高円宮杯座談会(下)「グローバル人材」の押しつけが英語嫌いを生む??

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――では、全く話題を変えてみたいと思います。英語が苦手な友達や生徒がいたら、どういえば苦手意識を変えられると思いますか。

 

安河内 これ難しいよね。僕は教える立場だからね。統計的には相当数の生徒が英語は嫌いと答えている。何て言ってあげればいいのかな。

 

深井 学ぶことが目的化してしまうと難しい。「今日は不定詞を学びます」みたいな。どれだけ「ゲーム形式でやるよ」とか言っていても、「今日は不定詞やるから」って最初に言われたら、食いつかなくなると思う。だから、楽しさが大切。楽しさを感じてくれないと無理なのかな、と思います。

 

――映画を見たりとか旅行に行ったりとか、そういうことなんでしょうかね。

 

斎藤 楽しさを感じるポイントは人それぞれだと思う。私だったら「外国の人とコミュニケーションすること自体が楽しい」と思うから「じゃあ英会話をやろう」となる。すごく好きなハリウッドスターがいて、そのスターが何を言っているか分かりたいという思いがあれば、英語学習につながるのかなと思う。映画を字幕付きで見ていて、「字幕を読むより先に笑いたい」「コメディー映画を字幕なしで見たい」というように、きっかけはいろいろ転がっているのかなと思っています。

 

久松 英語を勉強として捉えるのが間違っていると思うんですよね。数学や理科とは違う次元のもの。勉強しなきゃいけないものとして捉えることに違和感がある。どうやって好きになってもらうかということに関しては、やっぱり僕たちが経験してきたような原体験の提供が一番だと思います。人それぞれ興味を持つ原体験は違うので、どうアプローチするかは本当に難しい。

 

安河内 多分、嫌いになった原因まで戻って考えないといけないと思う。最近、新聞や雑誌とか、校長先生のあいさつとかで「グローバル人材にならないと日本は生きていけない」と言われることが多い。これが英語嫌いを生む一因なんじゃないかと思う。どこに行っても「日本のGDPは縮小するので、グローバル人材にならなければならない」と。それはわかるけれど、そんなことを校長先生からいつも聞かされて、英語の先生からも聞かされる。「英語ができないと君は劣っていることになる」と言われているような気がするのだと思う。

 もちろん英語ができる人たちが世界で活躍して、日本の存在感を高めることは大事だけど、日本国内で頑張る人たちもいる。みんながみんな「すごい英語ができなきないとだめだ」と言われ続けると、「英語が苦手な僕はみんなの足を引っ張っている」という気持ちになるような気がする。だから僕自身は、その逆を行って、英語が苦手な生徒には「まあ英語なんかできなくたって生きていけるから。でも、できるとちょっと楽しいよ」と言うようにしています。

 

――随分、心が軽くなる感じがしますね。

 

安河内 数学が得意な人、勉強が苦手でもスポーツが得意な人もいる。ゲームが得意で世界に出ていく人もいる。自分の得意なところを探し、そこを伸ばすことを考えながら、「でもやっぱり英語ができたほうが楽しいよ」というくらいの言い方のほうがいいと思う。お父さんもお母さんも「英語ができないとだめ」と言い、学校に行けば校長先生が「グローバル人材になりなさい」だと、針のむしろだと思う。

 

――英語が苦手科目であってはならない、みたいな風潮が子供たちを苦しめることになるんですね。

(左から)東野友紀さん、深井雄介さん、安河内哲也さん、斎藤若奈さん、久松将太さん

 

「ネイティブ」と「完璧」の呪縛

安河内 日本人が英語をしゃべれないもう一つの理由は「ネイティブの英語」を気にしすぎること。

 

深井 ネイティブのように話さないといけない、ということですね。

 

安河内 異常なまでの完璧主義。これが、多くの日本人が英語をしゃべれない理由だと思う。

 

東野 もしかしたら、英語がしゃべれるけれども、発音を気にしすぎてしゃべっていないだけ、という人はいるんじゃないかなと思います。

 

安河内 英語が話せるようになるプロセスというのは、世界どこに行っても決まっていて、これは「Fluency first, Accuracy second.」という考え方。でたらめでもいいから、ぽんぽんとしゃべるのが先。でたらめでも、しゃべり始めると文法とか発音とかを勉強したくなる。後から追っかけて勉強して、正確にできるようになっていく。日本人は逆で、正確に話すことを先に考えてしまう。間違ってもいいからしゃべっていると、文法とかをしっかり勉強したくなる。英語を話していて、最初は過去形とか、過去完了形とか現在形の使い分けが難しいじゃない?

