異見交論

大学のいまを語り、未来を考えます。
異見交論61 「大学の成績表、信じていいですか」國分裕之氏(ANA人財大学長)(2018年12月21日)

 20代から60代の多国籍の「学生」が約41,000人も在籍する大学が、東京・羽田空港にある。ANAがグループ会社の全社員を対象に教育研修目的で設けた「ANA人財大学」だ。退職まで在籍する多様な学生のために提供するプログラムは、半年で300以上。建学精神の下、歴史や哲学などリベラルアーツ科目群を持ち、勤務実態に配慮した通信講座もあるが、中心は夜を徹して語り合う宿泊型だ。その内容、態勢からは、「大学は、かくあるべき」という理想を追求する精神が見えてくる。それを後押しするのは、いまの大学に対する物足りなさだろうか。開学前から携わる國分裕之・人財大学長に聞いた。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈、写真も)


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ANA人財大学

2007年創設。キャリア支援、チーム協育、イキイキ人財の3学部を有する。本部は羽田空港、「メーンキャンパス」は同じ大田区内にある。「安全と品質を高める知とわざを磨く」「仲間との連帯感を高める徳を育む」「先輩から後輩に伝えていく心を学ぶ」――を建学の精神に掲げる。

 

■事故機が展示されたキャンパス

――メーンキャンパスを取材した。1971年に岩手県雫石町で起きた大事故の事故機が展示されていたのが、印象的だった。

 

國分 悲惨な記憶を風化させないためだ。相談役以外は誰も死亡事故を経験していない。パイロットの飲酒問題も含め、教育研修の重要さと不十分さを痛感している。まだまだ緒についたばかりと言った方がいいだろう。

 

――談話室があちこちに設けられているのも印象に残った。

 

國分 ひざを突き合わせて対話するのが、人の育成の第一歩だ。そこから仲間との連帯感や使命感が生まれる。教員にはOBやOGが多い。伝統やノウハウを伝えてほしい、キャリアの豊富な人を見つけ、65歳ぐらいまでの雇用延長期間の中で力を貸してもらう。建学の精神の実現が大目標となる。かつては、グループ内で勝手に研修をしていた。中には研修すらしたことのない社もあった。

 

連帯感を醸成するために設けられた談話室

 

――もとは60歳以降の社員教育の必要性から発足したとか。

 

國分 そうだ。社員でいる期間が長くなり、どう働いたらいいのか、働いてもらったらいいのか、労使双方から組織的支援の必要性が課題にあがった。逆転現象、かつての部下が上司になることも起きるからだ。

 3学部態勢で発足し、内定者や一般職、管理職、経営層、雇用延長組といった「階層別」と、運行乗務職、客室常務職、グローバルスタッフ職など「職種別」研修を組み立てた。ここまでは無料プログラム。そのほか、リベラルアーツや語学教育などの有料講座も設けた。有料無料を合わせ、半年で300以上のプログラムがある。

 

リーダーシップ研修(一部加工しています)

 

――リベラルアーツの定義を聞きたい。

 

國分 人がものごとを判断する際の軸になるのが教養、リベラルアーツだ。哲学や歴史や宗教。鎌倉で座禅を組む、というコースもある。自分の判断軸はどこにあるのかをきちんと見定められないと、他人とわかりあうことはできない。グローバルなエアライン、ANAの社員は、ここが肝心だ。多様なお客様と意思疎通ができなければ、ご満足も得られない。

 

――成績評価もあるのか。

 

國分 していない。人事評価とも全く関係ない。ただ、学びっぱなしはよくないので、ある程度、見える化できないかと考えている。

 

――10年たって何らかの成果はあったか。

 

國分 当初懸念されていた横のつながりができてきた。学生の満足度調査をみると、自分の会社のことだけ、という発言が影をひそめ、自分の会社はANAの構成要素で、他との連携がなければ成り立たないと理解されたようだ。全体を俯瞰できるようになっている。

 グループ全体で一貫して行なう教育研修だから、採用からどう変化しているかを追いかけることができる。各世代にどんな特徴があり、この年代にはどんな手当てがいいかも見えてくる。考え方も制度も変わっているので、配置育成管理には十分配慮しなければいけない。

 

 

■先行き不安な学生たち

――なるほど。建学の精神に掲げた「連帯感」か。で、「学生」にどんな変化が見えただろうか。

 

國分 「キャリアパスをきちんと示してほしい」。これが2010年ごろから目立ち始めた。これからどういう仕事につけるのかを示してほしい、と言うのだ。先が見えない不安からきているようだ。どういう可能性があるか、大きな方向性は会社が示せるけれど、最終的には、上司とも相談しながら自分で考えてほしいと伝えている。

 

――そもそも社員をどのように配置しているか。

 

國分 入社10年間は、キャリア形成期だ。空港での接客など3か所ぐらい経験することになる。それが終わると、キャリア活用期に移る。自分は接客中心か、経理中心かなどを考えてもらう。

 

――3か所ぐらいを経験し、自信をつけて自分の道を選び取るという仕組みと考えていいか。

 

