第71回全国小・中学校作文コンクールの中央審査で各賞が決定しました。文部科学大臣賞3点を要約して紹介します。作品の全文は、要約の下の「全文を読む」をクリックしてご覧いただけます。(敬称略)
<中学校>
「盲導犬、嫁ぐ」
兵庫県三田市立狭間中2年 齊藤萌衣(さいとう・めい)
「ニコラの嫁ぐ日、決まったよ」。電話を切った父が教えてくれた。父の盲導犬ニコラが引退する。関西盲導犬協会からの連絡だった。ついに決まったか。
2021年3月、兄の卒業式が、ニコラと父のペアで臨む最後の日の予定だった。しかし、緊急事態宣言の影響により、新しい盲導犬の訓練が進まず、ニコラの引退は先延ばしになっていたのだ。
8年間という時間の流れは、人と犬は違う。幼稚園の私は中学生になり、お嬢さん犬はおばあちゃん犬になった。私たちは、長い時間を一緒に過ごしたんだなと思う。母は「引退」という言葉を使いたがらない。
「ニコラはお嫁に行くんだって思えば、離れて暮らしていても家族だし、新しい家族と新しい生活を楽しんでほしいって、思えるんじゃない?」
盲導犬の一生には、たくさんの家族やスタッフ、ボランティアさんが関わり、共に時間を過ごす。私たち盲導犬ユーザーの家族は、一番長く一緒に暮らす家族だ。
ユーザーと盲導犬の話はよく取り上げられる。父のように家族のいる場合、ユーザー以外の人間とも暮らしている盲導犬もいる。ユーザーの家族は、家の中でも盲導犬と接する約束を守り、盲導犬として犬が混乱しないよう共同生活を送らなければならない。
私は、ニコラに、ご飯もおやつもあげたことがない。父の役割だからだ。私にできることはお家(うち)で楽しく遊ぶことだ。ニコラが「一緒に遊ぼう!」と誘ってくる。これは、家族の誰にも負けない。ニコラの一番の遊び相手は私だ。
私が小さい頃は、ニコラがお姉さん役で、私は妹のポジションだった。私が大きくなるにつれ、ニコラと私は徐々に遊び友だちの関係になった。
「萌衣のことは仲間だと思っているでしょ」と笑われるけど、この関係は、他の家族とは違う。私とニコラだけの遊び仲間、幼なじみならではのものだ。
ニコラは朝が大好きだ。私が制服に着替えて、朝ごはんを食べる頃、ブラッシングが終わり、ピカピカのニコラがダイニングに走って来て、しっぽを振って家族を見て回る。可愛(かわい)いなと思う毎日だ。お出かけ服を着て、ハーネスを装着して父と出かけるニコラは、外向けの盲導犬の顔をしてて、カッコ良い。
盲導犬としての引退は、新しい生活のスタートだ。新生活を楽しんでほしい。大好きだよ、ニコラ。私には大事な幼なじみだもの。いつまでも、大切な家族だよ。一緒に暮らせて楽しかった。我が家に来てくれて、本当にありがとう。(個人応募)
一、終わりの始まり
「ニコラの嫁ぐ日。決まったよ。」
電話を切った父が教えてくれた。父の盲導犬ニコラが引退する。電話は、盲導犬を貸与してくれている関西盲導犬協会からの連絡だった。
「OK。カレンダーにでっかく書いておく。」
母は、カレンダーに「ニコラ引退式」と書いてピンクのマーカーで大きく文字を囲んだ。ついに決まったか。ニコラが我が家を離れたら、もう二度と帰ってこないんだよなーと、ぼんやりと思いながらカレンダーを見ていた。緊急事態宣言の影響により新しい盲導犬の訓練が進まず、ニコラの引退は延期されていた。そのうち来るだろう、と思っていた日がついに訪れることを理解した。一か月後、ニコラは我が家を離れる。実感がわかず、寂しいとか、悲しいとか、そんな気持ちは湧き上がって来なかった。ただ、私と一緒に過ごす時間に限りがあることがハッキリした。そうかーと思うしかなかった。
二、最後の夏
