「なぜ、がん細胞は死なないのか」――。分子レベルでがんを研究してきた末松誠・慶應義塾大学医学部長が3月21日、医学を志す読売新聞教育ネットワーク参加高校の生徒8人を対象に、がん研究の特別セミナーを同大医学部(東京都新宿区)で行った。
各地から8人が参加
2017年に創立100年を迎える同大医学部。その信濃町キャンパス総合医科学研究棟の一室に、8人の高校生が集まった。期待と不安が交錯するなか、開始15分前に末松学部長が現れ、いきなり「みんな僕についてきて」と研究室に案内した。
「がん患部の中には何万個ものタンパク質、代謝物が混ざっている。タンパク質の重さはそれぞれ異なるから、それぞれ体重測定をすれば、どの分子が病気に関係しているか分かると思わないかい?」
一人ひとりに問いかけ、具体例を示す「末松流」に、生徒たちの緊張が解けていく。
日本に3台しかない巨大なイメージング質量分析顕微鏡の前では、がん細胞にレーザー光線を当て、最大300の分子を一度に分析できることを解説。10ミクロンの切片にしたがん細胞を格納する顕微鏡内部も自ら見せ、その原理を説明した。
分子レベルの先端研究を紹介
教室に戻ると、いよいよ講義だ。医学部2年生レベルの教材を渡し、「さあ、がん細胞が死なない仕組み。始めるよ」。
まず、披露したのは1983年から8年間務めた消化器内科医の経験。当時、CT検査や血液検査でも診断のつかないケースが一定割合あったと明かす一方、「現在はゲノム(遺伝情報)を調べて病気を突きとめる道が開けている」と声を強めた。
抗がん剤の場合、その成分の分子が、どのようにがん細胞のタンパク質と結合し、作用するのか。分子構造を可視化することにより、がん増殖の制御が可能になりつつあると解説した。
また、自らのがん研究については、「分子の釣り」と例えてみせた。
末松医学部長の講義を熱心に聞く生徒たち |
まず、がん細胞が赤血球に存在する有機化合物ヘムを使って増殖する点に着目したとし、「簡単に言えば、ヘムが釣りえさ。がん細胞の中に投げ入れて、ヘムと結合するタンパク質を釣るんだ。その結果、結合するタンパク質を一つ特定できた」
さらに詳しく調べたところ、ヘムと結合したタンパク質が引き金となり、がん増殖シグナルが発信されていることを突きとめたという。「タンパク質の構造が変わるとシグナルを出すので、構造を固定するような物質があれば、増殖を止められるかもしれない」と一気に話した。
「がんはしぶとい 未来は君たちに託す」
目を輝かせ、うなずく生徒たち。だが、現実は楽観できないとクギを刺した。「まず、こうした研究は世界に何千種類もあって、どれが最も重要なメカニズムなのか分かっていない」と指摘し、「がんは、しぶとい。そう簡単には死なない」と強調する。
なぜか。血管を塞いでがん細胞への酸素供給を止めても、がんは自らゲノムを変えて環境に適応することを示し、「最初は効果のあった抗がん剤が、効かなくなっていくのも、がんが巧妙にサバイバルするから」と話した。
4月に日本医療研究開発機構初代理事長に就任する予定の末松学部長は「がんだけをやっつけるのは非常に難しいが、不可能ではない。これからは君らの活躍次第。若い君たちに託す」と締めくくった。
質疑応答では、抗がん剤の流通が外国と比べなぜ少ないのかという質問に「日本では優れた抗がん剤が開発されている。でも、外国企業に買われてしまっているケースが多い。4月から、そうした創薬開発の推進や特許管理、研究費の柔軟使用に取り組むため、僕は大学を去ります。はなむけの質問。ありがとう」と、生徒たちに頭を下げた。
新5年生に白衣を着せる末松医学部長 |
白衣式に出席した生徒たち |
白衣式にも参加 医師になる心構えを学ぶ
講義後、生徒たちは4月から臨床実習を開始する同大医学部新5年生に白衣が授与されるセレモニーに参加した。セレモニーでは、エボラ熱が猛威を振るう西アフリカのシオラレオネから帰国した有井麻矢・同大医学部救急医学教室助教も講演し、8人は医師に求められるプロフェッショナリズムについて耳を傾けた。最後に、新5年生一人ひとりが白衣を着せられる姿を目に焼きつけ、医療に携わる厳粛さを味わった。
(参加した生徒たちの声は3月31日、読売新聞教育ネットワーク・会報のページに掲載する会報第3号で紹介します)
【セミナーに参加した高校】
福島県立会津高等学校
市川高等学校
千葉県立千葉高等学校
鴎友学園女子高等学校
渋谷教育学園渋谷高等学校
東京都立西高等学校
桐蔭学園中等教育学校
海陽中等教育学校