NPO法人・日本語検定委員会による第12回「日本語大賞」(読売新聞社など協賛)の入選作のうち、小学生、中学生、高校生、一般各部の文部科学大臣賞受賞作品の全文を紹介します。今回のテーマは、小学生の部、中学生の部が「心にひびいた言葉」、高校生の部、一般の部が「私を動かした言葉」です。※敬称略
■小学生の部
おとうさんにもらったやさしいうそ
佐藤 亘紀(さとう・こうき)
茨城県古河市立古河第二小学校一年
ぼくのこころにひびいたことばは、「おとうさんはちょっととおいところでしごとをすることになったから、おかあさんとげんきにすごしてね。」です。そのときぼくは二さいでした。とても小さかったのでちょくせついわれたのはおぼえていませんが、いってくれたときのどうががおかあさんのスマホにいまでものこっているので、すきなときにきくことができます。
このふつうにおもえることばがぼくのこころにひびいたりゆうは、じつはこれがおとうさんがついたうそだったからです。このことばの一しゅうかんごに、おとうさんははっけつびょうでしんでしまいました。そして、このことばをおとうさんがのこしたのはびょうきがわかってにゅういんした日でした。おとうさんは、あえないあいだにぼくがかなしまないように、わざとうそをつきました。うそはふつうよくないけど、これは、おとうさんがぼくのためについてくれたやさしいうそだとおもいます。このことばをどうができくと、おとうさんにあってみたくてすこしかなしいきもちになります。でもかなしいだけじゃなくて、かなしませないようにうそをついてくれたおとうさんのやさしさをおもって「がんばろう!」とおもえます。おとうさんがしんでしまったことはしっているけど、おとうさんのうそがほんとうになって、いつかよるおそくにドアのまえで「ドアをあけて。かえってきたよ。」といっているおとうさんにあいたいです。こうおもえるのも、おとうさんのやさしいうそのおかげです。
ぼくからおとうさんにつたえたいことがあります。「おとうさん、うそがばれてるよ! だってまわりにびょういんのどうぐがいっぱいあるし、おとうさんがよこになっているし、めからなみだがちょっとだけでているし、こえがさびしそうだから。」でもぼくは、だまされているふりをしつづけようとおもいます。
おとうさんがやさしいうそをついてくれたおかげで、ぼくのこころはつよくなれています。これからもおとうさんのことばをまもっておかあさんとげんきにすごしたいです。おとうさん、やさしいうそをありがとう。
■中学生の部
今日を頑張る
鈴木 司(すずき・つかさ)
東京都立小石川中等教育学校二年
私はあることに悩んでいた。それは自分がなぜ、頑張っているのかということだった。このことを周りの大人、友達に聞いてみたが、答えは様々でどれも腑に落ちなかった。ある一人の友達は夢のためだと答えてくれた。しかし、それでは夢のない人が頑張る理由にはならない。おそらく、多くの人はお金や夢などの見えるものに向かって頑張っていると思っているのだろうが、もっと本質的な何かがあるのだと思っていた。しかし、私はそれが何か分からず、スッキリしないまま学校生活を送っていた。
そんな時にこんな言葉に出会った。
「今日を頑張った者にのみ明日が来る」
これはあるアニメに出てきた言葉なのだが、私の心に引っかかった。頑張る理由のヒントになる気がした。しかし、その言葉の意味の理解にとても苦しんだ。たった十六字なのにとても深い意味が隠れているように感じた。一般的に考えて、命を失わない限り明日は来る。そう考えたら、命を守るために頑張るという風に捉えられるが、そんなに単純なものではないと思った。ふと思ったが、私はたった十四年しか生きていなかった。そんな自分に人生のテーマともなるようなことを一人で考えられるわけがなかったのだ。そう思った後、この言葉について色々な人に聞いた。すると、自分と全く違う視点から見ている友達がいた。その友達はこのように言った。
「人ってさ、当たり前に弱いじゃん。初めての時は感謝したり、緊張したりするのに、慣れて当たり前になったら、それを忘れちゃう。その言葉はそういうことだと思うよ。」
言われた時に心の曇りが取れた気がした。この言葉の本当の意味は明日という存在を当たり前にとらえず、不確定な明日を迎えるために、そして充実させるために今日という一日を頑張るということだったのだ。
