異見交論59 今の教育では学生を育てられない 溝上慎一氏(桐蔭学園理事長代理)

みぞかみ・しんいち 1970年、大阪生まれ。京都大学高等教育研究開発推進センター教授を経て、2018年から学校法人桐蔭学園理事長代理、トランジションセンター所長・教授。博士(教育学)。おもな著書に「現代青年期の心理学」「アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換」など。

 日本の大学生はろくに学ばないし、成長もしていない――。教室外の学習時間が年々短くなり、学生も自らの成長を実感していないことが、京都大学と電通育英会が共同で行った「大学生のキャリア意識調査」でわかった。大学の歴史や設置形態、地域は関係なく、偏差値ですら「誤差の範囲でしかない」と分析する。では、学習時間を決めるのは何か? それは、ある「意識」を持っているかどうかだという。調査をまとめた溝上慎一・桐蔭学園理事長代理に、謎解きしてもらった。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈、写真も)


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■1週間で4~5時間の学習

――2018年秋に出た調査結果を見た。予習や復習などの授業に関する教室外学習が1週間あたり4~5時間程度と、短くなっている。1単位あたりの学習時間を定めた大学設置基準からも問題だろう。

 

溝上 日本の学生は、教室を離れると学習しない。単位制の観点からは、少なくとも1週間あたり12~15時間程度の教室外学習が必要だ。4時間台は論外だが、学生ばかりに責任を負わせられない。教員側にも問題はある。学習時間を意識して授業をデザインし、課題を出していないからだ。授業でわからないことに正面からぶつかり、教室外で調べ、考えて、また授業に臨む。絶えず授業外と行ったり来たりすることで、学びは深まり、成長につながるのだ。だから一貫して、授業外学習から授業を組み立てないといけない、と訴えてきた。

 

 

――学年が上がっても、教室外学習時間が伸びていないのはなぜか。

 

溝上 就職活動がかつてより長期化し、3年生の後半から4年生後半まで引っ張られていることもあるだろう。加えて、さまざまな「支援教育」が増えていることもその傾向を助長している。例えば初年次教育※。これまでの大学教育にはなかった教育を1年次に充てるため、従来、1年次で学んでいたはずの教育内容を先送りにせざるを得ないのだ。

 

※初年次教育

大学の新入生を対象に、リポートの書き方や図書館の活用の仕方など、大学での学習に必要な知識やスキルを学ばせる教育。 

 

 

――教室外学習時間の短さだけでなく、学生が自分の成長を実感できていないことも問題だろう。リーダーシップなどの能力が大学生活で身についたかと尋ねた質問に、「どちらとも言えない」の答えが集中していた。

 

溝上 「忍耐強く物事に取り組む力」「コミュニケーション力」など、どれも社会で求められている力だが、どの程度ついたかを尋ねたところ、約80%の人は高校2年生のまま大学3年生の終わりまで変わらないとするデータが出た。

 

――高2のままで大学3年に! 大学教育が刺激を与えていないということか。

 

溝上 データを見る限り、そうだ。けれども、ここまでとは、さすがに予想していなかった。学生によっては「できるようになっている」感覚はないわけではないだろうが、平均レベルでみると変化が見えない。

 

――学習時間の長さと、大学での専門分野や地域、家庭の経済状況、性別に何らかの関わりがあるか。

 

溝上 関わりはない。しばしば言われる家庭の所得格差は、大学進学をしない人も含めると出てくる。この調査では、高校時点で大学進学率が6割以上の高校を対象にしている。高等教育進学者層を母集団とすると、家庭の所得などの社会的要因の影響は消える。むしろ前面に出てくるのは個人要因だ。自分はどうありたいか、どう生きたいか。つまり、学習時間を決めるのは「キャリア意識」だ。それが、授業をどう受けるか、授業外でどう学ぶか、自分の世界をどう広げるかにつながっていく。

 

 

■好奇心が消えている?

――冒頭に、教員が教室外学習をさせるための課題を出していないと指摘していたが、大学教員にその話を持ち出すと、必ずと言っていいほど反論が出てくる。「学生はたくさん授業をとっている。課題を出したらパンクする」と。

 

溝上 私もよくそう聞く。その度に答えている。「そんなのは気にしなくていい。まず課題を出してほしい。今は全くそういうレベルではない。倒れるまで学習させてほしい」と。そういう気概で臨んだらいい(笑)。

 授業の人数が多すぎるのも問題だ。ほとんど「講義」形式だ。これを変えていかなければ。そのためには、やはり大学1年生時点が勝負だ。多くの大学は「初年次教育」をするが、単なる15回のパッケージとなっている。

 

