震災を語り継ぐ ~ 「やまがた気仙沼会」写真展

 東日本大震災から13年が過ぎた3月11日。東北や全国各地で震災を語り継ぐため、様々な催しが行われました。震災発生当時、小学校1年生だった私も、その記憶を受け継いで行かなければならないと思っています。帰省中の山形県で、毎年この時期に続けられている写真展に足を運びました。(新潟大学・鈴木美空)

 

発生当時の写真に衝撃

 

 山形県山形市の「文翔館」で行われた写真展。会場に一歩足を踏み入れると、生々しい写真の数々に圧倒されました。波に飲み込まれる魚市場、ゴムボートのように漂うフェリー、火の海になった気仙沼湾...。宮城県気仙沼市などで発行される地元紙・三陸新報などが提供する写真の数々には、穏やかで美しい震災前の街は見る影もなく、「ここまで悲惨だったのか」と衝撃を受けました。震災発生当時、小学校1年生だった私は、突然の一斉下校に続く不安な停電の夜などをはっきりと覚えています。岩手、宮城、福島の3県では多くの犠牲者が出たことについても分かっているつもりでしたが、本当はよく知らなかったのだと気づかされました。

 

 66点の写真の中には、復興を映した写真もありました。三陸道や気仙沼横断橋の写真などからは、ふるさと・気仙沼の活性化にかける人々の期待が伝わってきます。一方で、復興の過程では、記憶を伝える震災遺構が失われていくことも事実です。保存の是非を巡る議論を経て、解体された「18共徳丸」の写真を見て、街はもとの姿に戻るのかもしれないけれど、震災の記憶が薄れてしまうのではないかとも考えさせられました。

 

大学生こそ主役に

 

 写真展を企画したのは山形県内に住む宮城県気仙沼の関係者でつくる「やまがた気仙沼会」。山形県内に在住する気仙沼関係者が故郷の復興のために活動している団体です。同会副会長の熊谷功二さん(71)=写真=は、「忘れられるのが一番怖い」と警鐘を鳴らします。私と同世代にあたる「学生会員」は、年々減少しているそうです。活動できる同会の会員数も、13年前の20人から半減。熊谷さんは、「このままでは自然消滅してしまう。震災の記憶も風化してしまう」と表情を曇らせます。

 

 

 2014年に写真展が始まったきっかけは、当時の学生会員が、自分で撮影した震災時の写真を展示したことでした。「記憶を伝えたい」という学生会員の熱意から始まった写真展。だからこそ、同世代の私たちも、その思いを受け継がなければならないと感じました。

 

 震災の記憶を語り継ぐ主役は、少しずつ私たちに移ってきています。「もう13年経ったと思うかもしれないけれど、伝え続けていきたい」と熊谷さん。その思いのバトンをつなぐのは私たち大学生なのだと強く思いました。

 

 

(2024年3月12日 17:43)
TOP