二〇二一年三月、兄の卒業式が、盲導犬ニコラと父のペアで臨む最後の日の予定だった。 しかし、緊急事態宣言の影響で、次の盲導犬の訓練が進まず、ニコラの引退は、少しずつ先延ばしになった。思いがけず、二度目の「最後の夏」が訪れた。父も自宅で過ごすことが多く、私はニコラと過ごす時間が増えた。嬉しかった。
クーラーの風を感じながら、ゴロンと床に転がるニコラのおなかを撫で、背中を撫で、ちょっとクシャっとした特徴のある左耳をパタパタめくってみた。私が小さい頃は、ニコラは私を警戒して、こんなに撫でさせてくれなかったので、こういう穏やかな時間を過ごすと、とても嬉しい。家族は「フフフ。」と笑いながら見ている。
「萌衣がお姉さんになったのと、ニコラがおばあちゃんになったからだろうね。」
八年間という時間の流れは、人と犬では違う。幼稚園の私は中学生になり、ニコラはおばあちゃん犬になった。昔なら絶対、私におなかを撫でさせるなんてしなかったのに。私たちは、長い時間を一緒に過ごしたんだなーと思う。お嬢さん犬は、おばあちゃん犬になり、私に寄り添ってくれるようになった。嬉しい気持ちが半分、さみしい気持ちが半分、複雑な気持ちになる。
三、「嫁ぐ」に込めた想い
母は「引退」という言葉を使いたがらない。「引退」という言葉には、私たちとニコラとの関係が、ぷっつり切れてしまうような、そんなイメージがあるのかもしれない。
母は、福島県から父の実家のある兵庫県に嫁いできた。もう二年以上、福島県に帰っていない。祖母が体調不良でも帰省できなかった。そばにいることはできないけど、実家の家族のことは、いつも気にしている。祖母や叔父家族が困ってないかな?と気になるし、地震情報が入れば福島からの連絡を待つ。嬉しい報告電話があると、楽しそうに笑って喋っている。実家を離れて暮らしているけど、福島の家族もみんな、母の大事な家族だ。
そんな母は、自分と、今から我が家を離れていく盲導犬ニコラを重ねているのかもしれない。ニコラを抱っこして、おしりをワッシワッシ撫でながら母は言った。
「ニコラは、一番最初に家を出て行くのねー。よし、お嬢さんの嫁入り道具を揃えよう。うちでは、こういう風に過ごしてましたよーって伝わるように、盲導犬してる時と、お家でゴロゴロ過ごしてる写真を入れたアルバムとかも作りたいなー。お気に入りのオモチャやオヤツ、歯磨き粉も持たせたいよねー。」
母のスマホには、盲導犬ニコラのキリリとした仕事姿、そして家でお腹を出してゴロンとひっくり返っているお嬢さんニコラの写真や動画がたくさん保存されている。母は言う。
「ニコラは、お嫁にいくんだーって思えば、離れて暮らしていても家族だし。うちでの生活に一区切りつけて、新しい家族と新しい生活を楽しんでほしいって、思えるじゃない?」
なるほど確かに。家族も「ニコラが嫁いだら」「ニコラが嫁ぐまで」という言い方が増えた。
盲導犬を引退して、我が家を離れてしまう事実は変わらないけど。八年間、一緒に暮らした家族を送り出す心の準備をするためには、「ニコラは、新しいお家に嫁ぐ」っていう表現の方が、私たちにとって優しい響きがする。家族がいなくなる寂しさより、ニコラの新しい生活への期待が上回る。だから私も、
「ニコラが嫁ぐまで、元気に追いかけて、ロープ引っ張りっこしてあげるよー。」
と「嫁ぐ」という言葉を使っている。なんだか幸せな予感がする。
四、嫁ぐニコラに贈るもの
引退の日が近づき、「嫁入り道具、準備しなきゃ。」と話題にあがる。シニア用のドッグフード、いつもの歯磨き粉と歯ブラシ、おやつ、ベッド、毛布。現役時代のアルバム、一日のルーティーンをまとめた記録。ニコラが新しいお家に嫁いだ時、生活に慣れるまで、不安にならないよう、少しでも落ち着くものがそばにおけるよう、何を持たせたら良いか家族みんなで話して、揃えている。
