「本の街」の食を語る【特集】ひじりばし博覧会2025

 「本の街」として知られる東京・神保町の魅力を発信する「ひじりばし博覧会2025」(東京文化資源会議主催、読売新聞社など協賛)が5月5日、東京都千代田区の御茶ノ水ソラシティで開かれ、座談会や自費出版物「ZINE(ジン)」の展示即売会など、幅広いイベントが行われた。神保町の「食の街」としての魅力に焦点を当てたトークイベントでは、テレビドラマ化もされた人気漫画「孤独のグルメ」原作者の久住昌之さんやタウン情報誌「おさんぽ神保町」の創刊者で編集長の石川恵子さん、文化政策を研究する太下義之さんが、一押しの店を紹介しつつ語り合った。

 

「孤独のグルメ」の原点 さっとカレーのイメージ

 久住 高校卒業後、神保町の美学校に通い始めた。未知の街での週1回の授業で、昼の実技と夜の講義の間に自由時間があり、そこで初めて一人で「さぶちゃん」というラーメン店に入った。おそるおそるラーメンを食べたけど、周りもみんな一人で楽しそう。次の週には餃子(ギョーザ)店「スヰートポーヅ」に入り、初めての相席を経験した。この店では、しょうゆにラー油じゃなくて、唐辛子で食べる。ご飯をわざわざ置いて、冷ましてから出してくるのも面白かった。翌週の天丼店でもみんな一人。神保町は一人で食べに行く文化があって、大人になったような気がした。老舗喫茶店「さぼうる」にもだんだん行くようになった。

 新宿や渋谷とは明らかに違った街で、「今週は何を食べよう」と悩むのが楽しかった。一人で知らない食べ物屋に入る冒険や、「面白いぞ」と思う体験が大きくて、それが「孤独のグルメ」の原点になった。

 

 石川 食文化で言うと神保町は「カレーの街」のイメージがある。カレー店の中でも私が憧れていたのは、「キッチン南海」のような大盛りの店。大盛りと言えば、「レストランカロリー」も学生に人気だ。学生だった頃に通った人が今でも訪れ、「ご飯を半分に」と言う人もいる。神保町は、学生や先生が使った本を売り買いする街。学生さんはウェルカムで、おなかいっぱいになってほしいという心意気でやっている店が多い。

 古書店でお目当ての本を見つけるのに時間をかけたい人も多い。そんな人が、さっと食べて出たい。なんなら食事をしながら本を読みたいという人も多いので、スプーン1本で食べられるカレー店がはやったのではないか。

 

 太下 (トークイベントの)参加者に事前アンケートで「神保町のイメージ」を尋ねたところ、ほとんどの人が「食」を挙げていた。洋食、ラーメン、中華、カレー、喫茶店......。カレーが一番多かったかな。

 神保町は「本の街」のベースがあって、その背景には東大をはじめとする多くの大学の発祥地だったことがある。学生、留学生も多く、書店ができて多くの人が一人で訪れる。そんな成り立ちがあるので、飲食店も独特の傾向を持っている。この街の文化的な背景の上に、「孤独のグルメ」も乗っかっている。(敬称略)

 

久住昌之さん

くすみまさゆき 81年に漫画家デビュー。谷口ジローさんと手がけた「孤独のグルメ」はドラマ化もされ、海外でも人気だ。

 

石川恵子さん

いしかわえみこ 2006年にボランティアらで制作する「おさんぽ神保町」を創刊。同誌は年2回、計8万部を発行する。

 

太下義之さん

おおしたよしゆき 文化政策研究者で、東京文化資源会議幹事。文化経済学会<日本>監事も務め、食文化にも精通する。

 

ZINE即売会

 個人や小さなグループの自費出版物「ZINE(ジン)」が、多くの世代で人気を集めている。イベントでは、ジンの展示即売会「JIMBOCHO ZINE FAIR」が初めて開かれた=写真=。

 即売会には、大学生やデザイナー、会社員らによる18のグループが参加。観光地によくある顔はめパネルを集めた写真集や、現代文学の評論、大学を舞台にしたエッセー漫画など幅広い作品が並び、来場者は興味深そうに手に取っていた。

 

 自作小説をまとめたジンを出品した東京都内の会社員江藤健太郎さん(25)は「面白いものが書けたから形にした。多くの人に読んでもらいたい」と期待した。展示会に訪れた横浜市の会社員横内淳さん(68)は「ジンは、出版社が出さないようなマニアックな情報があるのが良い」と話した。この日は、ジン制作のワークショップも行われた。

 

ホールや劇場など確保を 神保町の未来話すシンポ

 神保町を将来、どのように発展させていくべきなのか――。神保町の未来を話し合うシンポジウムでは、学識者らで作る「東京文化資源会議」が、神保町の将来像を提案した。神保町を「書籍だけではない文化資源が集中した特別な街」と位置づけ、事業継承や老朽化した建物の建て替えなど、街並みの維持活用に課題が山積していると指摘。ホールや劇場など、多くの人が夜に集える場所を確保するなど、新たな街の楽しみ方も模索するべきだとした。

