第67回全国小・中学校作文コンクールの中央最終審査会が行われ、各賞が決定しました。応募は3万2302点(小学校低学年4513点、高学年7841点、中学校1万9948点)。文部科学大臣賞3点を要約して紹介します。(敬称略)
<中学校>
「私の記録『母子健康手帳』」
宮城県仙台二華中2年 井崎英里(いざき・えり)
2017年6月11日。この日、私の身にある事件が起こりました。その小さな出来事により、私にとってこの日は、記念すべき日、特別な日のひとつとなったのです。
学校行事のため、普段より通行する人の少ない廊下を歩きながら、右手の薬指で奥歯をつついた瞬間、歯茎から何かがはがれるような感覚があり、ポロリと奥歯が抜け落ちました。
今回抜け落ちた歯は、私にとって最後の乳歯でした。13歳3カ月、私の歯は、全てが永久歯に生え代わったのです。その様子は記録と共に、母の手によって私の母子健康手帳に記載されました。
「母子健康手帳」。日本人なら、誰でも一度は見聞きしたことがあるのではないでしょうか。
私の母子健康手帳は、2003年9月19日に青葉保健所で交付されました。最初のページには、私が生まれるまでの母の体調と妊娠経過の様子、母親学級受講記録が記されています。出産後の母体の経過、私の成長過程と続くページのいたる所に、「がんばれ英里」「目を開けたよ。くっきり二重可愛いい英里」などと、母の字でコメントやメッセージが書き加えられていることに驚きました。
そもそも、この母子健康手帳とは、いつの時代から使われ続けているのでしょうか。その前身は1942年に配布された「妊産婦手帳」で、妊産婦や乳児の高い死亡率を改善しようとつくられたといわれています。
先日、地方新聞の国際面で、「日本発母子手帳難民の一助に」という記事を見つけました。アンマン発時事電で書かれたその記事には、紙の母子手帳をダウンロードしたスマートフォンを手にする女性の写真が載っていました。
日本発祥とされる母子手帳が、多くのパレスチナ難民を受け入れているヨルダンで、国際協力機構(JICA)と国連機関の協力により電子化され、スマートフォンアプリとなったことが書かれていました。紛争などで移動を強いられ、紙の手帳を紛失しても、避難先や移住先での受診が継続されることを目的としたものです。
日本でも、スマートフォンによる母子健康手帳の管理が始まるのは、そう遠い日ではないような気がします。
最近の母子健康手帳は、より使いやすく改良され、その呼び名も市町村によっては、アメリカと同じように「親子健康手帳」と変更されています。その中には、これまで入学前の記録としていた内容が、中学校卒業までに延長しているものもありました。私の母子健康手帳は、記入欄がいっぱいとなり、紙を貼り足しながら記入されています。
母は幼い頃の私の思い出の品を、たくさん残してくれています。その中でも、乳歯の収められた箱と、母の手で記入された母子健康手帳は、私にとって特別なものです。この小さな母からの贈り物を、私は生涯大切にしたいと思います。自分の成長過程を知る記録として。
未来を生きる親子もまた、日本発祥の母子健康手帳を用い、幸せな日々を過ごせますように。(指導・畠山大輔教諭)
◆母の愛へ感謝 しみじみと
【講評】ある出来事をきっかけに見た「母子健康手帳」には、想像を超える母の愛情が紙面からはみ出さんばかりに記されていました。今の自分の全てが母からの大切な「贈り物」であることに気付き、次は自分が我が子に世界で一つの「母子健康手帳」を捧(ささ)げようと静かに誓う井崎さんの思いが深く心に沁(し)みてきます。(新藤久典)=11月30日の読売新聞に掲載しました=