世界の神保町をめざす...シンポジウム【特集】書店街、文化の一大拠点に

左から、植村八潮、纐纈くり、浅田次郎、広野真一、西村幸夫の各氏

 「本の街」東京・神保町の活性化を考えるシンポジウム「世界の神保町をめざす―"知のプラネタリウム"の発信」(東京文化資源会議主催)が6月26日、千代田区の出版クラブビルで開かれた。活字文化議員連盟会長を務める上川外相がビデオメッセージを寄せ、作家・浅田次郎さんら神保町にゆかりの深い4人が街の魅力を海外に発信する方策を縦横に語り合った。

 

パネリスト

浅田次郎(あさだじろう)

 1951年生まれ。作家。「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞、「壬生義士伝」で柴田錬三郎賞、「お腹召しませ」で中央公論文芸賞と司馬遼太郎賞。日本ペンクラブ第16代会長。

纐纈くり(こうけつくり)

 1972年生まれ。江戸時代の和本、浮世絵、古地図を専門とする神保町の古書店「大屋書房」の4代目店主。国際浮世絵学会常任理事。

西村幸夫(にしむらゆきお)

 1952年生まれ。国学院大観光まちづくり学部長、東京大名誉教授。専門は都市計画。前日本イコモス国内委員会委員長。近著に「都市から学んだ10のこと」。

広野真一(ひろのしんいち)

 1956年生まれ。集英社社長。早大卒業後、同社に入社。広告部、宣伝部などに勤務。「週刊少年ジャンプ展」などを手がけた。

 

司会

植村八潮(うえむらやしお)

 1956年生まれ。専修大文学部教授。専門は出版学。日本図書館協会常務理事。電子書籍の普及や研究に携わり、最近は読書バリアフリーにも取り組んでいる。

 

パネルディスカッション

 ――最初に「私と神保町」というテーマで自己紹介を。

 浅田 実家がすぐそこ(神田)で、中学・高校時代の本の読み盛りは、ずっと神田駅のそばにいた。だから小説家になったということはないが、大きな影響があったことは確か。今も習慣として週に1度は神保町に来ていて、小説家としても私を育ててくれた街だ。

 纐纈 大屋書房は曽祖父が明治15年(1882年)に創業し、私が4代目。最も力を入れている商品は日本古来の妖怪が描かれた書籍や浮世絵で、妖怪をきっかけに、江戸文化を見たいという若い人やお客様が多く来てくれる。この街は個人商店が多いのが特徴であり、皆で協力して魅力を世界に発信したい。

 西村 学生時代から本が好きで通っていた。都市計画の目で見ると、元武家地と元町人町が交ざった最先端の地で、すごく面白い。

 広野 1979年に集英社に入社した。(社屋のある)神保町の滞在時間は、人生の中で相当長く、仕事を通して、商店の方々とも仲良くなった。

 ――神保町の街には、若い人は来ているのか。

 広野 10年くらい前の宣伝部時代に、漫画「ONE PIECE」の複製原画を200点くらい並べる青空展覧会を企画した。会期は16日間で、神保町に初めて来たという人が多く、「また来たい」という声もたくさん聞いた。

 纐纈 うちの店には、若い人が多く来る。妖怪博士の小学生が夏休みの自由研究に絵巻を作って見せに来てくれたこともある。

 浅田 今の若い人が本を読まなくなった感じはしない。サイン会や講演会には、一定数の高校生や大学生が来てくれる。ただ、僕が年寄りになって、神保町に不自由を感じる。地下鉄にエスカレーターがほとんどない。駐車場も少なく、値段が高いのも不自由の一つだ。

 ――神保町を建物という観点で見るとどう映るか。

 纐纈 隣の(古書店)八木書店とくっついている。建て替えをしたいが、古書店は以前より売り上げも落ちていて、等価交換でなければ難しい。今までのように、1階で生業(なりわい)を続けていきたいのに、駐車場やチェーン店になってしまったら継続できないので、何かいい方法がないか考えている。

 西村 建物が(隣の店と)構造として続いているのは、すごいこと。街として見た時に一体として見えるように作られていて、まちづくりのモデルになる。

 浅田 外国人が銅板葺(ぶ)き看板建築の写真を撮っていたのを見たことがある。「不思議な建築だな」と思ったのだろう。

 ――神保町ブランドを世界に広めるためには。

 広野 海外では紙の漫画がよく読まれていて、デジタルがこの数年は減ってきている。売り上げが各国で伸び、グッズに関する読者の要求が強い。

 纐纈 最近は、神保町を舞台にした小説「森崎書店の日々」の聖地巡礼でくる外国のお客様が多い。それをきっかけに、古書や浮世絵という日本文化を知ってくださるとうれしい。

