大学を歩く:手間ひまかけた「いただきます」 学生たちの感想は 帯広畜産大学(2)

<<豚飼育から加工まで「いただきます」の意味学ぶ


 自分たちで育てた豚を食べる――手間ひまかけた「いただきます」を学ぶ授業は、学生たちの血肉となっているようだ。今年度の授業を受けた1年生に、振り返ってもらった。



 生きているブタとスーパーに並んでいる豚肉は、どこか別物なのではないかという認識がどこかにありました。しかし、実習を終えて考えが変わりました。私たちが普段何気なく食べているものはすべて、動物や植物の命なのだと思うようになりました。食べ物としての動物、植物ができる背景にはたくさんの人が関わっていること、ひとつの命をいただいているということを忘れずにしていこうと思います。

 電気ショックを受けて気絶し、と殺されていく豚の苦しんでいる表情を今でも鮮明に覚えています。命の重さはどの生物もみんな同じであるなかで、私たち人間が多くの命の犠牲の上に生きていることを胸にとめ、この先も学んでいこうと思っています。この実習は、いただきますという言葉の本当の意味を教えてくれました。一生忘れられない経験です。

峯口祐里

 自分が大切に育てた豚を殺すところを見るなんて、正直嫌でした。今後豚肉が食べられなくなるとさえ思いました。実際、そのときには何とも言えない感情になり、自然と涙が出ていました。
 けれども、いまでは実習に参加して良かったと思っています。「食べる」行為は私たち人間にとって必要不可欠なもの。命をいただく大切さを実感し、収穫祭で食べた時も改めてありがたいことだと思いました。

辻村 梨紗

 本物の豚を見たのは初めてで、「こいつらも6月にはお肉になるんだな」と思いながら餌やりや掃除をしていました。豚を「トンカツ」「フランクフルト」などと呼んでいたこともあり、肉になるということを強く感じながら世話をしていました。

 けれども、電気ショックで豚の生気がなくなっていくのを見た時には、死を身近に感じました。電気ショックをあてられた時の、豚のキュッと目をつぶった顔は忘れられません。その後の食肉加工で見慣れた姿になっていき、刃物を自在に扱う先生の手から目を離せませんでした。

 後日、下処理の作業やその肉を使ったソーセージ作りをしました。収穫祭で食べた時に、肉になるまでの過程を知ったことで、いかに大切で重みのあるものかを感じることができ、いつもよりもおいしく感じました。命をいただく、という意味を本当の意味で実感することができたように思います。

林萌友

 その日、大きく育った豚をリヤカーに乗せてと畜場まで運びました。見たくないなという気持ちもありました。しかし、食べるのであればちゃんと見なくてはいけないと思い、最前列でみました。血もたくさん流れるので、結構衝撃的でした。

 その後の解体作業はとても大変です。現在、豚の解体は機械化されていますが、今回は先生方が包丁で解体してくれました。四肢を切り、皮をはがし、内臓を取り......最後に骨が付いた2枚の枝肉となりました。臓器をきれいに並べて食肉検査員の方が丁寧に説明してくれました。教科書の図ではわからない感触や大きさを五感で体験できて、この授業に参加できて良かったと思いました。

 実習の締めのソーセージ加工実習は、おいしいものが食べたいとワクワクしながら楽しく作りました。育てた豚の顔を思い浮かべながらも、豚肉は美味しいねと言いながらみんなでわいわい食べるホットドックは、最高の味でした。

伊藤野晴

 農業高校出身なので、鶏を飼い、その命をいただく経験はありましたが、豚は初めてでした。同じ命ではありますが、私のなかで身体の大きい生き物の方が命が重いという勝手な差別があり、鶏をほふるより大きな緊迫感に包まれていたことを覚えています。

 血が流れる瞬間は辛かったですが、解体までいくと、スーパーで見慣れた肉の形になり、緊張がほぐれました。せっかくの命なのだからせめておいしくなれと、ソーセージ加工では頑張りました。改めて命の大きさを実感しました。

須田空流

 豚の世話は面倒だったが、その日が近づくにつれ、とても悲しく、切ない気持ちになった。電気ショックを受けた豚を見た時の衝撃を、今でも覚えている。生き物を殺す仕事は向かないだろうと思った。

 解体している間は、辛くはなかった。むしろ解体した豚の内臓に触るなど、貴重な経験の機会を得たと思った。ソーセージを自分たちで作ったのは本当に面白かった。2種類作って味比べをしたり、パンにはさんで食べたりし、食べ物の有難みを実感できた。畜大に入って良かったと思った。

髙玉 拓生
(2015年1月 8日 07:00)
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