講者は50人程度、ちょうどよい大きさの平らな教室である。スライドをスクリーンに写しながら、私自身は教室の後ろに立ったり、歩き回ったりしながらマイクを使って話をする。

 内容は自分の専門だから余裕はたっぷり。話しながら学生一人ひとりを見て、何をしているかのぞきこみ、推測できる。一人でも、授業に入り込めずに内職したり居眠りしたりしているなら、それは学生のせいというよりも先生、つまり私自身の責任だと思っている。歩き回りながら話をするのは健康にも良いし、学生とも向き合うことができる。

 

 学校の先生たちは何を考えて毎日の授業をしているのだろう。クラスの子どもたちは能力も性格も背景も多様だから、一人ひとりに同時に焦点を合わせることは難しい。だが、学習指導要領が変わるのは10年に1度だし、自分の授業を毎年大きく変えるわけではないから、少なくとも内容をすべて頭に入れることができるはずだ。子どもたち一人ひとりにバランスをもって注意を向けることができるようになるのだ。教室で立つ位置を柔軟に変え、全体を見ながら、子どもたち一人ひとりの反応を確かめ、語りかけ、対応する。どの子どもから見ても死角にならないように、誰もが自分を気にかけてくれていると感じるように、立ち位置を変える。それほど難しいことなのだろうか。

 現実の授業ではそうはいかないことも、もちろんある。子どもたち一人ひとりと目線を合わせようとすると、求められるスキルもたくさん出てくる。中でもコミュニケーションのスキルは、学校の先生にとって必須だ。授業で子どもたちと話のキャッチボールをする。そこで出てくるのが「質問力」だ。子どもたちが質問をしない、というのであれば、先生がまず質問力を身につけよう。先生が質問をしても、子どもたちから返事がない、無視される、ということもあるだろう。そんなときには、質問の内容を工夫することが大事だ。子どもたちが待っている質問が必ずある。子どもたちの心を感じることができるようになるか、それは「質問力」の前提になる「共感力」である。

 

 幕末、それまでの儒学中心の教育を振り切って洋学を勉強した若者たちが、明治の世に教育の志をもって学校の先生として、全国に散らばっていった。そうした若者が、日本の近代教育を現場でリードし、それが近代日本の礎となった。

 今がまさにその時代だ。世界が変わり、学びのあり方が変わる。一人ひとりの子どもたちと向き合い、一人ひとりの成長を支援できるように、教え方を、教室の風景を、先生自ら変えるときが来ている。

 

 「リアルな教室」の話に戻る。「バーチャル教室」とはどこが違うのだろうか。画面で学ぶといった方法の違いだけなのだろうか。画面の質はどんどんよくなり、小さな子でもコンピュータを使いこなす時代だ。そうなると、いま一度、リアルが大切だとすればそれはなぜなのか、対面でしかできないものは何なのか、私たち一人ひとりが問わなければならない。相手の目を見る、感情移入、共感......。人工知能にはまだまだできないことだ。しかし、「リアル」とはその程度の意味なのだろうか。

 

 これからの学校、新しい時代の教室には、何が求められているのだろうか。なぜ学校に行かなければいけないのだろうか。すでにリアルな教室で授業をしている先生たちの能力や資質はもちろん、そのタマゴを育てている大学の教員養成課程の質を問い直すことも必要になる。いつかその話をしよう。

「社会に開かれた教育課程」

 2017年3月に公示された新しい学習指導要領には、このキャッチフレーズが盛り込まれている。「よりよい社会をつくる」という目標のもと、子どもたちがどのような資質や能力を身につけたらよいのか、社会とともに探り、連携していく、ということである。それには、個々の教員に「丸投げ」ではなく、校長のリーダーシップのもと学校全体で考える態勢を作ることが必要になる。校長のリーダーシップを支えるために、地域や保護者、有識者らで構成する学校運営協議会を持つコミュニティ・スクールの設置を推進する。

>>vol.24


(2017年12月 6日 12:17)
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