[4]「徳川家康はカッコ悪い!?」
廊下で3年男子たちがしりとりをしていた。「ツルゲーネフ」「藤原道長」「ガンジー」。
どうやら「人名しりとり」らしい。「ジー」のあとが続かず、困っているようなので、つい声をかけた。
「ジェイムズ・ジョイスはどう?」
「誰ですか、それ?」
困っていた少年が聞き返す。
「作家だよ。『ダブリン市民』を書いてる」
少年たちは「へぇー」という顔になった。
「ちばさと先生は作家だから、文学に詳しいんですよね」
いえいえ。俺は作家ではなく、正確に言うと歌人です。でも、「作家」と呼ばれて嬉しかったので「ありがとう」と応えた。
「それにしても、よくツルゲーネフが出てきたね」
「だって、国語便覧や世界史資料集に載ってたんで......。それで気になって、図書館で『初恋』を読んだんです」
こういう話ができるのが、桜丘高校のいいところだ。図書館にいると「シェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス』はありますか?」なんて聞いてくる子もいる。
汚れし牛乳風呂にただよひつつおもふシェイクスピアの父も革商
塚本邦雄『日本人靈歌』
会議のあと、進路室でおしゃべりした。
「今日、生徒たちが人名しりとりをしてたんですよ。それで思い出したんですが、中学校で社会科を教えてくれたK先生は、『テスト中、答えがわからなくても、空欄にはするな。空欄にするくらなら、適当に何か書け。でもな、そこで徳川家康と書くのはカッコ悪いぞ』と言っていました。俺が『じゃあ、何て書けばいいんですか』と聞いたら、先生は『そういうときは、和辻哲郎と書くんだ』と言ったんです」
先生たちも「へぇー」の顔になった。カバサワ先生が言った。
「和辻哲郎が出て来るところがいいなぁ。カッコいい」
「でしょう? それ以来『和辻哲郎ってカッコいいんだ』と思うようになって、高校生になって『古寺巡礼』を読んだんです」
俺が答えると、カバサワ先生は笑った。
「その先生は、テスト対策を指導したんじゃなくて、読書指導をしてくれたんじゃないかなぁ」
あぁ、そうだったのかもしれない。人名や書名を機械的に暗記させるのではなく、K先生は、文化の香りをそっと伝えてくれたのだ。
さざ波が私語をさらってゆくまでを目を閉じたまま先生は待つ
木下龍也『つむじ風、ここにあります』
千葉 聡 @CHIBASATO
1968年生まれ。横浜市立桜丘高校教諭。歌人。生徒たちから「ちばさと」と呼ばれている。著書に『飛び跳ねる教室』『短歌は最強アイテム』など。
進路室では、先生たちが昔の漫画やアニメの話をして盛り上がることもあります。
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