――日本の学生が成長するような学習をしていないことは、一目瞭然だ。

 

溝上 マスコミをはじめ企業人も、そうした実態に注目してくれなかった。10年ほど前、企業のいろいろな研究会に呼ばれた際に言われたことが印象に残っている。「大学生が勉強しない? そもそも期待していない。会社に入ってちゃんと育てるから大丈夫」。何回、言われたことか。

 ところが最近、企業人は「日本の大学に期待していない。海外から優秀な学生を採用するから大丈夫」などと言う。バカにした話だ。

 

――なるほど。教員は課題を出さない、企業は大学の学びに期待しない、学生自身もキャリア意識を持っていない...。大学、企業、学生自身それぞれに課題があることがわかる。学生の生活時間調査でも驚いた。例えば1年生をみると、新聞を読む時間は週に38分、新書や専門書は1時間程度。一方でLINEなどSNSの時間は10時間近くにも。好奇心が減っているのではないだろうか。

 

溝上 知りたいという欲求がないわけではないが、世界を頭のなかで作り直していくために、読み、学ぶということがない。情報があふれすぎていて知識に対する欲がない。こういうところに資質能力の高中低を決める要素があるのではないか。

 

 

■キャリア意識が低下している

 

 

――肝心の「キャリア意識」が低くなっている。将来の見通し向かって何をすべきかわかり、実行もしている学生が減っている。

 

溝上 自分はどう生きたいのかは、自分の頭の中の時間軸、縦軸で形成する。社会性は共同体、横軸として伸びていく。キャリア意識が高くなければ、社会性が弱くなる。私の解釈だが、キャリア意識が低いのは、いま目の前にあることにしか関心がないことを示しているのではないか。目の前の楽しさに溺れる、易きに流れるということだ。部活やサークル、アルバイトとか。今目の前にあること、わかることしか手を出さない。わからないことを考えさせ、挑戦させるのが、キャリア意識だ。自分の将来とか仕事とか、知らない世界につながろうとするモチベーションになる

 キャリア意識の低さは、授業の履修の仕方や学び方にも影響を及ぼしている。必修には出るが、選択授業には出ない。単位が出ても、しんどい、面倒くさい授業は行かない。キャリア意識がないと、チャレンジする行動につながらない。キャリア意識と学習時間、キャリア意識と成長の実感には高い相関がある。このグラフでいえば「見通しがあり、理解実行」が上がっていないといけない。これが社会性の高さに繋がり、成長にもつながる。

 

―― 「将来の見通しあり」は7割いた。

 

溝上 確かに大半の学生は、見通しぐらいは持っている。かつて1000人の学生にインタビューをしたことがある。そこでも実証できたが、考えてはいるのだ。では、将来に向かって何をしているのかと聞くと、やっていない。「忙しい」「面倒くさい」とか「何をやっていったらいいか、わからない」とか。

 

――これと先ほどの生活時間調査の関連はどうだろうか。新聞や本を読む人は、「見通しあり、理解実行」に集中していないだろうか。

 

溝上 残念ながら差はない。全体的にSNSの時間は1週間平均約10時間と長く、新聞を読む時間は平均30分弱と短くなっている。ただ、新書や専門書など勉強のための本を読む時間は、「見通しあり・理解実行」で週平均2.2時間、見通しなしで1.1時間と明確な差が認められる。

 

――いま目の前にあることにしか目が行かないのならば、そもそもキャリア意識を持つことができるのだろうか。

 

溝上 そう、持てなくて当たり前だ。大学1年生で仕上がっている。将来どうなりたいかは、高校生段階から考えている。調査を始めた頃、大学の先生たちは、「大学1年生から将来のことを考えさせるなんてかわいそうだ」と言っていた。就職活動が始まる大学3年生まではいったん将来のことを忘れて学生時代をエンジョイしてもいいのではないかと。大学教員は、かつての自分たちの経験でそう言っていた。

 

――なるほど、企業人も大学人も、自分自身の経験の物差しでものを言っているわけか。

 

溝上 時代が違うのを理解していない。企業人にも大学人にも心底呆れるし、こういう大人に妙なことを吹き込まれる学生が気の毒だ

 キャリア意識の形成を目指し、問題解決・課題発見型のプロジェクト型授業を用意する大学もあり、「将来の見通しあり、理解実行」の学生は、そうした授業を受けにくる。逆に低い学生は受けにもこない。1年生からしっかりキャリア教育をやらなければいけない。

 

――キャリア教育自体は2011年に義務化されている。だが、取材を通して感じるのは、キャリア教育というより、就職セミナーの方が多いように見受けられる。

 

