戦争報道の前線知る 鴎友学園女子中高(下)

講義のようす
講義後、生徒たちは秋元記者がボスニア紛争で使用した防弾チョッキとヘルメットも手にした

 「写真に写っている光景は、果たして真実なのか。旧ユーゴ紛争の最前線で体感したことを一緒に考えましょう」。東京都世田谷区の鴎友学園女子中学高等学校(吉野明校長、生徒数1495人)で2月に行われた読売新聞による出前授業。生徒たちのプレゼン後は、秋元和夫記者と佐藤伸記者による講義だ。

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■「これは真実か」空爆の最前線で疑問

 世界40か国で写真取材を行い、数々の紛争を見続けてきたベテランが何を話すのか。静まり返った教室で、スクリーンに写しだされたのは破壊された住宅、泣き叫ぶ市民。舞台は1999年、北大西洋条約機構(NATO)の空爆を受けた旧ユーゴの地方都市だった。

 そのうちの1枚を指して、秋元記者が5月31日を振り返る。「取材拠点から現地まで直線距離で約320キロ。半日近くかけて着いた現場には、犠牲になった市民たちが我々の前に、そのまま残されていた。遺族だと紹介された人々も号泣していた」。

 ただ、この光景を前にして心に浮かんだ「これは、おかしい」という違和感こそ、生徒たちに伝えたいことだった。空爆の事実と遺族の悲しみはホンモノだろう。「でも、記者向けに現場が保存されていたのではないか。これは『真実』と言えるのか」。当時、多くの記者が感じた疑問、葛藤だと話した。


■多角的報道の意味

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紛争の写真特集紙面を示しながら講義する秋元記者(左)と佐藤記者

 ユーゴ連邦軍は空爆現場を公開してNATOを非難したが、周辺国は逆に、連邦軍から逃れてきた難民キャンプには取材規制を一切かけなかった。「国際紛争では、それぞれの勢力がメディアを利用しようとします。その意図を分かっているからこそ、複数の記者を配置して、多角的な報道態勢を敷くのです」。

 この多角的報道を解説したのが佐藤記者だ。「秋元さんがコソボにいたころ、私がどこにいたのかというと国連欧州本部のあるジュネーブです」と話し、異なるレベルで同じ紛争を取材していたことを説明。また、コソボ難民という人道支援でも加盟国の利害が複雑に絡み、国連の調停が簡単には進まなかった事情などを披露した。さらに両記者は「1枚の写真、記事だけで判断しては紛争の真の姿を正しくとらえられません。継続的に見る必要があります」とアドバイスを送った。


■1枚の写真のため...生徒たちの発見

 生徒たちにとっては、これまで聞いたことのない世界。「戦地に入る許可証はあるのか」「一番身の危険を感じた体験はどこか」「紛争地行きを断れるのか」。危険取材に関心が集中した。

 そんな疑問に対して「サラエボには、包囲網内の空港に国連機で降り立ちました」と秋元記者。国連管理下にあるとはいえ、機外で記者が相次いで狙撃された危険なスポットだ。

 では、一か八かで空港に降り立ったかというと、「そんな危ないことはしません」とキッパリ。停戦に向けた協議中は砲火の応酬が止まることを指摘し、「そのタイミングを逃さず国連機に乗るんです」。

 生徒たちの受け止め方は多様だった。

 新井海聖さんは「99.99%の安全を確保してから一歩前へ進むという話が出たが、危険なことに変わりないのではないか」と思った。そのうえで、「そこまでして1枚の写真、1行にこだわるのは、使命感があるからだと感じた」

 1つの事実を書くには、その20倍の取材を積み重ねている。その姿勢に感銘を受けたのは上野春実さんだ。「40面の新聞には、単純計算でも800面相当の情報収集への努力があることが分かった」と話し、新聞という媒体への見方が変わったという。


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■ここまで頑張るとは...

 同校の総合学習担当・木戸英輝教諭は「1枚の写真から、自分たちの力で情報を深く掘り下げられたことが収穫」と話す。

 また、多くの生徒たちが発表直前まで粘り、内容や切り口を見直した点について触れ、「自ら調べ、考えて、さらに発信するには、様々な道があることを学べたと思う。道が閉ざされたグループは引き返し、新たな道を探していた」と満足そうだった。

(2015年3月 9日 09:30)
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