第68回全国小・中学校作文コンクールの中央最終審査会が行われ、各賞が決定しました。応募は3万966点(小学校低学年4917点、高学年7499点、中学校1万8550点)。文部科学大臣賞3点を要約して紹介します。(敬称略)
<小学校高学年>
「認知症・介護・10歳のぼく」
山口県・山陽小野田市立小野田小5年 山田将輝(やまだ・まさき)
ぼくが2年生だった頃、父方の祖父が認知症だと診断された。年は七十五。アルツハイマー型認知症だった。
当時、ぼくの住んでいた家と、祖父母の家までの距離は約1キロ・メートル。ぼくは、学校から帰ると必ず祖父母の家に遊びに行っていた。
そんなある日、変わった出来事があった。ぼくがリュックサックに、おやつのチョコビを入れて、祖父母の家に行った時だった。ふと見ると、ぼくのリュックサックが開いている。楽しみにしていたチョコビがない。顔を上げると、祖父がぼくのチョコビを持っていた。口に入れている。目を疑った。ぼくは、おやつを失ったショックと、しっかり者の祖父がとった行動に困惑した。
それからというもの、祖父の今までになかった行動が、少しずつ目立ってきたようだった。
ぼくは祖父とテレビの前に座り、祖父が出来なくなって困っていたリモコン操作を手伝ったり、何だか知恵の輪をしているかのように忙しく動いている手に、ぼくのお気に入りのプテラノドンの小さくてやわらかい模型を持たせてあげたりした。出来ることは、何でもしてあげた。祖父は今まで、ぼくのお世話をたくさんしてくれたから......。
祖母は夜中に、十数回もトイレに行く祖父に付き添ったり、同じ事を繰り返し質問されたり、置いていた物が無くなったりして、とても疲れていた。
祖母も病気になってしまった。肺の病気だった。祖母は入院を余儀なくされた。祖父は、これをきっかけに、介護施設へ入所した。祖母は泣きながら、「じいちゃんを頼むね。頼むね」と、ぼくたちに祖父を託した。
毎週末、祖父に会いに行くのが、習慣になった。お年寄りたちが、テレビを見たり、トランプをしている中、祖父は違った。机やイスを整え、台拭きで机を拭き、コップを下げたり、お茶を入れて出したり、職員さんのお手伝いをしていた。認知症になって、色々な能力や記憶が失われても、その人の本質みたいな部分は色濃く残る。
入所してしばらくは良かったが、やがて、祖父も入院することになった。
そしてある日、祖父が昏睡(こんすい)状態におちいった。大きな病院に転院し、一命を取り留めた。しかし、寝たきりになってしまった。たくさんの医療機器や点滴につながれた祖父は、唯一、目を動かすことだけは出来た。ぼくは毎日祖父に会いに行った。看護師さんたちが、ぼくやいとこが来ると祖父の反応が良いと教えてくれた。
祖父はお風呂に入ることが出来ないので、看護師さんに習って、手浴をしてあげることにした。手だけお風呂に入るということだ。終わると、保湿クリームを塗りながらマッサージをしてあげる。
ぼくがこの作文を書いたのは、祖父と過ごした大切な時間を、ぼくの中にとどめておきたかったからである。(指導・守永貴恵教諭)
◆見事な筆致と強い思い
【講評】 大好きで尊敬の的でもあった祖父が突然、認知症に――。その衝撃的な出来事を、自らの心の動きと事実の両面から冷静に描いていく筆致は見事というほかありません。これを可能にしたのは、最後の文章に記されたことでしょう。「思いの強さ」こそが「書く」技術を磨くもの。まさに作文のお手本です。(石崎洋司)