赤チンは元気の証 ~姿を消す「昭和の記憶」

製造初期の赤チン

 

 「赤チン」知っていますか? 名前は聞いたことがあっても、平成生まれの私たち大学生には馴染みのない消毒薬。親世代は「懐かしい」「最近見ないよね」などと口をそろえます。その赤チンの製造が、12月25日をもって終了することになりました。いったい、どんな薬なのでしょうか。

(東洋大学・佐藤道隆)

 

救急箱には必ず

 「小学校の運動会で転んで、膝に塗ってもらったよ」。埼玉県の公園で話を聞いた男性(83)が振り返ります。男性が小学生だったのは70年以上も前のこと。小中学校には置かれていても、赤チンを買う余裕がなかった家庭も多かったそうです。「最近は置いている店も見かけない。仕方がないね」と話してくれました。

 日本で1社だけ、製造を続けてきた「三栄製薬」(東京都世田谷区)の藤森博昭社長(59)が取材に応じてくれました。「赤チン」の通称で親しまれてきたマーキュロクロム液は1919年にアメリカで創製されました。それまで主流だったヨードチンキは、ヨウ素をアルコールに溶かしていたため、塗ると傷口にしみたそうです。マーキュロクロム液は傷口にしみない消毒薬として人気を博するようになりました。1939年に医薬品の規格基準書である「日本薬局方」に載せられ、赤色の見た目と従来のヨードチンキの名前を組み合わせて「赤チン」と呼ばれるようになったといいます。

 同社は1953年の創業。その歴史はまさに、赤チンの製造から始まりました。全盛期の1965年ごろは、月に10万本を製造したこともあったそうです。「赤チンを塗って、腕が赤くなった子どもをよく見かけた。赤く染まった腕は元気の証だったよ」。藤森社長が懐かしそうに話します。救急箱には必ず赤チンがある、そんな時代だったようです。

 

「赤チンには愛着がある」話す藤森社長

 

「マキロン」の登場と水俣病

 そんな歴史を変えたのは「白チン」の登場でした。1971年に山之内製薬(当時)から発売された消毒薬「マキロン」は無色で、赤くなることもありません。「赤チンにとっては脅威だった」と、藤森さんは振り返ります。「水俣病」の公害認定も追い打ちをかけました。マーキュロクロム液は、製造の過程で少量ですが水銀が発生します。廃液の処理に多額のお金がかかるようになったため、多くの原料メーカーが製造を中止していきました。三栄製薬では、「愛着のある商品だから」と製造を続けてきましたが、水銀を使った製品の製造を規制する「水俣条約」により、2020年12月31日をもって販売が規制されることも決定。ついに製造を終了することになりました。製造終了の発表以降、全国から「昭和の思い出が残る製品だった」と終了を惜しむ手紙や電話が寄せられています。同社が諏訪東京理科大学や信州大学と行っている共同研究でも、赤チン製造のノウハウが活かされているそうです。

 今回、私自身も含めて、周囲の大学生に聞いてみましたが、「マキロン」は知っていても、「赤チン」を使ったことがある人はいませんでした。一方で、その製造に情熱を注ぎ、赤チンの記憶とともに歩んできた世代がいることを、今回の取材で知りました。「赤チンは昭和を代表する消毒薬。心の片隅に覚えていてくれれば」と藤森社長。「昭和の記憶」の一端に触れる、貴重な機会になりました。

 

東京都世田谷区にある三栄製薬の本社。惜しまれながら赤チンの製造を終了する

 

(2020年12月25日 12:09)
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