[23]「学校は大丈夫ですか?」
進路室には12人の先生がいる。「しゃべっていないと死んじゃう」と語る先生が多く、校内でいちばんにぎやかだ。毎日、たくさんの生徒や先生がやって来る。誰が来ても「はーい」「こんにちは」と明るく迎えるのが、俺の大切な役目だった。
休校になり、生徒がいなくなった。あかりの消えた教室。寒々とした廊下。寂しさに負けそうになるが、それでも教員にはやるべきことがたくさんある。ネットで発信する学習動画の作成や、小冊子「進路の手引き」の編集など。進路室で仕事をしていると、先生方のにぎやかなおしゃべりに包まれる。読んだ本や昨夜のテレビの話題で笑いが広がる。俺の好きな児童書や絵本の話ができる先生もいる。進路室は安心できる場だった。
おしまい。と言い閉じられた絵本にはたとえば明日のわれらも住まう
樋口智子『幾つかは星』
ところが、そんな安心は崩れ去った。
4月10日、職員の打ち合わせが開かれ、「これからは出勤者を3割に抑えます」という方針が出された。所属学年などを中心に職員はグループ化され、「今日はXグループが出勤する日」というように決められる。週に1~2回は出勤日となるが、あとは在宅勤務になる。確かに、狭い部屋で十数人の職員が机を並べて働くのは、世間でいう「濃厚接触」に当たるのだ。俺は、夏休み直前の生徒のように、大量の教科書や「進路の手引き」の資料を抱えて帰宅した。
在宅勤務の初日。「千葉聡です。今から在宅勤務を始めます」とメールを送り、ノートパソコンを広げる。数分仕事をしただけで、「学校に置いてきた、あの資料を見たいなぁ」とか「このことは、○○先生に聞けばすぐ教えてもらえるのに......」とつぶやく始末。その日の午後には「早く勤務日にならないかなぁ」と思うようになった。
数日後、ようやく出勤日。いつものバスは、乗客が半分ほどに減っていた。サンドイッチを買おうと思っていたカフェは閉店。学校へ行くと、進路室には、俺の他に4人しかいない。それでも仕事をこつこつこなし、少しおしゃべりをして、一日は終わった。夕方、学校から「これからは出勤率を2割に抑えることにします」とメールが来た。
在宅勤務が増え、出勤日は遠くなった。家で仕事をしていると、母と口げんかになったりして疲れる。夜遅く、蒔田公園まで走りに行った。走りながら考えた。俺も辛いけれど、今こういう気持ちでいるのは俺だけじゃない。生徒たちは、どうしているだろう。
5月に入ってもコロナウイルスの感染は収束せず、休校期間はさらに延長する見通しだ。コロナがはやくおさまりますように。横浜の夜空には星は見えない。それでも空を見上げて祈りたくなる。
まだことば生まれぬまへに祈りはあつた綺羅めく空に膝を折りし日
笹原玉子『偶然、この官能的な』
ただ、嬉しいこともある。休校になってからというもの、ときどき卒業生がメールをくれるのだ。ツイッターには「CHIBASATO」アカウントがある。それを見つけた卒業生が「学校は大丈夫ですか?」とDMをくれる。
「ありがとう。大丈夫だよ。今は家で仕事中。お茶を飲みながら自分のペースでやっています。授業の準備もこつこつやっています」
心配をかけたくないので、こんなふうに返信する。笑顔のマークを添えたりして。
「先生、学校は大丈夫ですか?」
「大学の授業はいつから始まるかわかりません。バイト先も休業になりました」
「今のうちに勉強を進めようと思います。ちばさとにすすめてもらった本を読んでいます」
「家で一日に一本、映画を見ることにしました。先生のおすすめの映画があったら教えてください」
「マスクを手に入れました。足りなかったら言ってください。いつでも送りますよ」
大学は立ち入り禁止になり、バイトも思うようにできなくなり、多くの大学生が苦しんでいる。それでも、彼らは優しい言葉をかけてくれる。
みんな、メールを本当にありがとう。俺は、物書きなんだから、みんなに元気になってもらえるような作品を書かないといけないね。
若者たちに教えられ、救われる。こんなにも、こんなにも。
ペンだこを何度も触る夜中二時海なんてない火星のように
カン・ハンナ『まだまだです』
千葉 聡 @CHIBASATO
1968年生まれ。横浜市立桜丘高校教諭。歌人。第41回短歌研究新人賞を受賞。生徒たちから「ちばさと」と呼ばれている。著書に『短歌は最強アイテム』『90秒の別世界』など。「短歌研究ジュニア」の編集長も務めています。
コロナウイルスはなかなか収束しませんが、必ずおさまる時が来ます。読者のみなさま、どうかお体、くれぐれもお気をつけください。
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