気がつけば、どこを漂流しているのだろう。十年......、心身の長い闘病を続けていくうちに、ほとんど寝たきり状態の日々。天井を眺めていると、健康だった昔の自分が映し出されてくる。現実を未だに受け入れられないのだろうか、過去にばかり思いを馳せてしまう。
必死で毎日懸命に生きているつもりだ。それは、間違いなく言える。だが、同世代の三十代の男性たちが、「働いて稼いでマイホームを建てた」とか、「あそこのお父さんは、よく家族サービスをしている」などと聞いてしまうと、落ち込んでしまう。経済力や有用性だけが人間の価値ではない。そう頭ではわかっているつもりなのに、ついつい他人と比較してしまう自分がいる。そうなると、「一体、私はどこに向かっているのか」と考え始め、やがて、「なぜ生きているのか」までもわからなくなり、今の自分が虚しくなってくる。その虚しさはやがて、泥沼にはまって身動きが取れなくなるような苦しさへと変わり、自分自身を見失ってしまう。
初めは、原因不明の下痢症状で体を壊した。そして次に、大学病院や専門病院で検査を何回やっても原因が特定できず、治るかどうかもわからない日々に心が折れた。それから闘病が長くなっていくうちに、だんだん心の病の方が酷くなっていった。
心の病は恐ろしい。本来思考は自由であるはずなのに、少しでも体調を崩すと、突如マイナスの感情がドカドカと心に侵入して勝手に暴れ始める。そして、そんな制御できない自分をどうしても許せず、「自分なんていない方がましだ」と言ったり、先の見えない闘病の日々に、「もう無理だ。消えたい」と口走ったりしてしまう。そして、その行動を現実に実践しようとしてしまう自分の衝動を必死で抑える。そんな繰り返しの日々だ。どうしても、こんこんと湧き出る「消えたい」という衝動を上手く処理できず、言葉に出さないと耐えられなかった。そんな私を一生懸命に励まし、支え続けてくれているのが妻や子どもの存在だった。妻子の支えが無ければ、私は一日だって闘病の日々を生きてはいられなかっただろう。
そんな地を這うような生活をしているある日、また私が「もう自分なんて要らない。終わりだ」と口走った。すると、いつもは黙っている妻が私に向かって静かに言った。
「もう、その言葉は聞きたくない」
私は、驚いた。長い闘病をずっと支え、私が自分をコントロールできなくなってしまった時も、常に私を受け入れていた妻が、初めて否定の言葉を口にした。そして妻は、意を決したように話し出した。
「私はあなたが病気になってずっとそばにいるから、あなたが頑張っていることも、それでも報われずに辛いこともよくわかる。でも、あなたが自分を蔑む言葉を発し続けることで、支えている私や子どもたちまで価値を下げられているように感じてしまうの。もしも、本当にそんなに価値のないあなただったら、それを必死で看護している私や子どもたちは一体何なの? 私たちまで辛くなる......」
妻は泣いたような、怒ったような顔をして言った。私は、全く気づかなかった。自分で消化できずについ口走る衝動で、妻子までも傷つけていることが全くわからなかった。周りが見えていない自分が、本当に恥ずかしかった。
よく「家族は運命共同体」という言葉は耳にする。だが、「家族が自分たちの自尊心や価値を共有している」ということまでは考えたことも無かった。私たちは互いの自尊心や自己価値を共有していて、自分の価値を下げることは、相手の価値までも下げているということに初めて気づかされた。確かに、よく考えればそうだった。もしも、私と妻が逆の立場で、「自分には価値がない」と妻から毎日聞かされていたら、やがて妻を看護する私の人生まで意味のないものに感じてしまっただろう。長年、妻が私の言動に耐えてきて、堪り兼ねて言った言葉だということがよくわかった。
病気になって以来、「自分を愛してあげて」と言われることは稀にあった。だが、それがどうしてもできなかった。「自己を愛する」ということが、何か後ろめたく、自己中心的な考えのように思えたからだ。しかし、妻が教えてくれたこの考え方なら、「自分を愛すること」は、「家族を愛すること」と同じになる。たとえ自分を愛することが苦手でも、支えてくれる家族を愛することはできる。自分と家族がイコールなら、家族を愛することが私を愛することにつながる。これは、新しい発見だった。
もちろん、自分を愛するヒントを教えてもらったからと言って、すぐに実践できるものではない。心の病気はしつこく、気がつけば負の感情に乗っ取られ、自分を嫌いになったり、自分を責め続けたりしてしまう。その衝動は波のように抗えず、常に襲い掛かってくる。しかし、私は闘いたい。妻が、勇気を出して言ってくれた言葉を無駄にしたくはない。私は、生きていても無駄じゃない。それは、支えてくれる家族と同様のことだ。今の私は、「家族を惨めにさせたくない」という思いで、自分を下げる衝動に歯止めをきかせている。無論、闘病の中から自分で自分を肯定する価値観を持つことは至難の業だ。それでも、私はこの状況の中から、できる限り前を向いてみたい。自分だけを見つめるのではなく、家族というもっと大きな存在の中での自分を見ていきたい。
「自分と妻子は一体だ。だから、自分を責めるなかれ。いきなり愛せなくても、頑張っている自分を否定せず、まずは認めてあげよう」
今日もそう自分に言い聞かせ、私は家族と共に病気と闘ってゆく。