全国小・中学校作文コンクール

戦後間もない1951年(昭和26年)に川端康成氏らを審査委員に迎えて発足し、現在では国内外から3万5095点(第65回・2015年度)の作品を集める“日本一の作文コンクール”です。入賞作品は読売新聞紙面で発表されるほか、毎年、優秀作品集も発行されています。子どもたちの「書く力」を育てる本コンクールは、教育関係者や保護者からの認知度も高く、IT化が進む中、今後ますますその社会的意義が高まっていると認識しています。
《第68回》文部科学大臣賞作品紹介(3)(2018年11月30日)

 第68回全国小・中学校作文コンクールの中央最終審査会が行われ、各賞が決定しました。応募は3万966点(小学校低学年4917点、高学年7499点、中学校1万8550点)。文部科学大臣賞3点を要約して紹介します。(敬称略)


 

<中学校>

「半化粧」

千葉県・茂原市立冨士見中3年 矢部千晴(やべ・ちはる)

 月曜日の朝。また1週間が始まるという時に、母方の祖母は逝った。体中に転移したガンとの闘いに力尽き、この世にいることを諦めたような幕の引き方だった。5月の連休後、すぐのことだった。

 祖母の四十九日が過ぎた頃、がらんとした部屋の窓辺で揺れるハンゲショウに気がついた。白と緑の葉のコントラストが、私の心をざわざわと落ち着かなくさせた。その姿が、私と重なるような気がしたからだ。蓋をしたはずの祖母への感情。思い出すと、胸がちくりとする。

 昨年12月。茂原市内で一人暮らしをしていた祖母に、大腸ガンが見つかった。既に体中をむしばみ、次の夏は越せないかもしれない状態まで進行していた。

 即、入院。落ち着いたら退院し、抗ガン剤治療をすることになった。騒がしくなった母の毎日。叔母と協力して、祖母の面倒を見るために飛び回る日々が始まった。

 母が提案した。「おばあちゃんの残りの人生を楽しいものにしてあげたい。うちと順子叔母さんのうちの両方で暮らしてもらおうと思うんだけど、どう?」

 1月の終わりに、祖母は我が家にやって来た。祖母は予想以上に、人の手が必要だった。私たちも、祖母が何に困っているのか理解しきれなかった。楽しく談笑する時も多かったが、祖母に対するちょっとの配慮が煩わしく感じる。そうして、私と祖母の関係は少しずつ変わっていった。

 祖母は、時々遊びに行って甘えさせてもらう人から、私の家で療養する人になった。時間に余裕がある時には祖母に付き添った。でも、ピアノの練習がしたい。塾の宿題がしたい。私の時間を奪わないでほしい。いつまでこうしているのだろう。この時間が煩わしい。自分に戸惑った。

 自分が嫌で誰かに相談したくても、口に出すと心が一層乱れてしまいそうになり、できなかった。声にしたい声、言葉にしたい言葉に蓋をした。

 祖母は、叔母の家でも時々暮らした。「嫁に出した娘たちと暮らせて幸せだよ」と言って、家族全員を安心させてくれた。私は、正直なところほっとしていた。

 春。学校では新年度がスタートした。祖母は、抗ガン剤治療の成果はほとんどなく、病状は悪化の一途をたどった。とうとう、救急車で運ばれ再入院。7日目の朝、祖母の命の灯は静かに消えた。

 6月末、生前祖母が使っていた部屋の窓辺に見るハンゲショウの白い葉は、一層美しさをアピールし、緑の葉はぐっと深みを帯びている。ハンゲショウは「半化粧」と書くこともあるそうだ。葉の半分ほどが白くなるからだ。白と緑。2色の葉が存在している。

 私の心の中にも、二つの感情があった。隠してしまいたい気持ちと、見せていたい気持ち。私は、蓋をした感情を受け入れる時期に来ているのかもしれない。受け入れることで、祖母との時間に命が宿り、私の心で生き続ける。

 感情と向き合う。そして、認める。それから、自分の姿をハンゲショウに映していけば良い。私が鮮やかなハンゲショウと重なるには、まだまだ時間がかかりそうだ。(指導・村沢泰子教諭)

 

 

◆心の動き 的確に描写

【講評】 病を得て弱っていく祖母の力になりたいのに、煩わしいという感情が生まれてしまう――。そんな自分の内面を見つめ、複雑な思いを的確に言葉にしている。ハンゲショウの描写に心の変化を反映させる技巧も効果的。本心を取り繕っているのではないかと繰り返し自分に問いかける正直さと誠実さに胸を打たれた。(梯久美子)

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