2030 SDGsチャレンジ

戦争 もう二度と......体験した人に聞く

 

小学生と保護者計10人が参加

 戦争を体験した人に当時の話を聞いて平和について考えるイベントが8月、東京都新宿区の薬王寺地域ささえあい館で開かれた。小学生と保護者計10人が参加し、食べ物や疎開、空襲などについての話に耳を傾けた。夏休みの自由研究にも活用できるように、新聞にまとめるためのアドバイスも行われた。

「戦争体験を聞いてみよう」で小学生に体験を語る副島健さん(左)本田孝子さん

 イベントは新宿区と同館が企画。太平洋戦争を体験し、現在は区内に住む人に語り部としての参加を依頼した。副島健さん(89)本田孝子さん(87)が出席し、当日所用で参加できなかった村上れいさん(89)は事前に収録したビデオで子どもたちに語りかけた。

 

宝物は「食べ物」

 副島さんは小学6年生のときに東京・世田谷から長野県須坂市(当時は須坂町)に学童疎開した。疎開先のお寺での食事は、ご飯と味噌汁と漬物だけ。お菓子はなかった。「よかったことは、砂糖がなかったから虫歯にはならなかった」。自分で竹を切って竹馬を作ったり、お手玉をしたりして遊んでいたという。

 参加者から「当時の宝物は?」と聞かれて「食べ物でしたね」。子どもたちにとって食べ物は最大の関心事だった。

 疎開先では「なぜこんなところに来たんだろう」と思わない日はなかった。「私が疎開したときの小学6年生というのは親をうっとうしく感じ始める年ごろ。でも、家に帰りたくて仕方がなかった。皆さんが家族一緒に過ごせるというのは、とても幸せなこと。この平和がいつまでも続いてほしいと思っています」と語った。

 

帰京した翌日 空襲で母が亡くなる

 本田さんの疎開先は愛知県一宮市だった。ときどき母親が東京から会いに来てくれた。体の虱(しらみ)を取ってくれるのがありがたかった。1945年(昭和20年)3月9日、母が東京に戻った翌日の10日、東京大空襲があり、二人の姉とともに母も亡くなった。姉二人の遺体は見つからなかったという。「その後は父が懸命に育ててくれたけれど、お母さんが生きていたらと何度も思った」

 食べるものがなかったから、口に入るものは何でも食べた。終戦後、進駐軍にチョコレートもらって初めて食べて「何ておいしいんだろう」と感激した。 いま気がかりなのはロシアによるウクライナへの軍事侵攻だ。「逃げ惑うウクライナの子どもたちをテレビで見て、弱い者が大変な思いをするのは、昔の自分たちと同じだと感じる。一日も早く戦争が終わることを願っています」と話した。

 

戦争はこりごり

 ビデオで語った村上さんは、茨城県に疎開していた。「帰れ、帰れ」といじめられたという。学校に持って行った弁当のおかずは梅干し一つ。食事はおかゆが多かった。「何でもいいからおなかいっぱい食べたかった」

 終戦のときは「これで命が延びた」とほっとしたという。ロシアがウクライナに侵攻し戦争が続いていることについては「戦争はもうこりごり。やめてほしいです」と訴えた。

 イベントでは、太平洋戦争、疎開、東京大空襲などのキーワードについて、読売新聞教育ネットワーク事務局の橋本弘道記者が説明。3人による話が終わった後、新聞にまとめる方法や関連項目の調べ方、戦争に関する児童向けの書籍などについても解説した。

※副島さん、本田さん、村上さんの体験談の記事にある顔写真は、薬王寺地域ささえあい館が収録したビデオ映像からのものです。

 

 

平和を守るために できることは?


イベントもとに新聞を作成 山根 理代さん(新宿区立牛込仲之小3年)

山根 理代さん 読売KODOMO新聞も愛読している。「いろいろなことを知ることができて、新聞を読むのは楽しい」 ※撮影時だけマスクをはずしてもらいました。


■今は好きなものが買えるのに

 イベントに参加した新宿区立牛込仲之小学校3年の山根理代さん(8)は、「夏休み新聞」というタイトルの新聞を作った。イベントの内容を伝える記事のほかに、「太平洋戦争」の説明、ひとコマ漫画、コラムまである本格的な新聞だ。理代さんが母の理嘉さん(会社員)と相談しながら作成した。

 山根さんがイベントを知ったきっかけは、学童クラブで配られたチラシ。自宅で両親に見せたところ、「貴重な機会だから参加してみたら」と言われて申し込んだ。

 副島さんと本田さんの話を聞いて、今の時代との違いが強く印象に残った。

<自分がやりたいことが出来るのがふつうだと考えていました。けれども昔は違いました。食べたいものも食べられなかったそうです>と記事に書いた。

「今だったらスーパーでいくらでも好きなものが買えるのに、戦争中はそれができなくて大変だったなあと思った」と話す。

真っ先に質問

 副島さんと本田さんの話が終わって質問の時間になると、真っ先に手を上げた。

「戦争が終わった後、どうやって今の日本を作り上げてきたんですか?」

 副島さんは「戦後すぐは何にもなかった。5年後ぐらいですかね、お菓子屋さんができたりしたのは。アメリカ軍の援助でずいぶん助かった」

「夜も昼もなく働いたことですね」と本田さん。「それと、親子、家族、隣近所が助け合ってきたことですね」

 イベントの前、父親の稔さん(会社員)から太平洋戦争について聞いた。日本が負けたことを知って、「やり返せばいいのに」と思ったが、副島さんと本田さんの話を聞いて考えが変わった。「絶対に戦争はしてはいけない。ウクライナとロシアの戦争も早く終わってほしい」

山根さんが作った「夏休み新聞」

 

■戦争をなくすには

 でも、戦争はなくなるのだろうか? コラムにはその不安が書かれている。

<私はこれから戦争が多くなるのではないかと思いました。なぜなら新しい物がたくさん生み出されているので色々な国の人たちが取り合うかもしれないと思ったからです。私は、今の平和を守っていくために、何が自分に出来るか考えて行きたいです>

 その考えは少しずつ形になってきている。

「新しいものを開発したら、全部じゃなくてその一部を少しずついろいろな国に分け与えればいいんじゃないかと思うんです。与えられた国は、その一部を使ってそれぞれ自分たちのものを開発する。そうすれば、戦争は起きなくなるんじゃないかな。でも、ちょっとでも分け与えるのがいやだという国があれば、どうしたらいいか、それをこれから考えます」

 将来は水族館の飼育員になりたいという。イルカや魚を入れる大きな水槽を作るのが夢だ。「海のごみでイルカや魚が困っているでしょう。とっても大きくて、きれいな水槽に入れてあげれば苦しまなくてすむから」

 次々と生まれるアイデアが、戦争や海のごみをはじめ、さまざまな地球の課題を解決するのにきっと役立つはずだ。

 

(2022年9月13日 10:00)
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