溝上 キャリアというと就職と考えてしまう傾向がある。「キャリア教育」という言葉自体も、考え直さなくてはいけないかもしれない。キャリアと学習をつなげてほしいと、10年言っている。

 

 

 

■「国主導」から「我がこと」の改革へ

――中教審やさまざまな補助金事業に引っ張られる形ではあったが、大学は20年も改革をやってきた。

 

溝上 国の改革でできた制度やその方向性は問題ない。学士力答申で打ち出した三つのポリシーが大事というのは、ごく当たり前のことだ。方針と目標なきところで教育はできない。基本中の基本だ。大学側にとっては教育目標、学び手にとっては学習目標があって、初めて教育と学習が始まる。

 国の出していく方向性はこんなものでいいだろう。学士力答申と質的転換答申で出尽くした観がある。アセスメント(調査)と学びの成果の可視化に注力していくべき時だろう。それは大学が自分自身の手で行い、その結果をもとにまた改革していかなければいけない。いつまでも、国のせい、社会のせいと非難していては、大学の名折れだ。

 

おもな大学教育改革

1971 「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策」

1991 大学審「大学教育の改善について」→設置基準の大綱化

1998 大学審「21世紀の大学像と今後の改革方針について」

2003 特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)

2004 国立大学法人化、認証評価(第3者評価)スタート

2008 すべての大学で「FD」義務化/中教審「学士力」答申 3ポリシーの明確化、21世紀市民としての能力

2012 中教審「質的転換」答申 アクティブ・ラーニングの推進、学習時間把握の必要性

2014  中教審「高大接続」答申

2016 幼~高校の学習指導要領等改善及び方策等について」答申

 

――大学がいくら教育改革をしても、高校側はまず入り口の偏差値と、大学名で判断する。あとは入試科目と試験日か。

 

溝上 改革をわがごとにするには、社会の評価を待っていてはダメだ。目の前にいるこの学生を社会に送り出し、自分の力で生きていけるようにしなければだめだと、大学の先生たちが理解してほしい。社会の評価や強要ではなく。

 これから大学が淘汰される時代がくる。経営のためには学生定員を減らしたくないところだろうが、その一方で、20人か30人程度で、名前と顔の一致する授業が必要だ。ユニットを小さくして育てていくシステムを作って行かないと、学生の成長はあり得ない。教員数や1人の教員が担当するコマ数の問題になるだろうが、言い出したらきりがない。それをどう解決したらいいか、考えなくてはいけない。

 

――国主導ではあったが、日本の大学改革を先導してきたのは、国立大学だ。法人化は教育力向上も掲げていた。

 

溝上 2004年の法人化で、あらゆるものが劇的に変わった。運営費交付金が減り、人はどんどん減っていく。定年で退職する教員の補充をせず、期限付きの教員でつじつまを合わせるようになった。任期付きだから腰を落ち着けて研究もできず、もちろん学生の教育にも目がいかない。

 2004年は、1991年の大学設置基準大綱化から見たら、折り返し地点だ。教育改革についての補助金事業が急増し始めた時期だ。この異見交論で「世界を見てくれ」と言う人がいたが、国立大学は、いつも国の顔色を見て、国が見なければ世界を見ないという構造になってしまった。それが法人化のせいかどうかはわからないが。国主導の教育改革政策は、その意味からも必然だっただろう。京都大学に長くいた経験から、我がごととして受け止めている。

 

――税金を投入する正当性はあるか。

 

溝上 国立大学はそうは言っても国の支柱だ。地方国立大学は地元の雄でもある。だが、それに耐えられるマネジメントだろうか。

 その一方で、日本は私学に依存している。大学生の8割は私立大学にいる。だが、私学に配分される税金は約3000億円。国立大学の運営費交付金は約1兆1千万円だ。この差をどう説明できるのだろうか。それだけでなく、小中高校教育全体にかけられているお金が、世界で最低レベルとはどういうことか。人しか資産がない日本がいま発展できない状況は、簡単に説明できる。

 


おわりに

 先日、複数の大学関係者から問い合わせを受けた。「文科省の補助金事業から、アクティブラーニングが消えたって本当?」。教育改革の一環として、文科省はここ数年、アクティブラーニング、つまり学生自身が主体的に学ぶための授業改善に補助金を出してきた。問い合わせはどうやら、補助金事業がなくなったのなら、やらなくてもいいだろう、という趣旨のようだ。

 溝上氏は、学生はいま目の前のことしか見ていないという。だが、社会はどうなっていくのか、その中で自分はどう生き、何をすべきかを考えるのは、学生だけの課題なのだろうか。(奈)

 


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(2018年12月11日 17:00)
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