私からは何を贈ることができるだろう。私は、この作文を贈ろうと考えた。一緒に暮らしてきた盲導犬ニコラとの八年間の共同生活を一人でも多くの人に読んでもらって、現役の盲導犬が、盲導犬ユーザーだけではなく、家族の中でも大きな存在感をもって生活していることを知ってもらえたらと思っている。
五、私たちは盲導犬と暮らす家族の一つ
盲導犬の一生には、たくさんの家族やスタッフ、ボランティアさんが関わり、共に暮らす時間を過ごす。繁殖犬ボランティアさんの家で誕生し、母犬やきょうだい犬と過ごす。その後、パピーウォーカーさんの家族と子犬時代を過ごす。盲導犬候補犬として協会で職員さんと共同生活を送り、訓練を重ねる。ボランティアさんにシャンプーしてもらったり、一時預かりしてもらったりもするそうだ。
私たち盲導犬ユーザーの家族は、盲導犬にとっては、一番長く一緒に暮らす家族だ。しかし、子犬時代を知らないし、最後の家族になることもできない。それはわかっている。「盲導犬引退」は私たち家族と八年間暮らして来た犬との別れをハッキリさせる言葉だ。その日が近づき始め、徐々にさみしいな、と思い、なかなか口にすることができなくなった。そんな私たちにとって「ニコラが嫁ぐ」という言葉は、家族がいなくなる事実をやんわり包んでくれる。兄と私とニコラ。いつも一番、二番、三番、と順番に並んでいた。もう三番目のニコラがいなくなる、これは決定で、変わらない。
父と母はいつも言う。
「ニコラが嫁ぐ時まで元気で、ピカピカの現役盲導犬でいてもらわなきゃ。」
元気なニコラを新しい家族に渡したい。離れて暮らしても、私たちもニコラの家族だし、ニコラに幸せでいて欲しい。いつまでも、私たちは、ニコラと暮らした家族の一つだ。
六、お嬢さんニコラ
我が家では、家の中でニコラを「お嬢さん」と呼ぶことがある。「ニコラ」という名前を呼ぶと、彼女がこちらを気にするので、彼女に内緒の話の時は「お嬢さん」と呼んでいる。
「お嬢さん、体調イマイチそうだよ。協会に相談してみようか。」
「お嬢さん? 廊下の涼しいところに転がって寝てるよ。」
「お嬢さん。」と呼ばれてもニコラは反応しない。盲導犬として歩いている時は、父の「ニコラ!」という声かけに集中している。家でも、名前を呼ばれると目を覚まし、瞬時にこちらにやってくる。家でのんびり過ごしてくれるよう、私たちはあえて名前を呼ばない、そういう時もある。
七、盲導犬とユーザー家族
ユーザーと盲導犬の話はよく取り上げられる。しかしそれは、ハーネスを着けた盲導犬の外での話で、私の父のように、家族のいる場合、ユーザーと家族と盲導犬、と言うように、ユーザー以外の人間とも暮らしている盲導犬もいる。
ユーザーの家族は、ペットとしての犬ではなく、家の中でも盲導犬と接する約束を守り、引退するその日まで、ペットではなく盲導犬として犬が混乱しないよう共同生活を送らなければならないと考えている。父とパートナーになった八年前のニコラは、たくさんの人に育てられ、大切にされ、訓練されて盲導犬としてデビューした。私は、ユーザーの家族として、最初の約束を守り、引退するその日まで、ニコラが現役の盲導犬でいられるようルールを守っている。
八年間、一緒に暮らしたニコラと私の関係は、友人たちの話す愛犬との生活と少し違う。 私は、ニコラに、ご飯もおやつもあげたことがない。それらは、ユーザーの父の役割だからだ。私にできることは、お家で楽しく遊ぶ、抱っこする、撫でる、そういうことだ。ニコラが「一緒に遊ぼう!」と誘ってくる。これは、家族の誰にも負けない。ニコラの一番の遊び相手は私だ。
八、盲導犬と父の日常
