2024年の直木賞作家・河崎秋子さん&万城目学さん、関西大学で熱弁...読書教養講座
関西大で2024年10月に相次いで登壇した(左から)万城目学さん、河崎秋子さん
読書の楽しみを作家が語る「読書教養講座」(活字文化推進会議、関西大主催、読売新聞社主管)が10月4、12日、大阪府吹田市の関西大で開かれた。直木賞作家の河崎秋子さんと万城目学さんが講師を務め、創作の舞台裏を明かした。(編集委員 西田朋子)
明治の北海道を描写、想像力を駆使...河崎秋子さん
かわさき・あきこ 1979年北海道生まれ。2015年『颶風(ぐふう)の王』でデビュー。酪農と羊飼いの仕事をしながら創作し、現在は作家専業。19年『肉弾』で大藪春彦賞、20年『土に贖(あがな)う』で新田次郎文学賞、24年『ともぐい』で直木賞。
皆さんと同じ大学生の頃は文芸サークルで小説を書いていた。当時は書く動機も技術も足りず、30歳を前に再び書き始めた。デビュー作『颶風の王』は、北海道東部で馬の飼育を生業とする家族5世代の物語。私は北海道の話、それも明治時代を題材に書くことが多く、どうすれば人の心に届くだろうかと、いつも考える。
北海道の植生や動物の生態、季節感は、本州と違う。逃げた馬を捜すために、小学生の女の子が夜の森に分け入る場面がある。酪農の家で育った私にも、夜の森に入った経験はない。揺れる木々、獣(けだもの)の気配、滑空する猛禽(もうきん)......。少女が歯を食いしばって歩いた真っ暗な森の中を、想像力を駆使して描写した。五感は、作者にも読者にも共通する。
『ともぐい』の主人公は明治後期、北海道の人里離れた山中で独り、狩猟をして生きる男だ。冬眠しない「穴持たず」の巨大な熊を追う場面で、野営のために「まだ緑の葉が繁(しげ)る松の枝」を集める。エゾマツだが、そうと書かなかったのは、男はおそらく固有名詞を知らないから。「あえて書かない」という表現もある。生々しい生きた文章は、そのようにして生まれる。
事物に名前を付けて分類するのは、人間だけだ。言葉で表現する時、そこに驕(おご)りは、思い込みは、ウソはないか。表現する対象に、どこまで誠実でいられるか。それが小説を書く面白さであり、難しさでもある。物語はウソをはらむ。ものを書く時、必ず取捨選択が起こる。それによって、共感や没入が生みだされる。作家の罪深さと、物語の不思議さがここにある。
暗い世界を捨てた「鴨川ホルモー」で夢かなった...万城目学さん
まきめ・まなぶ 1976年大阪府生まれ。2006年『鴨川ホルモー』でデビュー。同作のほか『鹿(しか)男あをによし』や『プリンセス・トヨトミ』が映画化、ドラマ化された。24年『八月の御所グラウンド』で直木賞。最新作は『六月のぶりぶりぎっちょう』。
京都大3回生の時、自転車をこいでいて風に吹かれて一瞬「空っぽやな」と思った。この中ぶらりんな感じを残したい。それで長編小説を書き始めた。今の時代ならSNSに「#何もない俺」とでも投稿して消化したかもしれない、小さな目覚めだった。
そこから暗黒の20代が始まった。新人賞に応募しては落選。自分の個性は自覚できないもので、1作書いては違う、これも違うと、少しずつピントを合わせるしかない。30歳を前に「これが最後」と決めて、それまでの暗い世界を捨て、ひたすらアホな話を書いた。その『鴨川ホルモー』で夢がかなった。
僕の小説は自由に見えて、実はガチガチの管理サッカーみたいなもの。結末は決まっていて、人物には役割がある。新幹線に例えると、主要駅が決まれば、あとはゴールまで枕木を1本ずつ敷く。『偉大なる、しゅららぼん』なら、「琵琶湖を割る」という発想がエンジンになる。長い旅の道筋に非日常の変な話があると、頭が活性化して楽しい。
「何を書くか」と表現力が、小説の両輪になる。中学生の頃に歴史小説、大学時代は近代小説をたくさん読んだ。夏目漱石は漢籍を使うバランスが絶妙で、誰よりうまく、読みやすい。到底まねできないが、中島敦のうまさにも憧れる。映画、スポーツ、漫画、ゲーム、面白いと思えば何でも経験することにしている。
もともと純文学に憧れがある。読者が期待する「マキメワールド」から少し外れるかもしれないが、思いの丈を詰め込んだ小説も時には書きたいと思う。