2030 SDGsチャレンジ

スペシャリストに聞く

100年計画で森を再生 記者の目

赤谷の森(日本自然保護協会提供)

 

イヌワシを救うべき五つの理由

 

 日本一の流域面積を誇り、関東平野を潤す利根川。その最初の一滴が落ちるのが、「赤谷プロジェクト」の舞台・群馬県みなかみ町だ。この町は関東地方で唯一の日本海側気候で、北部では降雪量も多い。約1万ヘクタールある赤谷の森も、そんな山々の一角に広がっている。

 


赤谷の森に棲むイヌワシ(日本自然保護協会提供)

 

 新聞記事では紙幅の関係から簡単に触れるしかなかったが、日本自然保護協会と林野庁はなぜ、一帯の国有林をスギ・カラマツなどの人工林から、広葉樹林を中心とした自然林に戻そうとしているのか。そのシンボルはなぜ、イヌワシなのか。知床半島や白神山地などの国有林伐採でことごとく対立していた両者が歴史的和解を果たし、この共同プロジェクトを始めたのはなぜなのか。

 

 ここは丁寧な説明をしないと、経緯を知らない一般の人には真意が伝わらないかもしれない。プロジェクト開始を最初に報じた記者として、その背景をSDGsという今日的な観点から改めて説明したい。

 

 まずは、イヌワシの話から。この大型猛禽類の保護活動を手弁当で進めてきた日本イヌワシ研究会によると、国内には2015年時点で推定約500羽のみが生息している。それまでの33年間に107つがい、全体の3分の1の個体がいなくなったことも報告されている。イヌワシはいつ絶滅してもおかしくない鳥なのだ。

 

繁殖率は急降下中

 

 その理由は、繁殖成功率の急降下にある。調査が始まった1980年代前半には成功率が50%台で安定していたが、91年以降は20%台前後と絶滅すれすれの低空飛行を続けている。原因はいくつかあるが、突出して多いのが餌不足だ。その結果、そもそも繁殖行動に入らない、産卵してもヒナが餓死してしまう。その事実と、親鳥がヒナのためにノウサギやヤマドリ、ヘビ類などを狩る場所が年ごとに少なくなっている事実が明確に符合する。

 

 日本の森林は林野庁が60年代に打ち出した「拡大造林政策」で、国有林・民有林ともに自然林が伐採され、山という山はスギ・ヒノキなどの針葉樹に植え替えられていった。山は畑になったのだ。

 

 人工林の樹高がまだ低かった当初は山の斜面などに空隙ができ、イヌワシの狩り場もいったん増えた。しかし、人工林が高木に育つにつれ、狩り場は縮小していった。薪炭からガスや電気への移行、かやぶき屋根の減少など、山間地に住む人たちのライフスタイルの変化も、狩り場の減少に拍車をかけた。

 

 林野庁によると、国産材の価格がピークだったのは高度経済成長の只中だった80年。やがて海外産に価格面で太刀打ちできなくなると、木材搬出のための伐採が止まる。それどころか、間伐や枝打ちなどの手入れもされなくなり、ほったらかしになって現在に至る。

 


密度高く植栽された人工林では地面のノウサギなどを捕ることができない(日本自然保護協会提供)

 

 そうした人工林に分け入ると、薄暗く、細かい木がぐちゃぐちゃに折れたままになっている。鳥類など生物の鳴き声も聞こえず、沈黙が一帯を支配する。羽を広げると2メートルにもなるイヌワシが獲物を空から襲う開けた場所は最早ない。ノウサギたちにとっても棲みづらい場所になった。

 

森のバロメーター

 

 イヌワシは食物連鎖の頂点にいる。その生息域が餌となる動物たちの棲める場所でなければ、イヌワシも棲めない。しかも、この大型猛禽類は平均で6000ヘクタール程度を行動範囲とする。イヌワシの消長が森の消長を測る指標になるわけだ。

 


センサーカメラで撮影したノウサギ(日本自然保護協会提供)

センサーカメラで撮影したホンドテン(日本自然保護協会提供)

ツキノワグマ(日本自然保護協会提供)

 

 森は動植物の棲みかとしてだけではなく、水源の涵養、洪水の抑制、二酸化炭素の固定と、さまざまな「生態系サービス」を提供する。それを私たち人類はこれまで無償で使ってきた。イヌワシを救うべき一つ目の理由は、森に依存して生きている動植物と私たち自身の生存のため、森全体を健全なまま守っていくことにほかならない。二つ目の大切な理由は、他の生物をこれまでのように絶滅に追いやる権利など私たち人類にはないという猛省だ。