國分 そうだ。だが、そういうキャリア形成を待てない「学生」も出てきている。特に海外の大学出身者など、外国籍の人はその傾向が強い。ジョブ型雇用※に慣れているから、現行のメンバーシップ型雇用では遅いと感じているようだ。その結果、もっとジョブホップしたいからと、辞める人が出てくる。外国籍の人や外国の大学で学んだ人に多い。日本の育成軸と海外では、10倍ぐらいスピードが違う。日本の大学生は、経験が大事だと割り切っているようだが。

 

※ジョブ型雇用

特定の仕事に就く雇用のことで、欧米企業の主流。日本では会社の「メンバー」として受け入れられ、さまざまな仕事に就く「メンバーシップ型」が一般的。

 

――グローバル化が進み、海外の人が増えれば、そういう問題はより顕著になるのではないか。これまでのメンバーシップ型の雇用は限界なのかもしれない。

 

國分 そうだ。両方をかけ合わせた「ハイブリッド」にしなければ無理だろう。今の日本の大学生をジョブ型ではとても採用できない。どんな能力を持っているかわからないからだ。我々も、自信がない。

 

――自信がない?

 

國分 税理士の資格を持っていれば、財務人材として育てられる。看板から能力がわかるから。だが、いまの大学生でこういうことを学んで、こういうことができます、とプレゼンテーションされても本当にできるのかなと首を傾げてしまう。

 

――それは大学教育に対する不安なのだろうか。

 

國分 その大学生が学んできたことや意欲を、ストレートに受け止めていいものかどうか、会社としては見極められないということだ。だから、最初はメンバーシップ型で雇用し、途中からジョブ型に切り替えていくという形があっているのではないかと思う。すでに中途採用はジョブ型で雇用している。その点から考えると、すでにハイブリット型に入っていると言ってもいいだろう。

 

――ジョブ型はその仕事がなくなったら、クビだ。

 

國分 解雇が制限されている日本では、あり得ない。我々が求めているのは、その分野のエキスパートで、同時にほかも出来る人。Aに秀でているが、BとCも人並みにはできますという人でないと。これしかできないという人を横にずらりと並べるよりも、いろいろできる人をうまく融合した方が、面積的に広がりがある。少なくとも我々の業態には合っている。いわば「凸型」人材だ。

 

 

■その成績表、信じていいですか?

――欲張りだ(笑)。人財大学の取り組みから、そのほかにどのような変化が見えてくるか。

 

國分 ここ4、5年ほど、指示待ち世代が多くなっているように感じる。上司から「これをやりなさい」といわれるのを待っている。指示が出てくれば、実にきれいにこなしていくが、できれば、自分で働く中で課題を見つけ、解決策を見つけて実践してほしい。それは社長も含め、我々が常に言っていることなのだが。

 

――知識をどれだけ蓄積するかではなく、知識を活用し、課題を発見し、どれだけ社会の課題を解決するか。それこそ、いまの大学が力を入れていることのはずだ。そうなると、大卒の価値はあるのかという問題までいってしまう。

 

國分 大卒でなければダメだというつもりはない。大学名にこだわりもない。ただ、大学4年間で何をしてきたかが、最も大事なのだ。勉強でもいいし、アルバイトを通した社会経験でもいい。ANAには多すぎると言われる体育会系でもいい。

 

――意図的に体育会系を採っているのか。

 

國分 意図的ではなく、フタを開けると体育会系が6割もいるということだ。ANAではチームワークが大切なので、チームワークを自然にできる、違和感を持たない人を採ろうとしているから。ほかの役員から「フタを開ける前から6割だろう」と言われたりもするが(笑)。いずれにせよ、入社ではなく、「人財大学」への入学でもあるから、成長したいという思いを面接で聞きたい。ANAに就職できた、万歳、終わりという人ではなく、ここが出発点だと思える人を採りたい。

 

――ANAに限ったことではないが、体育会重視が目につく。

 

國分 我々ももっと努力をしなければいけないが、ANAを志望する学生がどんな能力を持っているのか、わからない。ひとりの学生をもっときちんとみて、こういう特徴があって、長所があるので、こういう仕事で生かしてくれないか、というプラス評価のメッセージが明らかなのが、体育会のメンバーなんだ。自分はこういうことをやってきたと、本人も胸を張って言える。嘘を言えば、わかる。実は、見極めが一番怪しいのは「副キャプテン」。

 

――副キャプテン?

