魚の命 ふる里に還元 担当者に聞く
■全国大会常連校の理念とは? 広島県立世羅高校教師 宮本紀子さん
(2021年3月23日取材)
小川祐二朗 2020年4月に記事にして、ほぼ1年。全国ユース環境活動発表大会では内心、2連覇を期待したのですが、全国大会出場で終わってしまい、残念です。コロナ禍が直撃したこともあったと推察しますが、どんな1年でしたか。
宮本紀子 学校は休校になりました。それも春に。生徒たちの研究ももちろんストップしました。学校に入れませんから。例年、新年度は10月にある日本学校農業クラブの全国大会をめざして研究をスタートさせます。しかし、2021年度は県大会、ブロック大会、全国大会すべてがなくなりました。
私も生徒もモチベーションが上がらない訳です。締め切りがない訳で、気合が入らない。6月の県大会、8月の中国ブロック大会、10月の全国大会と、勝ち上がっていく楽しみがあるんです。スポーツと一緒です。
「SDGsは名前が変わっただけ」
小川 先生は北海道江別市にある酪農学園大学のご出身だったという記憶がありますが、世羅高校の農業経営科に赴任されて何年目なのですか。全国ユースでは2度連続で全国大会に行くなんてすごいと思いますが。
宮本 今年で4年目です。前任の油木高校でも全国ユースの全国大会には行きました。
小川 全国ユースでは農業高校が良い成績を上げるという印象があります。
宮本 そういう訳ではないと思います。ただし、農業高校が課題研究というか、主体的な学びを何十年も前からやってきたことが関係するのでしょうね。1年は栽培・飼育の基礎、2年はその発展、3年は自分で見つけた課題について仮説をたて、1年かけて研究を通して学びを深めます。農業科の学びは環境問題など扱う範囲がもともと広くて、特別SDGsという意識もありません。言葉が変わっただけで違和感もないんです。
コンテストに参加する訳
小川 それでも、全国大会の常連校というのはすごいです。
宮本 私が特別という訳ではなく、表現の仕方が学校内で終わるか、学校外まで広げるかの違いだと思います。教員は15年間やっていますが、こうした大会に出たい子が誰一人いない年はないんです。「やりたければやれば」という感じです。その積み重ねです。東京や海外へ行けるというので、(記事中に出てくる)荒木さんみたいに参加する子もいるんです。
小川 東京はともかく、海外にも行くんですか。
宮本 イタリアで開かれるスローフードの大会とか、フランスの農業高校との交流プログラムとかですね。私は研究をサポートしますが、「ああしなさい、こうしなさい」とは言わないんです。先輩が海外に行っているということは、「自分も行けるのかな」と後輩たちは考えますし、先輩たちは次の子のために自分たちの研究を頑張るという雰囲気はあります。先輩から後輩へ、順繰りなんですね。
フランスの農業高校との交流は農水省のプログラムですが、渡航のための予算がついているわけではないので、さまざまなコンテストに出場し、年間100万円の研究奨励金を獲得することを目標にしています。実際は、そこまでの金額に到達できる年はめったにありませんが、目標としていることで活動にも明確な意識付けができます。なんとなく大会出場するより、この大会で得た研究奨励金を使ってさらに海外研修に行きたいと生徒が思うことが重要です。
小川 こういう研究を生徒たちにやってもらうのに、大変なことは何ですか。
宮本 いや、私は生徒たちが研究する環境を与えることだけしかやっていませんから。実験装置と場所ですね。
小川 それでも、魚醤づくりに醤油メーカーと交渉したり、広島カープの選手たちにアロマオイルを贈ったり、いろいろ対外的な交渉は大変です。
宮本 企業の方も高校の取り組みの応援をしていただけるところがたくさんあります。取り合ってくれないかもとあきらめるより、話ができたらラッキーくらいと思いながら企業の方々に話をさせていただいています。そのおかげで、マツダスタジアムのバックヤードを観たり、選手はいないんですがベンチに座ったりと、生徒と一緒に楽しませてもらえています。
小川 普通科だと、こういうことは難しい。
宮本 本校では次回のカリキュラム変更時に、専門科(農業経営科・生活福祉科)が指導している課題研究を普通科の生徒の必須科目である総合学習でも学べるように変える方向で考えています。主体的な学びを進めていくのに、一方的に教える指導法ではなく、学んだことをどう生かすかが問われるからです。
小川 最後に、この種の授業やプログラムに興味はあるのだけどどうやったらいいかわからないと二の足を踏んでらっしゃる教員の方などにアドバイスをお願いします。
宮本 それは、子供のしたいことをできるだけ伸ばすことに尽きます。そのためには、子供の話をできるだけ丁寧に聞いてあげることですかね。もうひとつ加えると、クラスのゴールを決めておくことです。単なる発表でいいのか、商品開発や研究にするのか、それとも将来の目標にするのかといったことです。ゴールは1年後なのか半年後なのかがわからないと、スケジュール管理もできませんから。そのゴールも生徒が決めるのであって、大人が勝手に決めるものではないと考えています。
日本学校農業クラブは、戦後間もない1948年に学校農業クラブ(SAC:School Agriculture Club)として、全国の農業高校で誕生した。戦後の新制高等学校の学習活動の中で、農業高校生の自主的・自発的な組織としての出自を持つ。50年には全国組織を作る動きが強まり、全ての都道府県に農業クラブが誕生。「科学性」「社会性」「指導性」の育成を目標に、農業クラブの全国組織として、日本学校農業クラブ連盟「Future Farmers of Japan(FFJ)」が結成された。FFJは米国の農業を学ぶ高校生や大学生の組織であるFFA(Future Farmers of America:National FFA Organization)がモデルだ。