神保町の将来ビジョンについて議論が交わされたパネルディスカッション(5日、東京都千代田区で)=岩佐譲撮影

 

 パネルディスカッションも行われ、書店振興に取り組んでいる経済産業省文化創造産業課の佐伯徳彦課長は「文化の集積地として神保町がどうなっていくかは、文字・活字文化の将来にとっても大切なことだ」と強調。古書店「高山本店」4代目の高山肇さんは「昔は今以上に学生街だった。もっと大学と一緒にいろんなことをやっていくべきだと思う」と述べ、大学との連携を進めて活性化を図るべきだと訴えた。

 

 地元・千代田区の樋口高顕区長は、本好きのためのホテルや、棚を貸し出す「シェア型書店」など新しい形態のビジネスが誕生していることを紹介し、「産業の実態がないと、街並みだけ守っても張りぼてになる。次の時代の生業(なりわい)をサポートしていきたい」と語った。

 

東京文化資源会議とは

 官民学の様々な分野の関係者が参画し、上野や本郷、神保町など、東京都内の特色ある文化を持つ地域で、幅広い文化資源を生かしたプロジェクトを進めている。神保町の持つ文化資源の充実・活用や情報発信を目指して昨年6月に発足した「神保町文化発信会議」にも参加している。

 

古書店街、JR中央線沿線との違いは? 店主ら座談会

 東京で古書店が根付いている街は、神保町だけではない。阿佐ヶ谷や荻窪、中野といったJR中央線沿いにもあちこちにあり、独自の文化を築いてきた。これらの古書店の違いは何なのか――。古書店主や研究者らが座談会で語り合った。

東京古書会館で毎週金、土曜に開催される「古書即売展」の準備をする古書店主。ここでの即売展は大正時代から続くとされる(5月23日、東京都千代田区で)

 

 参加したのは、近代出版研究所の小林昌樹所長、東京経済大の大尾侑子准教授(メディア史)、阿佐ヶ谷の古書店「ネオ書房」の店主切通理作さん、神保町研究で米ハーバード大の博士号を取得したスーザン・テイラーさんの4人。

 

 日本に留学した2007年に初めて神保町を訪れたというテイラーさんは、古書店主が商品を売り買いする「古書会館」に注目。神保町の東京古書会館は、研究に使える専門的なジャンルが目立つ一方、高円寺の西部古書会館では、趣味に関する古書も多く、「雰囲気が全然違う」と語った。

 

 この背景について、テイラーさんは、生活圏の近さに違いがあると指摘した。大尾准教授は「神保町は文化の薫りを感じるシンボルのようになっているが、若者にはハードルが高い。一方、中央線沿いの古書店は、どれを買ってもいいという優しさがある」と語った。

 

 サブカルチャー色もある神保町の古書文化については、小林所長は「中央線沿線から神保町に進出してきた」との見方を示した。切通さんは、SF小説や映画などのサブカルが好みだといい、神保町のお気に入りの書店にも足を運び、書店2階にブックカフェをオープンしたと紹介した。

 

 話題は外国人客にも及んだ。大尾准教授は、中国出身の留学生には日本のアニメをきっかけに古書店に関心を持った人もいると指摘。テイラーさんは「神保町以外の古書店がわからない外国人向けに、中央線沿いの古書店をまとめた地図を作ってほしい」と注文した。

 

学生が街づくり提案

 神保町をより良い街にしていくためには何が必要か――。地域とゆかりがある明治大と日本大、共立女子大で建築やデザインを学ぶ学生たちが、ソフト・ハードの両面から新たな街づくりのアイデアを披露する発表会が開かれた。

明治大の馬場さんが考案したオフィスビルのイメージ図=馬場さん提供

 

 明大の学生は、神保町駅前交差点近くに8階建ての出版社ビルを設計する想定で課題に取り組んだ。3年の馬場咲和花さん(20)は、ビルの1、2階を「町の延長」として、階段や路地で立ち読みできる「ブックカフェ」とすることを構想。3階以上はオフィスとなるが、6階までは小規模、単独経営者が借りられる共有オフィスにするという。

 

 一方、日大の学生は、一つの街区を開発する計画を考案。4年の清水とおるさん(21)らのグループは「神保町の継承と発展」を基本概念に、「サステナブル(持続可能)で未来のお手本になる古書店街」や神保町の古書店の歴史を伝えるミュージアムなどが入る複合施設を整備するとした。

 

 チョウがひらひらと花に集まるように、人々が自然とくつろぎに来る場所を――。そんなイメージのもと、題して「ひらり堂」を企画したのは、共立女子大の伊沢舞さん(21)らのグループだ。子どもや家族連れが少ない街の課題に着目し、足湯や食堂を整備するほか、仕事帰りの会社員らをターゲットに午前1時まで営業するバーも設けるとした。

 

 発表を終えた明大の馬場さんは「日大の提案は現実的で、共立女子大は利用者を意識した細やかな視点だった。とても勉強になった」と話していた。

(2025年5月30日 18:00)
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