父とニコラは、毎朝六時に起きる。犬のトイレ、朝ごはん、ブラッシングをする。八年間、毎日、父とニコラの日課は変わらない。我が家では、盲導犬のケアは基本的に父しかしない。それがユーザーとしての父と家族の約束だからだ。
盲導犬の命を預かり、自分の命を盲導犬に預ける。ユーザーとして「ニコラのケアは絶対に自分でする」というのが、父の盲導犬との向き合い方だ。ルールを守らないと、盲導犬は混乱してしまう。私たち家族は、父をリーダーに、盲導犬ニコラのルールを守るようにしている。
盲導犬ニコラの引退について、ユーザーの父はあまり話をしない。それがユーザーとしての父の生き方らしい。次の盲導犬が来ることも決まっている。ニコラと同じように大切にするだろう。ニコラの引退については「さみしいと思うよ。」その一言だけを聞いた。八年間、片時も離れず一緒に過ごしたパートナーと離れる父に、それ以上は聞けなかった。
九、不調な盲導犬を抱えて
ニコラの体調が大きく崩れる時もあった。下痢が止まらなかったり、突然おしっこが出てしまったり、家族みんなで後片付けに追われた。父は言った。
「一人暮らしの全盲ユーザーさんは、こんな時、とても不安だろうね。そう思うと、盲導犬は、健康で元気でいてもらいたいよ。毎日、自分の手でケアして、体調の変化に早めに気付いてあげたいね。」
ユーザーが盲導犬のケアを自分でして、盲導犬の体調管理に責任を持つことは大切なんだと家族みんなで改めて考えた。
結局、父にも家族にも手に負えなくて、盲導犬ニコラを協会に一旦戻し、診察を受け、回復するまで療養してもらったこともある。一週間も二週間も、ニコラが留守の間、不安で寂しくて、早く元気になってほしいと願うばかりだった。
白杖だけで通勤する父を見送るのも、いつもと違って、少し不安だった。車から降りた後も、移動する時には父を手引きする役が必要になった。ニコラがいなくなると、盲導犬と歩いている父は、どれだけ自由に歩いていたのだろうかと痛感する。ニコラと歩いている父は、私たちと少し離れていても、なんとなく一緒に移動して、歩きながら話すこともできる。盲導犬がいない父は、白杖や手引きで歩き、少し不便そうだった。父だけでなく、私も、いつもと違って、父の動きに目を配るようになる。ニコラの存在感をとても大きく感じた。
十、盲導犬、家の外と中
盲導犬を貸与する時、一番の不安材料は「幼稚園児の私」だったそうだ。約束を破って、訓練された盲導犬を普通の家庭犬にしてしまわないか、心配されたそうだ。
実際、外出先でニコラに声をかけたり、撫でたりして、私は何度も母から注意を受けたと聞く。
「周りの人から見たら、盲導犬に声をかけて、勝手に触っている子に見えます。それは、母も困ります。外では、盲導犬に接するルールを守ります。犬の名前を呼びません。触りません。」
失敗するたび、母から話をされ、少しずつ盲導犬ニコラとの「外での接し方」を覚えていったらしい。大型犬が家に来て嬉しかったけど、ハーネスを着けたら父の盲導犬。家では抱っこしても良いけど、外では気軽に名前を呼んだり、触ったりしてはいけない。盲導犬と暮らすルールを理解するまで、幼い私は時間がかかっただろうな、と思う。
盲導犬を連れた父と外を歩くと、ニコラの顔の高さの小さな子どもが驚きの声をあげることがある。
「あ!わんわんいる!」
「盲導犬って言うんだよ。お仕事中だね。」
と小さい子に対して、盲導犬に接するルールを説明する家族の姿を見ると、私もこうやって説明されたんだろうなー、と思いながら通り過ぎる。
「賢いねー。すごいねー。」
と話しているのを背後に聞くと「おうちでは、全力で普通の犬ですよー。」と思ってニンマリ笑ってしまう。ニコラが全力で走り回って遊んでいる姿は、家の中でしか見られない。外では盲導犬ニコラがカッコよく働く姿を守ろう、と思って歩いている。
