先端に網のついた棒(ステック)を使ってボールを奪い合い、相手のゴールネットに入れることで得点を競い合うラクロス。一度くらいは目にしたことがある、という人も多いのではないでしょうか。この競技を大学から始め、トップレベルまでたどり着いた選手がいます。夢中になれるもののために努力する喜びを聞きました。
(慶応義塾大学・渋谷真由)
展開の速さ、激しさ~ラクロスの魅力
「スペースをよく見て動こう。そうそう、いいじゃん!」
7月上旬の土曜日。神奈川県立住吉高校(川崎市)のグラウンドに、ひときわ大きな声が響きます。
練習をしているのは、ラクロスに打ちこむ20人ほどの女子高校生たち。鋭い目で見守りながら声をかけるのは、顧問で同高教諭の織田陽子さん(22)です。
この春横浜国立大学を卒業したばかりの織田さんは、所属していたラクロス部を関東学生リーグ1部昇格へと導いただけでなく、日本代表にも選ばれた実力者。ラクロスに出会ったのは、2019年のことでした。卒業した県立川和高校では、バスケットボールに打ち込んでいた織田さんでしたが、大学にはバスケ部がありませんでした。「何をやろうか」と考えていた時、新歓で見学したラクロス部の試合で、バスケに通じる展開の速さと、激しいプレーに引き付けられ、入部を決めました。
初心者から「エース」に コロナで暗転
「スティック」(クロス)と呼ばれる、先端に小さな網のついた用具を使ってパスをしたり、シュートをしたりするラクロス。初心者にとっては、基本動作を覚えるだけでも一苦労です。自分でも「負けず嫌い」という織田さんの、猛練習が始まりました。
朝4時半に起きて横浜市内の実家を出ると、7時から大学のグラウンドで練習。授業の休み時間にも、わずかな時間を見つけては、キャンパス内の音楽堂で「壁当て」を繰り返し、パス練習を続けました。授業が終われば練習場に直行し、暗くなるまで練習に励みます。分からないことがあれば、先輩を質問攻めにし、休み時間の友人との会話もラクロス一色。そんな努力が実り、1年生の夏には試合にも出るようになった織田さんは、すぐに「横国のエース」と呼ばれるまでに成長しました。
そんな時に見舞われたコロナ禍。大会や試合も中止となり、大学は休講。それでも、織田さんのラクロスへの情熱が衰えることはありませんでした。先輩とLINEで連絡を取り合いながら、朝7時から筋トレ、素振り、壁あて、ランニングの自主課題をこなし続けました。「バイトも出来ないので、ラクロスに打ち込むしかなかった」という、地道な練習の日々が続きました。やがて部の活動も再開し、2020年には、6人制ラクロスの日本代表(sixes)にも選ばれます。「え、本当にいいんですか?という感じ」と織田さん自身が振り返るような大抜擢でした。
3年生からは、技術幹部として、戦略を練る立場にもなりました。教員志望で教職も履修していた織田さんにとって、忙しい日々が続きます。自分のプレー、チーム運営、代表活動、そして進路----。「常に考え続けて、記憶が無くなるくらい」という毎日。「1部昇格」の目標を掲げる部では、エースとしての責任ものしかかります。自ら「完璧主義者」という織田さんは、少しずつ心の余裕がなくなっていきました。
子どもたちに夢を与える存在に
悩み抜いた1年を経た4年生の夏、織田さんは代表の活動から、チームに軸足を移すことを選びました。「1部昇格」という目標に対して、全員が同じ意識を持っていたわけではありません。「エースである自分が中途半端であってはいけない」。織田さんにとっては苦渋の選択でした。
織田さんの重すぎる決断に、仲間も応えました。チームは快進撃を続け、入れ替え戦の結果、1部昇格を果たすことができました。自身も決勝点を挙げる大活躍。織田さんの思いは、最高の形で報われたのです。
この春、もう一つの夢である教師になった織田さんは、高校生を指導しながら、クラブチームでも選手として活動を続けています。目標は、再び日本代表として日の丸を背負うこと。「教師としても、選手としても、子どもたちに夢を与えられるような存在になりたい」と目を輝かせます。ほとんどが初心者である高校生たちを指導しながら思うのは、「自分のプレー、チーム運営、代表、進路、どれか一つのレベルを下げて両立させる、という選択肢もあったかな」ということ。「誰もが、ずっと頑張り続けられるわけではない」と学んだからこそ、高校生たちには、「ラクロスを好きであり続けてほしい」と考えています。常に明るく、声を出しながら指導する姿に、生徒たちも「織田先生、カッコいい」と口を揃えます。
バスケとは違う1点の重み。その1点を、共に努力を重ね、苦労を分かち合った仲間たちと喜び合う瞬間が、ラクロスならではの魅力。指導者になった今でも、ミニゲームに交じり得点を挙げると、とびっきりの笑顔が弾けます。新人教師として、大学時代以上に多忙な毎日を送りながら、織田さんはきょうもグラウンドに立ち続けます。