第66回全国小・中学校作文コンクールの中央最終審査会が行われ、各賞が決定しました。応募は国内外から3万1841点(小学校低学年4860点、高学年7566点、中学校1万9415点)。文部科学大臣賞3点を要約して紹介します。(敬称略) =2016年11月29日の読売新聞朝刊に掲載しました=
<小学校高学年>
「祖父の握りこぶし」
熊本市立出水小6年 田中(たなか)ひかる
4月14日午後9時26分。突然の縦揺れが熊本を襲った。「地震だ」。机の下にすべりこんだ私は、東日本大震災の時、テレビで流れた映像を思い出し、暗闇に落ちていくような恐怖で泣きわめいた。
4月16日午前1時25分。地震がまた熊本を襲った。あまりの揺れの大きさに布団にしがみつき、体を固定することしかできない。母が私の頭上に覆いかぶさるように必死に守ろうとする。父が私と母の手を固く握りしめる。その時の肌の感触だけが、私が生きているような証しに思えた。
1回目の地震があった4月14日の昼間、祖父は、趣味の写真を楽しんでいたそうだ。
どの映像も明るくさわやかだ。今を盛りとばかりに美しく咲くつつじに、心踊らせながら、シャッターを切った祖父の姿が思い浮かぶ。
急に映像が変わった。震災後の祖父の家の映像。棚が倒れ、物が散乱している様子や家が傾いている様を撮ったものだ。あの日から一変したのだ。明から暗へ。白から黒へ。
それらの映像を一通り見たところで、祖父がつぶやいた。
「ということ......」
そのあまりに淡々とした声に、私は思わず祖父の顔を見つめる。穏やかな表情とは裏腹に、その手は固くこぶしを握りしめながら、小刻みに震えていた。
週末は、できるだけ祖父母の家で過ごすことにしている。夜は避難所で寝とまりしている祖父母のストレスが、話すことで和らぐのではないかとの思いからだ。
山積みとなったゴミ収集所に、黙々とゴミを片づけている祖父母の姿があった。異臭がたちこめる周囲に、私は思わず息をとめた。大量のゴミは、通りをふさぎ、通行の邪魔になっていた。それらをできるだけ隅の方へ並べ置こうと作業していたのだ。
「腰が悪いんだから、もういいよ」と、父が2人を制止しようとすると、「ここを通る度に、悲しくなるばってん」と、ほほ笑みを浮かべながら、手をとめようとしない。
引き寄せられるように、すっと私の手がのび、ゴミ袋をつかんだ。同時に父と母の手ものびた。5人は黙々とゴミの山と奮闘した。まぶたが急に熱くなり、目の前のゴミがゆらゆらと揺れ動き始める。このゴミを片づけること、それが今、誰かのためにできる唯一のことのように思えた。
平穏な日々が戻りますように。
熊本がまた元気になりますように。
祈るような気持ちで、私は一つずつゴミの袋を運んだ。
被災直後、祖父が握っていた固い握りこぶしには、「地震も必ず乗り越える」という祖父の決意も込められているのだと思った。
とっさに私は、祖父母の間に走り寄り2人の手を取り並んで歩いた。「地震に負けん」。そう伝えるように祖父母の手を握りしめると、祖父母も「負けんばい。負けんばい」と答えるように、二度、私の手を握り返した。(個人応募)
◆大人顔負けの叙述力
【講評】 田中さんは、熊本地震に襲われた時に味わった筆舌に尽くしがたい恐怖を大人顔負けの確かな叙述力で描いています。厳しい状況の中、熊本の人々の復興への強い決意を、言葉や表情とは裏腹に「固く握りしめられ、小刻みに震えている」祖父のこぶしに仮託して表現している場面は、私たちの心を鷲(わし)づかみにします。(新藤久典)