十一、見守り見守るニコラと私
私の卒園式。ニコラは盲導犬デビューしたばかりで、父と出席してくれた。家族と一緒に、真っ赤なお出かけ用の服を着たニコラがお祝いに来てくれた。幼稚園の送り迎えも、父とニコラが、何度も何度も来てくれたことを覚えている。小学校の入学式も、ニコラは父と来てくれた。ニコラは丸くなって、椅子の前にゴロンと転がっていて、校長先生の話なんて全然聞いてなかったけれど。私は、ニコラの姿が見えると、やっぱり嬉しかった。
運動会も、父はニコラと一緒に校庭にやってきた。ニコラはピストルの音が苦手で、観覧ゾーンでは、父の両足の間にすっぽりはまって、両耳を父の膝で挟んで遠くを見ていた。その姿を思い出すと、笑ってしまう。運動会にはテントを二つ立てた。人間用とニコラ用だ。テントで昼ご飯を食べ終わると、友達とニコラのテントにもぐりこみ、一緒にゴロゴロ転がって過ごした。毎年、毎年、父とニコラは一緒に来てくれた。楽しい思い出だ。
ピストルと同じぐらい、雷も苦手だ。誰よりもはやく雷鳴に気付くと、家の中をウロウロ歩き回り、誰かの足の下に入れないか頭をつっこみ始める。私の足元にも無理やり潜り込んできた。その妙な行動に「もしかして雷、来てる?」と天気情報を確認する日も多かった。今年の夏は激しい雷雨の日が続き、家の近くに大きな雷が落ちた朝もあった。ニコラには、しんどい日が続いたと思う。ニコラは私にも抱っこをせがんだ。床に座って抱えると、私の脇の下に鼻先を押し込んでくる。まるで「頭をガッチリ抱え込んでおいて!」と言っているみたいだった。私はニコラをムギューと抱きしめた。
「雷。ホンマに嫌いやなー?」
テレビを見ながら、雷が通り過ぎるのを待った。雷鳴はゴロゴロと低音で床から身体に響いてくる。雷は空を一瞬輝かせ、すぐあと「バシーン!」と大きな音をたてて落ちる。ニコラは、グイグイ身体を押し付けてきて、遠くをジーっと見たまま動かなくなる。
「大丈夫、大丈夫。もうすぐ雷、通り過ぎるからね。」
私は、ニコラに優しい声で話しかけて、背中をトントンしてあげた。
私が小さい頃は、ニコラがお姉さん役で、私は妹のポジションだった。ニコラは「ほら、シャンとしている私を真似するのよ?」と言いたげな姿を見せつけて来ていた。私が大きくなるにつれ、ニコラと私は徐々に遊び友だちの関係になった。そして引退を控えた今、ニコラは私に自分の弱い部分も見せるようになった。小さい私を見守っていてくれたニコラ。 最近は、私がニコラを見守って、抱きしめる時もあるなーと思った。八年って、お互い、時間が経っているんだなぁ。
十二、弱ってる認定
ニコラは私たち家族をよく見守ってくれていると思う。犬は弱っている人間にくっつく、と聞いてから、ニコラに妙にはりつかれると、
「ニコラに『弱ってる認定』されてるよ。今日は早めに寝た方が良いよ。」
と話題になる。発熱した時、しんどい時、いつもは寄ってこないニコラが、私にピッタリくっついてくる。
「ニコラに弱ってる認定されたわー。」
と笑ってしまう。ニコラがくっついている部分がだんだん熱くなってくるけど。心配してくれてるんだなーと思うと、熱いのも我慢して、お互いにくっついている日もあった。
十三、ニコラと感じる四季
夏。ニコラは涼感マットが苦手だ。暑いだろうと涼感マットを敷くと、クシャクシャポイッと丸めて転がしてしまう。いろいろ試してみたけれど、一年中ふかふか長座布団に寝るのが好きらしい。ポカポカ温まると、ゴロンと寝返りを打つ。半身はクーラーで冷え、半身は布団でぬくぬく。ひっくり返って涼しい風を受けている時もある。それが夏のニコラの好きな過ごし方だ。
