ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2月24日、フランスに滞在していたヴラディ・スラヴァさん(22)は、一報をウクライナのチェルカーシに住む母・ジャンナさんからの電話で知った。「爆発の音を聞いた」と泣きながら話すジャンナさんを励まし、電話を切った後、震える手でニュースを検索し、読みあさった。「街が砲撃を受けた」「キーウに戦車の列が迫っている」--。ウクライナに住む友人たちが参加しているグループチャットは、恐ろしいニュースで埋め尽くされていた。うそのように思えるが、すべてが現実。突然、母国を襲った恐怖が、まざまざと伝わってきた。(東洋大学・樋口佳純、写真は法政大学・嘉藤大太撮影)
戦禍を逃れ、日本で学ぶ
難民が続々と国境を越える映像も伝えられた。母国と家族が心配になり、居ても立ってもいられず、ウクライナに戻ろうと計画を立てはじめたころ、ジャンナさんから涙ながらのボイスメッセージが届いた。「絶対にウクライナには戻らないで」。冷酷な現実が胸に突き刺さった。友人のつてを頼り、日本の土を踏んだのは3月16日のことだった。
母国の状況は常にスマホでチェックしている
クリミア半島の出身で、幼い頃から、日本のアニメや漫画、文化が大好きだったヴラディさん。キーウ国立大学を卒業後は、日本に留学し、日本の大学で学ぶことが夢だった。「まさかこんな形で夢に近づくとは」と振り返る。日本でオンライン授業を受けながら、7月に、無事キーウ国立大学を卒業することができた。卒業証書は、180㌔離れた町に住むジャンナさんが代理で受け取ってくれた。「共に勉学に励んだ友人と卒業を祝い、母を喜ばせたかったのだけど」と肩を落とす。
夢に近づくため、日本語を熱心に学んでいる
現在は、江戸川国際学院(東京都)に通い、日本の大学院入学を目指して、語学の勉強を続けている。ウクライナも、前線から離れた地域は、少しずつ「日常」を取り戻しつつある。「メッセージの内容が日々のたわいのない会話だと、本当に安心する」。それでも6月下旬、ヴラディさんのスマートフォンに、ジャンナさんから、泣きながら身の危険を知らせるボイスメッセージが届いた。ウクライナと日本では6時間の時差があり、目が覚めると、家族からのメッセージが届いていることもある。「何かあったのではないか」。日常のふとした瞬間に襲ってくる恐怖。きらびやかな東京の街を歩きながらも、家族や母国のことを思い出し、気持ちが沈んでしまうこともある。
ウクライナと日本の架け橋に
「明日、何が起こるか分からない。だからこそ、家族や親しい友人を大切にしてほしい」。日本の大学生に向けたメッセージは、自身に言い聞かせる言葉でもある。先の見えない日々でも、常に前を向いていくしかない。積極的に日本の文化やコミュニケーションを学ぼうと、接客のアルバイトを探しながら、大学院への入学準備を続けるヴラディさん。日本の大学院で、国際関係やジャーナリズムを学びたいと思っている。「ウクライナと日本をつなぐ翻訳家として、両国に恩返しをしたい」とさらに夢を膨らませる。
「日本とウクライナをつなぎたい」と語るヴラディさん
取材の中で、偶然にも私と誕生日が1日違いだったことがわかり、祝福のメッセージを送った。平和を守るために、大学生にできるのはまず、学び続けること、そしてその学びをどう生かしていくか考えること。平和が戻ったウクライナに暮らすヴラディさんと、祝福のメッセージを送り合える日が来ることを願っている。
学生たちが書いた習字。ヴラディさんは「栄光」と書いた
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