「発酵の里」藍染めでPR(千葉県神崎町立米沢小学校)
千葉県神崎(こうざき)町では古くから酒やみそ、しょうゆづくりが盛んです。地元小学生は、同じく「発酵文化」の一つである藍染めに取り組み、人口減少下でも住み続けられる、魅力あるまちづくりにつなげようとしています。
(教育ネットワーク事務局 石橋大祐)
マラソン参加者に手染めのTシャツ
神崎町に2つある小学校の一つ、町立米沢小の家庭科室には1月31日、3年生から6年生までの22人が集まっていました。漬物に使う「ぬか床」のようなにおいが漂う。プラスチック製のたらいに入った染色液がにおいの源です。
子どもたちは、小さく畳み、輪ゴムで縛った白いTシャツを漬け込んでいきます。しばらくして取り出し、輪ゴムを外して広げてみました。生地の重なった部分は白いまま、染色液につかった部分は緑がかったまだら模様になっています。空気に触れると、鮮やかな藍色に転じました。
藍染めのTシャツは、5月19日に行われる「神崎発酵マラソン」の参加賞です。当日、ランナーに着てもらおうと、事前に送り届けます。
藍染めには植物の葉を発酵させた染料が使われていました。町にもかつて2軒の染物屋がありました。酒、みそ、しょうゆと並び、藍染めが「発酵の里こうざき」をPRします。
家庭科室で子どもたちの作業を見守る町職員沢田聡美さんの母の実家は、このうちの1軒でした。藍染めの着物姿の写真を名刺に使う沢田さんは、地元では「お里」の呼び名で親しまれています。
たらいからTシャツを引き上げた一人が声をかけました。
「お里さーん、見て。チョウチョみたいだよ!」
沢田さんは「藍染めは同じ模様はないからね。次はどんな模様になるかな」と答えます。2つとない模様のTシャツができあがりました。
「人口が少ない町」だからこそ
神崎町は千葉県で最も人口が少ない町でもあります。5年に1度の国勢調査によると、2000年の6747人をピークに減少が続き、20年は5816人となっています。
山間部にある米沢小の児童数は36人。1959年には326人だったので、この60年余りで10分の1程度の規模になりました。3、4年生は複式学級で授業を受けています。
飯島純子校長は規模が小さいことを「強み」と考えています。「児童が少ないから小回りがきく。学年を超えて色々なことができる」
昼休みに誰かが鬼ごっこを始め、気がつくと全校児童で楽しんでいた、ということもありました。保護者の協力も得ながらの学習は、学年にこだわらず柔軟に対応できます。3年生の保護者で藍染め作業を手伝った成毛瑞穂さん(52)は「本来の学年ではやらないことも経験できる」と話します。
少人数だから人任せにできない。自主、自立の心が育まれていきます。こうした環境が評価され、近隣の香取市など町外からの通学希望が寄せられています。これまでに「越境」も受け入れてきました。
神崎町 千葉県北部に位置する。北総の穀倉地帯として知られ、江戸時代には酒やしょうゆなどの醸造業が発展した。1955年に当時の神崎町と米沢村が合併し、66年に茨城県東村と河内村の一部が千葉県に割譲、神崎町に編入され、現在に至っている。町北端の神崎神社境内には通称「なんじゃもんじゃの木」がある。水戸光圀が「この木は何というもんじゃろか」と自問自答したと伝えられるクスノキで、町のシンボルとして親しまれている。町の規模としては、人口が県内最少であるだけでなく、面積19.9平方キロ・メートルは54市町村中52番目となっている。
再興に期待
家庭科室での藍染めの作業は、ほぼ2時間。手作りしたTシャツは何枚になったのでしょう。「お里」の沢田さんが告げます。
「82枚!」
子どもたちからは歓声があがります。
町を紹介する動画づくりを担当した5年の女の子は「手で染めるのは時間がかかって大変だったけど、一枚一枚に心を込めた」と楽しげに振り返ります。沢田さんも「頑張ったね。藍染め工場ができるね」と笑顔になりました。
神崎発酵マラソンは、藍染めのオリジナルTシャツも、参加者にとって大きな魅力となっています。子どもたちは今年も藍染めのTシャツを着たランナーが町を駆け抜ける光景を楽しみにしています。
「藍染めを手がけた子どもたちの中から将来、職人が出てくれるとうれしい」
沢田さんは、神崎町の藍染め再興を、ひそかに期待しています。