冬の知らせは、朝の父の一言で感じる。
「今朝はウンチが先に出ちゃったぞ!」
ニコラは、最初のトイレでオシッコをして、二度目でウンチをするはずなのだが、寒くなると、なぜか順番が逆になり、ウンチが先になる。この逆転現象は冬の間、謎に続く。
「オシッコが先に戻ったぞ!」
父が報告してくると、
「春になりましたねー!」
というのが春を感じる朝のやり取りだ。
もう一つ、冬の過ごし方がある。寒くなると、夜中に母の羽根布団の足元にこっそり乗って、丸くなって寝ちゃうのだ。母は、気付くとニコラ用の毛布をかけてあげるそうだ。
「冬になりましたねー。」
と笑ってしまう。羽根布団はやはり暖かいのだろう。ニコラなりのルールがあって、父が起きている間には布団に乗らない。朝方五時には父のベッドの脇に戻る。
「朝には、ちゃんとニコラの抜け殻があるの。父が起きたら、『ずーっと一緒に寝てたよ』みたいな顔してしっぽ振って笑っちゃう。」
と母が教えてくれた。春になると、布団に乗ることはなくなる。なかなか面白い。
そうやって、ニコラの生活の変化で季節の移り変わりを感じて八年。もう、今年の冬、ニコラが羽根布団に丸まっている姿を見ることはないのかーと家族で話すことがある。いろんな思い出を話して、笑って、寂しさを紛らわしているのかもしれない。
十四、引退の時期を過ぎて
十歳を過ぎるとなんだか自由になってきて、不思議な面白い犬になってきた。みんなでワイワイ賑やかにしていると、首をズボッと突っ込んで来る。
「お。ヤジ犬が来た!」
と、みんなで笑ってしまう。みんなの真ん中に居たくて足元に割り込んでくるので、ぎゅうぎゅうになって大笑いする。
ちょっと暗い和室で寝たいなーと思うと、襖を鼻先でスーッと押し開け、父のベッドの脇にある自分のベッドで寝てしまう。うまく開かなかった時は、襖のすき間の前に立ち、横目でチラッとこちらを見る。
「お嬢さん、襖を開けてほしいのかね?」
と笑いながら、誰かが襖を開ける。
十歳を過ぎ、やりたいことを伝えてくるようになったなーと感じる。とっても犬らしく見える。引退の時期が今なのは、ちょうど良い時期なんじゃないか、と思うほどである。
十五、お気に入りボックス
ニコラには「お気に入りボックス」というおもちゃ箱がある。ロープ二本、テニスボール一個、それと小さな毛布が入っている。ニコラは「遊ぼう?」と誘っても、気分がのらないと、どこかへ消えてしまう。でも、ニコラなりに遊びたいなーと思っても、強くアピールしてこない。いろいろ試した結果、「お気に入りボックス」に遊び道具を入れておき、ニコラが引っ張り出せるようにした。
それでも、なかなか出しては来ない。たまに、ロープをくわえてしっぽフリフリで歩いているから「一緒に遊ぼうか!」と、こちらが乗り気になっても、ニコラの気持ちがシュンと消えてしまい、ベッドで丸くなってしまうことも少なくなかった。なかなかに気難しいお嬢様だと言われていた。それでも、私とはボール遊びも、ロープ引っ張りも本気でしてくる。
「萌衣のことは仲間だと思ってるんでしょ。」と笑われるけど、この関係は、他の家族とは違う。私とニコラだけの遊び仲間、幼なじみならではのものだ。
「お気に入りボックス」からボールをくわえて来ることがある。廊下に投げると、ニコラは、耳をパタランパタラン揺らして走って行く。しかし、廊下を三往復もすると、投げられたボールを座って見送るだけになる。
「もう終わりなん?」
頑として動かず、結局、私がボールを取りに行って遊びはおしまいとなる。ボールを片づけにいく私の後ろをしっぽを振りながら追いかけてくるから、
「次はロープか? 追いかけっこか?」
