戦場カメラマン・石川文洋さんに聞く ~ 大学生が取材しました

 

 

 1960年代にベトナム戦争を取材した報道写真家の石川文洋さん(85)は、現地取材で何を感じたのでしょうか。石川さんの目から見た「戦争」とはどのようなものなのでしょう。インタビューをしました。

(国学院大学 佐藤彰紀)

 

「無銭旅行」から報道カメラマンに

 

 報道カメラマンになろうとは思っていませんでした。世界一周旅行の本やテレビ番組を目にすることがあり、小さいころから「外国に行きたい」という気持ちがありました。今は格安切符があります。当時は海外に行くのはなかなか難しかった。そこで無銭旅行を計画したわけです。沖縄から船に乗り、香港に行きました。帰りの切符は用意していません。沖縄を出たときには27ドルしか持っていませんでした。

 

 香港ではニュース映画の会社に勤めて働きました。1964年8月に米軍の本格介入の契機になった「トンキン湾事件」が起きました。映像会社の仕事の中でドイツのテレビ局の香港特派員と一緒にベトナムへ行きました。戦争をしていました。当時、ベトナム戦争のことはよくわからなかったんです。はじめはムービーを撮っていました。スポンサーがつかないのでスチール写真に替え、ネガをAP通信に売りました。ワンカット15ドルです。安定した収入がなかったため、生活のためにスチールカメラマンになりました。戦場は危ないけれど、良い写真を撮れば売れますからね。日本に戻って会社勤めの生活をするのは嫌だなと思い、それから4年間、ベトナムにとどまりました。

 

 

 戦場は非常に危なかったですよ。私の記憶では、日本人ジャーナリストは15人死んでいます。このうちの12人は知っていて中でも5人くらいとは一緒にお酒を飲んだりしていました。ほかにも亡くなった人たちには知っている人が多かった。とても寂しいですね。

 

 戦場が危ないことはわかっています。私もそういう体験をしていますから。移動に使った車が、直後に地雷に吹き飛ばされたこともあります。あと5分乗っていたら、今、こうして話はできていない。私も15人の中に入っていたかもしれない。私はフリーのカメラマンだったので、誰かに「行け」と言われて、戦場に行っていたわけではありません。自分の意志で行きました。テレビ局や新聞社の仕事で戦場に行った人が多かった。みんな命をかけて仕事をしていたと思いますよ。

 

「心」で撮り、「気持ち」を伝える

 

 不器用なのでカメラマンになろうとは思っていませんでした。戦場の写真は技術でなく、心で撮るものです。戦場でけがをしている人を見て「かわいそうだな」と思ったり、爆弾が落とされているところを見ると怒りがわいたり。私は、こうした「気持ち」を大切にします。それを第三者に見てもらい、伝えていく。これが私の思う報道写真のあり方です。

 

 ベトナム戦争が終わってからもほぼ毎年、現地には行っています。当時の戦場には今、高層ビルも建っています。報道カメラマンとして変化を知ること、かつて取材した現場を長く見続けられるのは幸せなことです。

 

 

 中学校や高校、大学で講演することがあります。みんな熱心にベトナムの写真を見てくれます。学生たちからはよく「私たちに今できることは何でしょうか」と聞かれます。「現地に行ってみなさい」とも「デモに参加しなさい」とも言いません。戦争に関心を持つようにしなければならないと思います。日本の戦争についても、どういうものだったのか、なぜ起きたのかをしっかりと知ってほしい。それがロシアによるウクライナ侵略など、今、起きている戦争を考える土台になるでしょう。

 

ホーチミンの「ベトナム戦争証跡博物館」を訪ねて

 

 石川文洋さんが撮影した写真は3 階に常設展示されていました。戦禍を生きる市民の苦悩に満ちた表情や時折見せる笑顔などを収めた写真に見入っていた外国人旅行者の姿が印象的でした。

 

 石川さんの写真はなぜ、ここで常設展示されているのでしょう。きっかけは1998 年に開いた写真展「戦争と平和-ベトナムの 35 年」だったといいます。この写真展が注目され、展示作品の全てを寄贈することになったそうです。

 

 

 毎年 100 万人近くが訪れるという博物館には、石川さんが戦場で使っていたカメラ「ニコン F」も展示されています。博物館のスタッフは「展示物の中でも石川さんの写真への関心は高い。素晴らしい贈り物です」と話してくれました。

(「大学生が取材しました」は、毎月第1水曜日の読売新聞朝刊「SDGs@スクール」面に掲載しています)

 

(2023年11月 1日 19:00)
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