誰もが一流になれるわけではない、でも、誰でも「挑戦」することはできる。そんなアスリートたちの挑戦する場を提供する元プロサッカー選手がいる。「夢」を実現するため、私たち大学生には何ができるのだろうか。 (東洋大学・冨田大和)
イングランドで見た風景
「人がその場所で輝くことができるような世界を作りたい」
株式会社PLAY MAKERで代表取締役を務める三橋亮太さんが話してくれた。PLAYMAKERは、サッカーを中心に、アスリートのキャリアを支援する情報プラットフォーム。競技を続けたい選手は自身の強みや思いを、選手を求めるチームは、獲得したい選手像や環境などをアピールする。双方の条件が一致すれば契約につながるというものだ。2022年現在で、選手数700人弱(学生約80%、社会人約20%、プロ0・5%)、Jリーグを含めたチーム約160以上が登録するなど、着実に成長を続けている。
小学校1年生の時にサッカーを始めた三橋さん。プロサッカー選手を目指して努力したが、高校3年まで目立った成績を残すことはできなかった。地域選抜にも入れず、「自分よりも実力がある選手が多くいることを自覚していた」という三橋さん。関東2部リーグに所属していた尚美学園大学に進学してサッカーを続けることを選んだ。「同期」は約200人。試合に出るだけでも大変な世界だった。
当時の関東2部リーグには、元日本代表・小林悠選手(川崎F)や、三平和司選手(甲府)など現在でも第一線で活躍するプレーヤーたちが所属。レベルの高さに圧倒され、夢をあきらめかけた三橋さんだったが、3年生の時に訪れたイングランドで見た光景で、考えを改めたという。
「プロ」への道~そして挫折
プロ選手ではなくても、生活の一部としてスポーツに打ち込む人たち。「選手が好きなサッカーを突き詰めることで、社会の人々にエネルギーとして感じてもらうことは誇らしいこと」と実感した。「プロサッカー選手になりたい」と強く思った。
帰国後、いくつかのJリーグのチームの練習に参加を続けた三橋さんだったが、なかなか声がかからず、「メンタル的に結構しんどい」日々が続いた。4年生の2月、当時北信越1部リーグに所属していたAC長野パルセイロから連絡が届いた。ついに、「プロ」への道が開けたのだ。
約3700人の観客を集めた開幕戦にもスタメンとして臨んだ三橋さん。「この試合で活躍してやるとか、どうステップアップしていこうか、という思いの方が強かった」というほど冷静だった。ところが、シーズン終了後に告げられたのは「契約満了」という現実。
オファーもない中、淡々と過ごす毎日。漠然と、「ないなら、自分にオファーをくれるチームを作ろう」と思ったのが、PLAY MAKERの原点になった。同じ北信越1部に所属するアルティスタ東御(現・浅間)に移籍してスパイクを脱いだ三橋さん。一般企業で働きながら起業の準備を進め、2015年にPLAY MAKERをスタートさせた。
最大の魅力は、競技を続けたい人が続けられる「場所」と出会えること。選手がクラブに「逆オファー」を出すこともできる。チームとしても、ピックアップした選手に練習参加してもらい、気軽に自分たちの環境を肌で感じてもらうことができるようになる。
「P L A Y M A K E Rは、マッチングサイトではない。登録したからといってチームが決まるものでもない」と三橋さん。あくまで、競技を続けられる「場所」と出会うためのサービスだ。大切なのは、「自分の意思でキャリアを切り開く体験と仕掛け」を支援することだ。
キャリアの「1・5列目」
PLAY MAKERに登録している人たちを、三橋さんは「1・5列目」と表現する。1列目は、黙っていてもオファーが来るような一流選手。1・5列目は、これから何かに挑戦する人、挑戦したいと思っている人たちの集団だ。競技を続ける意思がある原石、能力はあるが、まだ情報が出回っていない選手と社会をつないでいくことを目指している。
契約につなげられる選手の特徴は、主体的に自分をアピールできること。「自分の強み、弱みをしっかりと分析し、言語化できる能力がある人は、人気銘柄」と表現する。一方で、なかなかキャリアが決まらない選手も毎年必ずいる。自らの経験も踏まえ、「同じように最後まで夢を追いかけている仲間たちがいる。忘れないでほしい」とエールを送る。
では、私たち大学生は、「キャリア」をどうとらえていけばいいのか。三橋さんは、「何か一つ夢中になれるものがあるかどうか。欲しているものがあるかどうかが大事」と訴える。無理に作るものでもないし、強制されるものでもない。自分の中にそういうものがあるということを認識すること―。
1・5列目からでも、「まず挑戦してほしい。必ず世界は広がる。挑戦は苦しいもので、無駄が多い。でも、それが人の厚みになって、生きた証しとして振り返れるものになる」と力を込める。自分を表現するということを諦めず、夢に向かって挑戦し続けること。私たち大学生が、「1列目」に出ていくために大切な心構えだと感じた。
三橋亮太(みつはし・りょうた)
1987 年生まれ。尚美学園大学を経て、AC 長野パルセイロ、アルティスタ東御でプレー。引退後はサッカー選手の支援のため、「PLAY MAKER(プレーメーカー)」を立ち上げた。
キャンスコ46号を読んで、感想を教えてください。抽選でAmazonギフト券が当たるチャンス。Webも読めばさらにチャンスが広がります。キャンスコ46号が手元になくても、Webコンテンツを読めば、アンケートに応募できます。
⇩回答はこちらから⇩