 

國分 体育会にはキャプテンは1人だが、副キャプテンはいっぱいいるから、深掘りしなくてはいけない。なんで副キャプテンに選ばれたのとか、副キャプテンで何をしてきたのとか、さらにキャプテンだったら何をするかとか、どんな場面でキャプテンにどういうアドバイスをしたとか。問題意識が見えてくる。

 中には虚偽申告する人もいた。いままでの体育会頼りではいかなくなったということでもある。面接の限界、見極めの限界とも言える。

 

――大学での成績表は見ていないのか。

 

國分 いままで大学の成績表には基本的にこだわらなかった。理系学部は別だが、文系は入社が決まってから、卒業できるかどうかを確認するために出してもらっている。本来なら、面接前に見て、どういうことを学んでいたのかとか、どのレベルなのかを見たいのだが、大学で何を学んだのかがさっぱり見えない。その成績表を信じていいですかと言いたくなる(笑)。成績表に書かれているのは、科目と評価、簡単に言うと「優・良・可・不可」だけだ。それではわからないことばかりだ。それを学生に面接で聞くのだが、限界がある。

 

――そもそも看板になる専門が、学問なのかどうかも怪しい学部もある。

 

國分 例えば「国際教養」。人財大学で、国際感覚、地政学、世界の状況を学んでほしい、国際教養のある人間を育てたいと常々考えている。だから、「国際教養」学部や大学を卒業した人間は学んでいるはずなので、そのエッセンスを出してほしいと思うのだが、なかなか出てこない。英語で授業をしている、というぐらいのことなのだろうか。自分たちはそこで4年間学んできたが、それを他者にどう学ばせたらいいのかとなると、なかなか決定打が出てこない。「何ができますかね」と首をかしげてしまう。

 

――科目名と評価ではなく、何を求めるのか。

 

國分 大学で学んだことを踏まえて、「こういう人物である」ということを大学がアピールしてほしい。ポジティブコメントでもいい。例えば、いきなり営業に出してもいいですよ、ということがわかるとありがたい。

 

――規模の小さな大学、あるいはST比(先生一人当たりの学生比率)が充実している大学ならできるかもしれない。大規模大学で1人の先生が50人とか60人の大学では厳しいかも。

 

國分 ゼミの先生クラスのきめ細かさを求めるのは難しいかもしれないが、本人の履修傾向とか、「成績全体からみて、この学生にはこういう強みがあります」とかぐらいは言えないだろうか。自己申告を大学が認定するという仕組みでもいい。大学が「学生と向き合う」ことを大切にするのなら、そうしたメッセージをポータブルにして就職先に届け、就職先はそれを受け取って学生時代の基礎を見る。トータルで大学と連携し、キャリアを支えるわけだ。個に焦点を当てて育成配置をしたいので、入社後は我々が責任を持つが、それまではきちんと大学が責任を持ってほしい。

 

――貴重な提言だ。少子化人口減少社会の中で、一人一人の若者が大変貴重な存在だ。面接の限界、見極めの限界とも言える。

 

國分 そうだ。学んだかと言われれば、大学生本人はそうだと答えるだろう。だから大学から何らかのエビデンスをいただきたいのだ。

 

――大学への期待を感じる。

 

國分 文句も言うが、大学は我々の時代よりはるかに個に向き合い始めていると思う。少しずつだが、一人一人の学生にアドバイスをしてくれるようになったようだ。昔の就職課も「キャリアセンター」となっているし。ならば、企業にただ押し込むだけでなく、半年に一回ぐらいは面接をして、状況を把握してもらいたい。

 少子化で、大学同士の学生獲得競争が激化している。各大学の特徴をより鮮明に出さなければいけないはずだ。その大学でしか学べないことがあるのと同時に、一人一人の学生に目をむけて、皆さんと一緒に成長を考えますというのが大学のメッセージであるべきだ。4年間、一緒に考えて過ごす。いろいろな過ごし方がある。学費に困ってアルバイト三昧という学生もいるだろう。そんな学生には奨学金をどう手当てしなければいけない、とか。アルバイトと学習の時間のバランスや、残った時間にどんなことをしなければいけない、とか。少子化の下で外国籍の学生や海外の大学卒業の学生と競うことになるのだから、日本の大学はカウンセラー的な大学であってほしい。

 

――一人一人に学生時代にアドバイスするほど、先ほど言っていた「水路を示せ」という議論に戻ってしまわないだろうか。水路を作ってもらうことに慣れてきた人が、どう独り立ちして自分の水路を自分で作っていくか。

 

國分 そこも我々は考えなければいけない。ジョブ型をにらんだハイブリッド型。水路を作るときには、この幅の中で自由に進んでほしいと考えている。それが本当のキャリアパスではないだろうか。

 


おわりに

 各大学のシラバス(授業計画)を読んでいると、必ず「到達目標」なるものに出くわす。「○○ができるようになる」「○○を修得する」などと書き込み、シラバスを見る学生自身にどんな能力がつくのかを理解させ、自覚的に学ばせようとしている。2008年に中央教育審議会が出した「学士力答申」で、学士課程でつけた能力の可視化が盛り込まれて以来、どこの大学でも続けていることのようだ。

 だが、10年経っても肝心の社会に、それが見えていない。「その成績表を信じていいですか」。この言葉が端的に物語る。もしかしたらそれは、「押し付けられた改革」の限界を意味するのではないだろうか。先日、学生調査を盛り込んだ答申が出された。新たな調査を設計する大学も出てくるだろう。10年後に「その調査結果を信じてもいいですか」と企業に返されないものにしていくには、何が必要なのだろう。(奈) 


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