 

東野 時制の微妙なニュアンスを使い分けるには、かなりの練習が必要でした。

 

安河内 なかなか口から出てこない。でも、話しているうちに「現在完了形ってどういうときに使うのかな」って本を読んで勉強する。発音でも、例えば何かしゃべっている時に「L」の発音の時に舌をどうするかが気になって、勉強して練習してどんどんうまくなる。多くの日本人は逆で、本で勉強して、きちんと基礎固めをしてからしゃべろうとする。だからできない。

 

――完璧を求めすぎるんですね。

 

安河内 この前の中学3年生の全国学力テストでも、「彼女はローマに住んでいます」を英語で「She lives in Rome.」と書けたのが33.8%だったという結果について「中学の英語教育はちゃんとできていません」とテレビで報道していた。でも、なかなか書けないよ、完璧には。「Roma」って書いたり、ピリオド忘れたりとか、大文字になってなかったりとかするでしょ。ちょっとでも間違うと0点なの。完璧に書けた人だけが「◎」で、それが33.8%。これが「低い」と大騒ぎされている。

 一方、教育委員会は「白紙回答が多かった」と心配している。ちょっとでも間違ったら0点にされるんだったら、書かなくなるよ。そうじゃなくて、例えば「三単現」のSがついていなかったら、「オーケー。これなら世界で通じるから。よくできたな。でも1つだけ言っていい? これ、ほぼ完璧で99点だけど、Sがついていれば100点なんだ。今度、Sつけてみな」って言えばいい。

 これが、「ケアレスミスに気をつけなさい。最後にもう1回見直して、ピリオドがついていないか、大文字じゃないか、Sがついていないか。できていないとテストでは0点だからね」と言われる。これが、英語が書けなくなったり、しゃべれなくなったりしている原因だと思う。

 新聞記者や編集者はちゃんと校正して完璧を求めなくちゃいけないんだけれども、メール書いたり、しゃべったりする時にそんなことまで気をつけている人なんかいないもん。

 

――しゃべる時にピリオドは言わなくていいですしね。

 

安河内 異常なまでの完璧へのこだわり。映画「ラストサムライ」で、侍たちは、完成しないけれど、一生かけて完璧を求める。映画の最後、渡辺謙さんの演じる侍が戦いに負けた時、桜が散るのを見て「パーフェクト」って言う。あのパーフェクトに対するこだわり。これが裏目にでているんじゃないかと思う、多分。

 

東野 日本人に根づいてしまっているんでしょうか。

 

安河内 伝統的にね。例えば車づくりや半導体づくりではいい方向に出ているんだけれども、英語ははっきり言って、ある程度テキトーな人じゃないとしゃべれるようにならない。

 

斎藤 なるほど。気楽にやるということですね。

 

安河内 間違ったとしても、「俺ら外国人なんだから、発音なんて上手いはずないんだけれど、楽しくやろうぜ」というような人じゃないとなかなかできるようにならない。先生でも「格調高い英語をしゃべらなければなりません。そのためには文法が大事です」って生徒に対して強調しすぎる人は、生徒の前で英語が話せなくなったりする。もししゃべるとしたら、もう何回も練習して完璧に暗唱した英語をしゃべるだけ。即興ではしゃべらない。しょせん日本人なんだから、完璧な英語なんて無理なのに。それを無理して自分がしゃべれるふりをするから、生徒との関係がめちゃくちゃになっていく。特に帰国子女との関係がめちゃくちゃになっていく先生が多い。