 西村 週末の昼間は歩行者天国にして車を通さず、カフェを作って、ゆっくり座って過ごせるようにすればいい。神田は祭りがあるので、街が一つにまとまってやれる文化がある。

 浅田 外国人が神保町に来ると、日本を発展させて支えてきたのは、教養主義だということに気づくと思う。本を読んで売り、読んで売りを繰り返し、ちょんまげを結って刀を差していた人が(明治以降の)150年間、活字で学び、資源のない国が世界の先進国になった。盤石の教養主義を一目見てわかるのが、神保町で、これは日本の本質であり、栄光だ。できるだけ壊さないように発展させていきたい。

 

上川陽子・外相/活字文化議連会長...ビデオメッセージ

 神田神保町は、本の街として広く知られています。書店だけでなく、出版社、卸、印刷、製本、編集プロダクションなど、本に関わる多くの職種が集積しています。狭いエリアにこれほど質の高い古書店が軒を並べる地域は、世界でもなかなかありません。

シンポジウムでビデオメッセージを送る上川外相=大石健登撮影

 それぞれの古書店が専門分野で築いてきた独自のネットワークや古書の目利きとしての力など、知的な資源もあります。

 

本が持つ力、再認識へ

 読書人口が減っていることや、デジタル媒体で活字に触れる人が増えている現実は否めません。しかし、デジタル化が一層進んだとき、自分だけの時間を持ちたい、ゆっくり本を読みながら過ごしたいという人たちの受け皿として、本の持つ力が再認識される時代も来るのではないでしょうか。

 神保町を「知のプラネタリウム」として、世界に発信することを提案します。有形無形の文化財を星に見立て、様々な時間と空間を味わうことのできる可能性が、神保町にはあります。

 カレー店、楽器店、スポーツ関連の店、カフェといった魅力もあります。本を媒介に様々な人や業種が集い、一つの大きな知の空間となることをイメージしています。

 本が目的で神保町に来たわけではなくても、カフェやコミュニティーセンターなどで、思いがけない本との出会いを演出できればと考えています。

 政府が6月に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」にも、書籍を含む文字・活字文化の振興や書店の活性化を図ることが盛り込まれました。神保町を知のプラネタリウムとして、世界の拠点とするチャンスです。

 本は、我々を様々な世界にいざなう人生の羅針盤の役割も果たします。

 書店や書店街は、日本文化や日本コンテンツの発信拠点として機能するとともに、様々な文化が行き交い、国際的な文化交流拠点にもなりうる場所です。文化外交を推進するうえでも、書店街を国内のみならず、世界をターゲットとした文化の一大拠点として育てていくことが重要だと思っています。

 

新たな読者はぐくむ街...植村専修大教授の報告

 神保町は、本の街であると同時に読者の街でもあります。明治初期、神保町に学校が相次いで開設され、学ぶ人たちが集まり、彼らのために古書店ができた。新刊書店や出版社が生まれ、新たな読者をはぐくむ好循環が作られてきました。

 ただ現在の神保町は、飲食店などの値段や家賃が高く、学生があまり来ていない。若い人の足が遠のいているように見えます。古書店街の建物の老朽化が進み、事業の継承も課題です。

 神保町には、人的資源や空間資源が多くあります。一方で、夜間や週末に開いている店が少なく、時間資源を生かし切れていない。まずは、神保町のナイトライフを設計し、にぎわいを呼び込めないか。官民学で協力してアイデアを出すことが求められています。

 

東京文化資源会議とは 東京の上野や本郷、神保町をはじめ、江戸期から現代までの特色ある文化を持つ地域で、多様な文化資源を生かしたプロジェクトを進めている。官民学などの様々な分野の関係者が参加し、東京の魅力を掘り起こす試みを続ける。

【主催】東京文化資源会議

【共催】神保町文化発信会議(活字文化議員連盟、出版文化産業振興財団、東京文化資源会議、本の街・神保町を元気にする会、文字・活字文化推進機構、読売新聞社)

【後援】活字文化推進会議、千代田区

(2024年7月16日 19:50)
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