 

 林業に携わる人たちとイヌワシも一蓮托生。いわば運命共同体だ。一般の人が国産材を使いたくなる仕組みを考え出さなくては、うっそうとした人工林は伐採されず、イヌワシの狩り場もできない。民有林での林業も、職業としてなりたたないのなら、人間はそこには住めない。国有林のあるべき姿が問い直されたのも同じ理由から。植林から伐採まで林業が健全かどうかはイヌワシの存在がひとつの指標となる。これがイヌワシを救うべき三つ目の理由だ。

 

「ミライ」誕生とこれから

 


2020年に巣立ちした「ミライ」(日本自然保護協会提供)

 

 赤谷の森では2020年、朗報がひとつあった。この森に1つがいだけ棲むイヌワシ夫婦の子供1羽が3年ぶりに巣立ちに成功したのだ。

 

 地元の新治小学校の子どもたちがつけた名前は「ミライ」。プロジェクトで15年から人工林の伐採を始めて以来、3羽目となる巣立ちとなった。10年から15年まで6年連続で繁殖に失敗していただけに、日本自然保護協会で赤谷プロジェクトを担当する出島誠一・生物多様性保全部長も、今回は手ごたえを感じている。

 



プロジェクトでつくったイヌワシ狩り場(日本自然保護協会提供)

 

 1万ヘクタールの赤谷の森に計5ヘクタールに満たない東京ドームほどの狩り場を作っただけで、繁殖成功率が格段に向上したからだ。もちろん長年の観察結果が活かされた成果だ。しかし、出島さんは「この手法を他地域のイヌワシ保護にも展開したいのですが、課題は他にもあって容易ではありません」と表情を曇らせた。

 

衝突するSDGs目標

 

 そのひとつは、鉛によるイヌワシの中毒死の可能性だ。猛禽類はハンターの捨て残したシカなどの肉と一緒にライフルの鉛弾を食べてしまう。その結果、北海道のオオワシやオジロワシなどが鉛中毒になって死んでいることが1990年代に明らかになっていた。

 

 北海道ではその後、鉛弾の使用が禁止されたが、鉛による中毒死は本州のイヌワシなどでも確認されている。増えすぎて林業での食害が深刻になっているシカの駆除は必要な面があるにしても、北海道以外では今も合法である鉛弾の使用は、イヌワシの絶滅を加速させる不安要因なのだ。中毒を起こさない銅弾の価格は鉛弾より高価で、北海道以外では入手困難なこと、ハンターの鉛中毒に関する知識や意識が不十分であることなどが考えられるという。

 

 SDGsでいえば、過疎化が進行する山間地の農林業を振興させるための目標8「働きがいも経済成長も」と、イヌワシなどを保護する目標15「陸の豊かさも守ろう」が鋭く対立している。しかし、この件は解決策がある。銅弾への代替だ。実際、北海道が自治体として鉛弾を規制している。環境省も鳥獣保護法での規制を検討中といい、本州での中毒死という証拠(エビデンス)がある以上、国としても早急に実行に移すべきだろう。

 

生き物を犠牲にする再生エネ?

 

 もうひとつ、出島さんが懸念点として挙げたのが、日本政府が2050年までに二酸化炭素などの温室効果ガス排出を全体としてゼロにする「カーボンゼロ」政策。それ自体は画期的な政策転換だが、その一端を担う風力発電がイヌワシをはじめとした鳥類の衝突死を起こしている。

 

 出島さんは、国が風力発電建設における環境影響評価法の適用条件を1万キロワットから5万キロワットに緩和する検討を進めていることを指摘し、「イヌワシの生息密度が最も高い岩手県などの関係者は本当に危機感を持っています」と話した。ここでもイヌワシ保護と、SDGs目標7「エネルギーをみんなにそしてクリーンに」や同13「気候変動に具体的な対策を」が正面衝突を起こしてしまっている。

 

 地球環境を守るためのクリーンエネルギーが生き物たちを犠牲にしては本末転倒だ。その指標のひとつがイヌワシで、救うべき四つ目の理由といえるだろう。SDGs目標を同時達成するために、私たちは知恵を出し、熟議を尽くさなければならない。

 

世界の森と日本の森

 

 最後は世界との関係だ。イヌワシは北半球の高緯度地域に広く生息し、日本にいるのはニホンイヌワシと呼ばれる。草原地帯や低灌木地にすむ海外のイヌワシとは違い、森林地帯にも生息する。