英語を通じて世界を広げた経験を語り合う安河内さん(右)と学生たち

 

日本語と英語、それぞれの魅力

――この座談会の最後の質問です。私の個人的な興味なんですけれど、英語にあって日本語にない良さとか、日本語にあって英語にない良さってどんなものがありますか。

 

深井 面白いな、と思っているのは、例えば「走る」と言う時、英語では「ジョグ」「ラン」「ダッシュ」とか、いろいろな様態を動詞に含んでいる。日本語では「速く走る」とか「ゆっくり歩く」とか、わざわざ「速く」「ゆっくり」とか言わなければならないけれど、英語の場合はラン、ジョグ、ダッシュなどと一語で言えばいいのが面白い。

 

安河内 発見があるんだね。

 

東野 留学先でノルウェーの人と仲よくなりました。私はノルウェー語が話せないし、向こうも日本語は話せない。そんな中、一緒に星を見に行くことになって、英語で会話をしました。英語で「ミルキーウェイ」と言われる空の星の帯のことを、日本では「天の川」って呼んでいるんだよ。川の向こう岸には織姫がいて、反対側には彦星がいて、すごくロマンチックな話なんだ、ということを話しました。日本の話を英語で話すことができて、相手がそれにすごく興味を持ってくれて、「ジャパンはアメージングだね、オリンピック行ってみたいよ」と言われた。自分の国のこと、文化の違いを伝えられたのがすごくうれしかったです。

 

――文化の違いもちゃんと伝えられる。

 

安河内 自分の文化を外に紹介できるってすごく大事。日本人が今まで怠ってきた部分なので、それを若者がどんどんやってくれるってありがたいですよね。

 

――グローバル人材ほど日本を知っていなきゃいけないと思いますね。

 

東野 そうですね。

 

安河内 残念なんだけれども、アメリカの大学街とか歩いていると、日本人が少なくなっている。中国、韓国の人が多い。で、例えば外国に行くと、日本人がまとまって住んでいたりするんだよね。日本人が住んでいる建物というのがあって、住民はほとんど日本人。混ざるのが苦手なところがあるけれど、どんどん混ざって日本の文化を紹介しないとね。

 

久松 僕のイメージなんですが、英語は率直、日本語は遠回しで、奥ゆかしさがあったりしますね。ストレートに心の内を話し合えるのって英語なんじゃないのかなって思いますね。

 

安河内 英語はIで始まるんだよね。Iで始まらないと話し始めることができない。日本語は「私」「僕」「俺」とか言わなくても文ができてしまう。英語はIがないと始まらないので、常に自分がどうなのかということを中心に話を進めなくちゃいけない。

 あと、日本人は結婚披露宴などでのあいさつを時間内に収めることが苦手な人が多い。会社の会議でもそう。賛成なのか反対なのかわからない発言をする人が多い。季節の話で始まって、自分の身辺の話をして、最後にちょろっと、賛成とも反対ともわからず「微妙な問題なので、検討を続けることを私は提案します」と言う感じ。やっぱりスピーチの訓練をしていないからだと思う。みんながちゃんと勉強すればもっと会議が短くて済むはず。

 海外の会議では、アジェンダ(議題)があり、議題に沿って同意、不同意という意見を出し、ディベートする。で、決まったことを議事録にまとめる。それに従って次の日からみんな仕事をする。ものすごく効率がいい。だから、日本でも、もう少し大学でディベートなどの訓練をした方がいいと思う。そうしないと、日本企業では働けるけれども、世界の企業では働けなくなるかもしれない。

 

――大学ではそうした勉強はやらなかったですね。

 

安河内 だから、その意味でもスピーチコンテストとかディベートコンテストっていうのは学生にとって貴重な機会なんだと思います。

 

――きょうは英語をめぐって様々な議論ができました。多くの人たちが、英語に向き合うためのヒントを得られたと思います。みなさん、どうもありがとうございました。

 

(座談会は2019年11月5日、東京・大手町の読売新聞東京本社で行われました)


 

(2019年12月16日 14:00)
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