と、私もはしゃいでしまう。ニコラが遊べ遊べとせがむ日は、本当に、たまにしかない。息が上がり、父の足元に隠れてしまうまで遊ぶことができるのは私だけだ。
十六、思い出の風景
ニコラは、起きるとリビングのソファーに体を何度もこすりつけて、しっぽをフリフリ振って歩く。
「オハヨーは、ニコラが大好きな言葉だね。」
と笑ってしまうぐらい、ニコラは朝が大好きだ。私が制服に着替えて、朝ごはんを食べる頃、ブラッシングが終わり、ピカピカのニコラがダイニングに走って来て、しっぽを振って家族を見て回る。可愛いなーと思う毎日だ。お出かけ服を着て、ハーネスを装着して父と出かけるニコラは、外向けの盲導犬の顔をしてて、カッコ良い。
ニコラは盲導犬なので、いろんな所に一緒に出かけることができた。水族館では、ニコラの目の前をアシカが歩いて行ったり、イルカがジャンプしたりした。微動だにしなかったが、驚いていたろうな、と思う。アザラシが縦長の水槽を上に下に泳ぐ様子をガラス越しに興味津々で見ていたのは面白かった。
鳥取砂丘では、砂に沈んでいく感触が妙だったのか、足の指をめいっぱい広げて変な顔をしていた。鳴門の海では、波を追いかけ、波に追いかけられ、不本意ながらびしょ濡れになることもあった。
家族の思い出話には、ニコラの面白いエピソードがたくさんある。アルバムにも、たくさんニコラが写っている。入学、卒業の記念写真は写真館でニコラが真ん中に座っている。
「ワンちゃんは動かないので最高ですー。ご家族は嬉しい笑顔で!」
と、スタッフに声をかけられる。
「まるでニコラが主役の記念撮影だねー。」
と、いつもみんな良い笑顔になった。ニコラは本当にステキな家族だ。
十七、繋ぐ――新しい家族へ
八年間、ニコラは大切な家族で、一緒に育った仲良しだ。元気なニコラを新しい家族に渡せそうでホッとする。離れていても、ニコラは私の家族。元気で楽しい毎日を送ってね、と願う。迎えてくれるボランティアさん家族に心から「ありがとうございます。」と思っている。新しい家族に伝えたいことはたくさんある。
「ニコラは犬がちょっと苦手ですけど、人間は大好きです。遊びに誘っても、のってくれない時もありますけど、気分がのれば息が切れるまで走り回ります。抱っこが大好きな甘えん坊で、家族みんなが元気かどうか見回る心配性でもあります。どうぞよろしくお願いします。」
この想いがニコラにも伝われば良いのになぁ。
盲導犬としての引退は、新しい生活のスタートだ。ニコラも戸惑う事があると思うけど、新生活を楽しんでほしい。別れるまでの日を数えると寂しさは増す。でも、ニコラは、そんな事情も知らない。新生活に早くなじみますように、と思うばかりだ。
十八、いってらっしゃいニコラ
寝ているニコラを見かけると、ついつい頭を撫でてしまう。ちょっと平らなおでこと、クシャっとした左耳と、乾いた鼻先を撫でていると、私の気持ちが落ち着く。こうやって撫でるのも、あと何回できるかな。いつものシャンプーの香りを満喫して、そっと離れる。
「おやすみ、ニコラ。」
ニコラは眠そうに、すぐまぶたを閉じる。
明日の朝も、嬉しそうにソファーにスリスリして、みんなを起こして歩いてくれると嬉しいな。
大好きだよ、ニコラ。父の盲導犬だけど。私には大事な幼なじみだもの。いつまでも、大切な家族だよ。一緒に暮らせて楽しかった。我が家に来てくれて、本当にありがとう。
◆盲導犬への愛情と配慮
【講評】盲導犬の引退は、ユーザーだけではなく、一緒に暮らす家族との別れでもあるのですね。盲導犬がたどる一生がよくわかり、それぞれの時期をともに生きる人たちの愛情と配慮が伝わってきます。新しい生活に踏み出す"お嬢さん"へのはなむけであると同時に、盲導犬への理解をうながす、意義深い作品です。(梯久美子)