 

 国連食糧農業機関(FAO)によると、日本は国土面積約37万8000平方キロメートルのうち、森林面積が約25万平方キロメートル。森林が約7割をも占める「森の国」だ。ニホンイヌワシは最終氷期が終わる約2万年前以降、ユーラシア大陸の集団から事実上隔離され、日本の森に適応して生きてきたのだ。

 

 日本の森林面積は近年、さほど減っていない。だからと言って、喜んではいられない。前述の通り、使われないで、放置されているだけだからだ。

 

 その代わりに、アジアや南米、アフリカなどの森林は近年、激減している。FAOによると、地球上の森林は過去30年で178万平方キロメートル(日本4.5個分)が消失した。その多くは世界で消費が拡大する牛肉用の牧場などのほか、先進国での消費が多いパーム油やパルプ、天然ゴム、コーヒー、カカオなどの換金作物用プランテーションとして、森林が伐採されたものだ。

 

 国際自然保護連盟によると、世界では現在、3万7400種以上が絶滅の危機にある。そのリストには両生類の41%、哺乳類の26%、鳥類の14%など、驚くべき数字が並ぶ。その大きな原因が、陸上生物の半数以上が暮らすと言われる森林の破壊と消失によるものだ。

 

人類が主犯の大量絶滅

 

 日本国内を見ると、森林に棲む生き物の多くが途上国とは違う理由で絶滅の危機にある。出島さんもイヌワシのほか、四国のツキノワグマ、夏鳥として水田のある里地に渡ってくるサシバ(タカの仲間)の保護活動に携わっている。その餌となる小型哺乳類や両生類、昆虫類、魚類、植物などの多くの種が風前の灯だからだ。日本人が古来続けてきた農林業に寄り添って生きている生き物たちは農林業が停滞している今、危機に瀕している。

 


田んぼのある里地の林に棲むサシバ(千葉県内で小川撮影)

 

 地球では約6500万年前の恐竜の絶滅など、計5回の大量絶滅があったとされる。これらの大量絶滅は1回につき数万年~数十万年(1年間に0.001種が絶滅)かかったと言われる。これに対して、5~6万年前にアフリカから地球のあらゆる場所に進出した私たち(ホモ・サピエンス)が関与する6回目の大量絶滅は桁違いだ。特に1975年以降は1年間に4万種以上が絶滅しているという。

 

 SDGsの目標1「貧困をなくそう」と換金作物の関係は複雑で一概には言えないが、熱帯地方でしか育たない農作物は別にして、北半球の豊かな国々も自国で作れるものは作り、生態系を壊す農作物は代替品を検討すべきだ。そうでないと、国内外ともに生き物たちの未来は危うい。この点からも停滞する日本の農林業の再生が必要で、イヌワシを救うべき五つ目の理由だ。

 

地域の理解のために

 

 赤谷プロジェクトは地元住民も「地域協議会」という立場で参加している。開始当初から、地元の理解がないままではプロジェクト遂行は難しいという認識があったからだ。

 

 この森は1990年からの約10年間、開発か自然保護かで厳しい対立を地元住民も巻き込んで続けた場所だ。造られようとしていたのは大規模スキーリゾートとダム。それに比べると、地域活性化にはつながりにくい赤谷プロジェクトに、地元住民の理解が深まったとはまだ言い難い。

 


出島さん(左)と武田さん(本人提供)

 

 しかし、最近は新治小学校の授業のように赤谷プロジェクトをテーマにした授業は、みなかみ町内の他の小学校にも広がり始めた。プロジェクトに賛同した地元の大工が山の価値を広めたいと、イヌワシの狩り場形成のために伐採したスギを蒸留して精油(アロマオイル)をつくりはじめた。そのオイルを地元のビール醸造所がビールに使う試みを始めた。リゾート地で仕事をする「ワ―ケーション施設」の内装やベンチに「イヌワシ材」を求める企業も出てきた。

 

 日本自然保護協会も、これまでにない試みを今春から始めた。大学院を卒業したばかりの武田裕希子さんを赤谷プロジェクト専従スタッフとして、みなかみ町に駐在させることにしたのだ。プロジェクトをからめた経済振興を進めるために企業などと折衝し、出前授業などでも活躍が期待されている。大学院で環境教育の研究をしてきた武田さんは「プロジェクトで積み重ねられた成果がまだ住民に活用されていない。私はその架け橋になりたい」と、笑顔で力強く言い切った。

(小川祐二朗)

(2021年8月 5日 16:20)
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