震災を紡ぎ続ける言葉の力~福島の詩人・和合亮一さんインタビュー

福島でから言葉を紡ぎ続ける詩人・和合亮一さん(本人提供)

 

 震災から10年の節目となった2021年。3月11日前後にはメディアでも大きく取り上げられ、大学生である私自身も、「あの日を忘れない」気持ちを新たにしました。一方で、出口の見えないコロナ禍もあり、「記憶」が薄れつつあることも事実です。震災を忘れないために、私たち大学生に何ができるのか。福島県在住の詩人・和合亮一さん(52)に聞きました。(法政大学・星柚花)

 

「震災を通してもっと大きな意味を伝えることが、これから先、必要となってくる」

 高校教師のかたわら、福島県から言葉を紡ぎ、詩によって震災を語り続ける詩人・和合亮一さん。福島県出身で東京の大学に通う私に対して、強いメッセージを贈ってくれました。福島県出身とは言いながら、震災の被害は比較的少なかった会津地方に生まれ育った私にとって、10年前の震災は少しずつ遠い存在になりつつあります。津波や原発事故によって避難を余儀なくされた方々も周囲にはいましたが、しっかりと受け止めることができていなかったことも事実です。

 和合さんは10年前の3月11日、福島県北部にある伊達市で東日本大震災に遭遇しました。避難生活に続く原発事故。和合さんは妻子を県外に避難させ、自身は福島県に残る決断をしました。「放射能が降っています。静かな夜です。」不安の中でTwitterで発信し続けた詩は後に「詩の礫」として書籍化され、海外でも大きな反響を呼びました。節目となる2021年も、「未来(いまき)タル 詩の礫 十年記」を刊行。福島市の寺院で行われた「3.11祈りの日」というプロジェクトで「詩の礫」を朗読し、「鎮魂の詩」として奉納しました。 

 「苦しい生活をしている避難所で、赤ちゃんが生まれた」「玄関先で動物がつながれたまま、つながれたままで...」。インタビューにあたり、「未来タル 詩の礫 十年記」を読んでみて、私が知らずにいた東日本大震災の事実を突き付けられました。

 

 「未来タル 詩の礫 十年記」和合亮一(徳間書店)

 

「若い方には日本を変えていく力がある」

 和合さんは何度もこの言葉を繰り返しました。限られた人生。「僕にできるのは、『若者たちには変える力がある』と伝えることぐらい」と話します。そのためにできるのは「何かを変えようとする大人の背中を見せ続けること」。そして「日本の改革に迫っていく努力を見せたい」と力を込めます。講演を行い、テレビや新聞等のメディアで発言したり、詩を書くことをワークショップで広めたりするなど、日本を変えようと奮闘しています。その際、たとえ失敗しても、その失敗の姿も含めて見せ続けることが、いつか若い世代の行動につながっていくのだと信じています。

 私には7つ年上の兄がいますが、和合さんの言葉を聞いて、「後に続く世代」としての心構えがほんの少しだけわかった気がします。兄の失敗を「参考」にしてきた私の行動が、今度は後に続く世代の「参考」になっていくかもしれない。和合さんのメッセージを強く心に刻みました。

 

「『震災文学』ではなく、『福島文学』を作っていきたい」

 震災から10年が経ち、福島にも震災を知らない子どもたちが増えてきました。震災に「歴史」として向き合うことになる子供たちに、どのように語っていくべきなのでしょうか。和合さんは「震災の出来事だけを追いかけるんじゃなくて、人生や社会、文学や教育、芸術、様々なものを重ねていくことで、永久に伝え続けることができるのではないか」と訴えます。自身の作品も「震災文学」として紹介される機会が多い和合さん。震災を通して、人生や社会や芸術や教育のあり様を語り合い、震災という括りだけに捉われることのない、より多様性のある意味を伝える「福島文学」という言葉を築きたいと考えています。

 福島の地から発信する文学で、日本文学を、そして日本社会を変えようとしていくこと。和合さんはその試みを「まだ始まったばかり」と話します。私自身、どこか他人事のように感じることもあった震災を、10年という節目をきっかけに、「自分の事」と感じることができました。今回、和合さんに話を聞いたことで、東京の大学に通う大学生としても、震災を語り継ぐ「主役」になっていかなければならないと感じています。

 

 

和合亮一(わごう・りょういち)

1968年、福島市生まれ。高校の教員として働きながら詩作を続けて、1998年に中原中也賞を受賞。東日本大震災の時にTwitterで発信を続けた詩はのちに、「詩の礫」にまとめられた。2017年夏にフランスで翻訳・出版され、第1回ニュンク・レビュー・ポエトリー賞を受賞。国内外で大きな話題を集めた。

(2021年7月13日 09:39)
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