これは多くの人の心に刺さると思った。身近なところだと、ダイエットや節約をしている人。明日頑張るからと言って、今日を甘えてしまってはきっと明日なんて来ない。また、多くの学生、大人にも何か感じるものがあると思う。実際僕はこの言葉に生活、いや、人生を変えられた。部活で陸上競技をやっているが、いつも頑張っていたのは大会が近くなってからだった。また、自分の苦手な体作りのトレーニングも回数をごかましたりしながら、サボってしまっていた。その結果、今年の大会で目標を達成できなかった。しかし、意味が分かってからなんとなくかもしれないが頑張れるようになった。ほんの少しかもしれないが、自分にとってものすごい進歩だった。勉強に関しても、前よりもちょっとだけ頑張れるようになった。あと数ページ問題集を解こう。あと数単語だけでも覚えてみよう。そんな風に考えられるようになった。これは人生の大切な場面になった時にきっと役に立つと思う。今までの自分よりも少しいい人生が歩めるのではという自信ができ、これからの人生がほんのちょっと楽しみになった。
人には様々な人生がある。それぞれがそれぞれの人生を歩んでいく。しかし、どんな人にも頑張らないといけない場面が必ずくる。自然と頑張れる人もいれば、悩むような人もいる。そんな時にこの言葉を知ってほしい。これが理由として正解かどうかなんて誰もわからない。だが、この言葉には絶対に何か感じるものがある。その感じたことはきっと役に立ってくれる。だから私は、「明日」という不確定なもののために「今日」を頑張る。
■高校生の部
込められた思い
武田 悠世(たけだ・ゆうせい)
東京都立三鷹中等教育学校四年
「地獄は、あの世ではなくこの世にある」
これは、私が小学生の時に、既に九十歳を越えていた曽祖母が口にした言葉である。曾祖母が若かった頃、日本は戦時中であった。当時、静岡市内に住んでいた曽祖母は、空襲に遭い、市内に火災が広がる中、二人の幼い子供の手をひいて必死で逃げ回った。その時に通りかかった橋のたもとから、ふと川を見下ろした時の恐ろしい光景が、目に焼き付いて離れないという。川の中には性別すらわからない数多くの死体が、折り重なっていた。中には、こちらに顔を向けているものもあった。その虚ろな目と、偶然にも目が合った時、「地獄は、あの世ではなくこの世にあると感じた」と曽祖母は語った。
日頃から口数が少なく、我慢強い曽祖母であったが、戦時中の体験について話すのを聞いたのは、後にも先にもこれ一度きりである。だからこそ、この言葉はある種の重みを持って、私の心に刻み込まれた。戦後数十年が経ち、世の中の様子がどんなに変わろうとも、拭い去ることのできない鮮明な記憶。曽祖母は当時のことを淡々と語ったが、曽祖母の人生の中で、心の奥底に押し込められてきたその思いは、どれほどのものであったのか、私には計り知れない。
日々の生活の中で、私が戦争について意識する機会は少ない。テレビやインターネットから世界中で起きている民族紛争や地域紛争などの情報を得て、その背景を知り、現地の様子などを映像で確認することはできる。しかし、そのようにして得た知識から、戦争や紛争が人々にもたらしてきたものが何であるのか、その本質を心で理解することは難しい。そうした意味で、実際に体験した者の目線で語る曽祖母の話は、真実味を持って私の心に響いた。そして、曽祖母が感情を交えず、冷静に話せば話すほど、長い時間をかけて昇華させてきた苦しみや悲しみの大きさが、より伝わってくるように感じた。曽祖母は、もしかしたらその体験を思い出したいとも、人に話したいとも思っていなかったかもしれない。むしろ触れずに、心の奥底にそっとしまっておきたかったのかもしれない。しかし、戦争が一人一人にどれほどの忘れられない傷跡を残したのか、そして、平和であることがどれほど尊いことであるのかを、これからを生きる私たちの世代へと伝えるために、使命感を持って話してくれたのではないだろうか。
人から人へと向けられた言葉には、その言葉の持つ本来の意味以上の、発した人の思いが込められている。そのメッセージをどう受け取るかは、受け取り手次第である。曽祖母が実際にどのような思いで、まだ小学生である私に戦時中の話をしてくれたのか、亡くなってしまった今となっては確かめようもない。しかし、曽祖母が言葉を通じて、私に向けて発したであろうメッセージを、私は確かに受け取ることができたと思う。毎年夏が来て、ニュースで平和記念式典の映像が流れる度に、私は曽祖母の言葉を思い出す。そして、平和への願いを新たにする。曽祖母の言葉は、それに込められた真実の重み、伝えようとする勇気、そして、受け取る側の真摯に向き合う覚悟について考えさせられる、私の心を動かす一言であり続ける。
■一般の部
妻の否定
森 惇(もり・あつし)
(千葉県)
気がつけば、どこを漂流しているのだろう。十年......、心身の長い闘病を続けていくうちに、ほとんど寝たきり状態の日々。天井を眺めていると、健康だった昔の自分が映し出されてくる。現実を未だに受け入れられないのだろうか、過去にばかり思いを馳せてしまう。
