2030 SDGsチャレンジ

スペシャリストに聞く

「難民救う」方法探る 記者の目

新聞記事で紹介した山口さんたちが主催する活動。この日は国際NGOの施設を会場に借り、たまたまアフリカから来日していたNGOスタッフに難民の現状を聞いた

 

Z世代の思考とは?

 

 記事に登場してもらった山口由人さんは、2004年生まれ。1990年後半から2012年ごろに誕生した「Z世代」、そのど真ん中だ。

 

 私は「団塊の世代はこうだ」とか「新人類はこうだ」とかいった世代論にはこれまで与しないできたが、Z世代の若者たちに、これまでの世代とは明らかに違う思考・行動パターンがあることを教育連載「SDGs@スクール」の取材で、たびたび目撃するようになった。

 

 山口さんが代表を務める「Sustainable Game」のホームページを見ても、「Z世代」という言葉がいくつも見つかる。そもそも、彼らはホームページを簡単につくってしまう。オンライン会議も当たり前にやる。生まれながらにして、スマートフォンやSNSに囲まれて育った「デジタルネイティブ」なのだ。

 

 だから全国各地から参加者を集められる。協働してくれる企業探しも簡単にやってのける。場合によっては、海外の同世代ともコンタクトをとろうとする。

 

 これは、その前までの世代には難しかったことだ。できなくはないが、簡単な道具がなく、ハードルは高かった。少なくとも、中高生と真正面から協業したり、向かい合ったりする企業はなかった。その違いがまずは驚きだ。

 

 環境保護より価格重視の親世代とは、彼らの思考パターンが違うことは数多くの調査でも裏付けられている。電通パブリックリレーションズ(東京)の企業広報戦略研究所が全国の消費者約1万人を対象に調査したところ、SDGsの認知率(詳しく知っている+聞いたことはある)は20年に39.8%で、前年比15.6ポイント伸びた(図表参照)。若者世代ほど認知率が高く、このうち20代男性は61.7%に達した。企業のSDGsへの取り組みを知った消費者の71.1%が「その企業の商品やサービスを購入または利用」するなど何らかの行動をとったと回答した。

 

 

 

 今日のような激変期を生き延びようとする企業側としても、近未来の購買者であるZ世代の視点はマーケティング上、欠かせない。少なくない数の企業が山口さんたちZ世代の活動に関心が湧くのは、当然と言えば当然なのだろう。たとえば有名なところでは、栄養豊富な藻類であるユーグレナの食品化やバイオ燃料開発などを進める「ユーグレナ」社(東京)が社内の実質ナンバー3の役職として、18歳以下のCFO(最高未来責任者=Chief Future Officer)を任命している。今は、二期目CFOとして、環境保護活動に取り組んできた大阪府出身の川﨑レナさん(2005年生まれ)が経営に参画している。

 

地球と自らの未来

 

 もう一点、彼らZ世代の特徴は、地球の行く末、なにより自らの未来に不安を肌で感じていることだ。山口さんの団体の名前も「持続可能(サステナブル)」を冠している。協業する企業に対しても、山口さんたちは「持続可能な経営」をZ年代の視点から提言している。彼らのイベント会場ではペットボトルは禁止で、水筒持参だった。取材にお邪魔した日の昼食も、ベジタリアン(菜食主義者)用の弁当が準備されていた。森林破壊や途上国の水不足などにつながる肉の使用を避けるためだ。

 

 真夏日や熱帯夜、ゲリラ豪雨や巨大台風、豪雪や小雪、乾燥による広範囲での森林火災――。実際、21世紀に入ってからの極端な気候(気候変動)はデータ上からも肌感覚でも明らかだ。一方、GAFAと呼ばれる巨大IT企業などによる富の集中や貧困問題、それに伴う難民問題や政情不安は、ドイツに滞在していた山口さん自身が実際に体験している。まさに「自分ごと」なのだ。

 

 彼らZ世代の思考パターンの背景をさらに探ると、学校教育の存在も大きいように見える。

 

 実は、SDGsという言葉が最近普及し始める前から、「ESD(持続可能な開発のための教育)」という名前の授業があった。SDGsとほぼ同じ問題意識の授業だ。ESDとはEducation for Sustainable Developmentの頭文字からの命名で、02年の「持続可能な開発に関する世界首脳会議」で日本政府が提唱した。

 

 ESDは、同じ年の国連総会で採択された国際プロジェクト「国連持続可能な開発のための教育の10年」(05~14年)のほか、13年の国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)総会で採択された「ESDに関するグローバル・アクション・プログラム(GAP)」(15~19年)に基づき、各国で取り組まれてきた。国内でも16年に発表された文部科学省・中央教育審議会の答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について」で、「ESDは次期学習指導要領改訂の全体において基盤となる理念である」と位置づけられた。山口さんたちZ世代は、こうした時代の潮目で教育を受けてきたのだ。

 

「自分ごと」にできるSDGs

 

 そのESDの理論的骨格に当たるものが、SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標=Millennium Development Goals)だ。MDGsは、開発途上国の貧困削減を掲げ、八つの目標が設定された。MDGsの目標を色濃く反映したESDも、発展途上国の問題に焦点が当たっていた。先進国からすると、なにぶん、「自分ごと」にしにくいプロジェクトだった。そのMDGsが15年を達成期限としていたことから、代わって同年に採択されたのがSDGsだ。

 

 SDGsは先進国の相対的貧困や経済格差の拡大、ジェンダー格差などにも目を向けた点がMDGsとは異なる。行政やNPOなどだけでなく、企業も重要なプレーヤーとしたことも違う点だ。その結果、私たち日本人も「自分ごと」としてとらえるようになった。これはパラダイムシフト(枠組みの転換)だ。

 

 それでも、SDGsの思想が資本主義経済の本流になることは最近までなかった。

 

 その様相が一変したのが、新型コロナウイルスの感染拡大だ。この感染症は、人類社会の様々な弱点をさらけ出した。コロナ禍から復活するためには、どうすれば良いのか。その解決策をいち早く示したのが欧州だった。

 

 欧州は「グリーン・リカバリー」という名称の巨額公共投資で「脱炭素社会」へ走り出した。それに続くバイデン新政権の米国、これまで脱炭素には拒否反応あらわだった日本の管政権までが温室効果ガスの大胆な削減目標を掲げたのは、正直驚きだった。この君子豹変ぶりに、日本政府の地球温暖化対策には一貫して手厳しい姿勢を示してきたWWFジャパンなど環境保護団体が「歓迎」の意向を示したのも驚いた。

 


日本でも太陽光発電の設置が進むが、他の先進国の後塵を拝している(成田空港と都心を結ぶ北総公団線で)

 

 これまでは「環境に投資しても、何の意味がある」といっていた企業が大きく舵を切った。脱炭素の潮流に乗り遅れた企業には、投資も有為な若い人材も集まらない。むしろ、投資は引き上げられ、不買運動さえ起きかねない。つまり、生き残れないという時代認識が鮮明になった。

 

 科学記者として環境問題に携わってきた私にとっては文字通り、隔世の感がある。気候変動に関してはすでに科学の問題としての決着を見て、政治経済の問題に置き換わったのだと理解している。同時に、そうした時代を駆動させる体現者が山口さんをはじめとしたZ世代のような気がしてならない。何も偶然の一致ではないのだ。

(小川祐二朗)

(2021年7月 9日 10:44)
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