必死で毎日懸命に生きているつもりだ。それは、間違いなく言える。だが、同世代の三十代の男性たちが、「働いて稼いでマイホームを建てた」とか、「あそこのお父さんは、よく家族サービスをしている」などと聞いてしまうと、落ち込んでしまう。経済力や有用性だけが人間の価値ではない。そう頭ではわかっているつもりなのに、ついつい他人と比較してしまう自分がいる。そうなると、「一体、私はどこに向かっているのか」と考え始め、やがて、「なぜ生きているのか」までもわからなくなり、今の自分が虚しくなってくる。その虚しさはやがて、泥沼にはまって身動きが取れなくなるような苦しさへと変わり、自分自身を見失ってしまう。
初めは、原因不明の下痢症状で体を壊した。そして次に、大学病院や専門病院で検査を何回やっても原因が特定できず、治るかどうかもわからない日々に心が折れた。それから闘病が長くなっていくうちに、だんだん心の病の方が酷くなっていった。
心の病は恐ろしい。本来思考は自由であるはずなのに、少しでも体調を崩すと、突如マイナスの感情がドカドカと心に侵入して勝手に暴れ始める。そして、そんな制御できない自分をどうしても許せず、「自分なんていない方がましだ」と言ったり、先の見えない闘病の日々に、「もう無理だ。消えたい」と口走ったりしてしまう。そして、その行動を現実に実践しようとしてしまう自分の衝動を必死で抑える。そんな繰り返しの日々だ。どうしても、こんこんと湧き出る「消えたい」という衝動を上手く処理できず、言葉に出さないと耐えられなかった。そんな私を一生懸命に励まし、支え続けてくれているのが妻や子どもの存在だった。妻子の支えが無ければ、私は一日だって闘病の日々を生きてはいられなかっただろう。
そんな地を這うような生活をしているある日、また私が「もう自分なんて要らない。終わりだ」と口走った。すると、いつもは黙っている妻が私に向かって静かに言った。
「もう、その言葉は聞きたくない」
私は、驚いた。長い闘病をずっと支え、私が自分をコントロールできなくなってしまった時も、常に私を受け入れていた妻が、初めて否定の言葉を口にした。そして妻は、意を決したように話し出した。
「私はあなたが病気になってずっとそばにいるから、あなたが頑張っていることも、それでも報われずに辛いこともよくわかる。でも、あなたが自分を蔑む言葉を発し続けることで、支えている私や子どもたちまで価値を下げられているように感じてしまうの。もしも、本当にそんなに価値のないあなただったら、それを必死で看護している私や子どもたちは一体何なの? 私たちまで辛くなる......」
妻は泣いたような、怒ったような顔をして言った。私は、全く気づかなかった。自分で消化できずについ口走る衝動で、妻子までも傷つけていることが全くわからなかった。周りが見えていない自分が、本当に恥ずかしかった。
よく「家族は運命共同体」という言葉は耳にする。だが、「家族が自分たちの自尊心や価値を共有している」ということまでは考えたことも無かった。私たちは互いの自尊心や自己価値を共有していて、自分の価値を下げることは、相手の価値までも下げているということに初めて気づかされた。確かに、よく考えればそうだった。もしも、私と妻が逆の立場で、「自分には価値がない」と妻から毎日聞かされていたら、やがて妻を看護する私の人生まで意味のないものに感じてしまっただろう。長年、妻が私の言動に耐えてきて、堪り兼ねて言った言葉だということがよくわかった。
病気になって以来、「自分を愛してあげて」と言われることは稀にあった。だが、それがどうしてもできなかった。「自己を愛する」ということが、何か後ろめたく、自己中心的な考えのように思えたからだ。しかし、妻が教えてくれたこの考え方なら、「自分を愛すること」は、「家族を愛すること」と同じになる。たとえ自分を愛することが苦手でも、支えてくれる家族を愛することはできる。自分と家族がイコールなら、家族を愛することが私を愛することにつながる。これは、新しい発見だった。
もちろん、自分を愛するヒントを教えてもらったからと言って、すぐに実践できるものではない。心の病気はしつこく、気がつけば負の感情に乗っ取られ、自分を嫌いになったり、自分を責め続けたりしてしまう。その衝動は波のように抗えず、常に襲い掛かってくる。しかし、私は闘いたい。妻が、勇気を出して言ってくれた言葉を無駄にしたくはない。私は、生きていても無駄じゃない。それは、支えてくれる家族と同様のことだ。今の私は、「家族を惨めにさせたくない」という思いで、自分を下げる衝動に歯止めをきかせている。無論、闘病の中から自分で自分を肯定する価値観を持つことは至難の業だ。それでも、私はこの状況の中から、できる限り前を向いてみたい。自分だけを見つめるのではなく、家族というもっと大きな存在の中での自分を見ていきたい。
「自分と妻子は一体だ。だから、自分を責めるなかれ。いきなり愛せなくても、頑張っている自分を否定せず、まずは認めてあげよう」
今日もそう自分に言い聞かせ、私は家族と共に病気と闘ってゆく。