全国小・中学校作文コンクール

戦後間もない1951年(昭和26年)に川端康成氏らを審査委員に迎えて発足し、現在では国内外から3万5095点(第65回・2015年度)の作品を集める“日本一の作文コンクール”です。入賞作品は読売新聞紙面で発表されるほか、毎年、優秀作品集も発行されています。子どもたちの「書く力」を育てる本コンクールは、教育関係者や保護者からの認知度も高く、IT化が進む中、今後ますますその社会的意義が高まっていると認識しています。
《第67回》文部科学大臣賞作品紹介(1)(2017年12月 1日)

 第67回全国小・中学校作文コンクールの中央最終審査会が行われ、各賞が決定しました。応募は3万2302点(小学校低学年4513点、高学年7841点、中学校1万9948点)。文部科学大臣賞3点を要約して紹介します。(敬称略)


 

<小学校低学年>

「宮沢けんじへのおねがい」

宮城教育大付属小3年 辻龍之介(つじ・りゅうのすけ)

 宮城県石巻市。

 ぼくがずっと行ってみたかったところです。なぜかというと、石巻市は、東日本大しんさいで、つなみのひがいがとくにひどかった場所だからです。つなみで亡くなった人や、今もみつかっていない人は合わせて、石巻市だけで4千人もいるそうです。東日本大しんさいの起きた2011年。ぼくは、2さいでした。お父さん、お母さん、先生などからその時の話をたくさん聞きました。

 石巻ふっこうマラソンというのが、6月18日にあることを、テレビを見て知りました。お父さんとお母さんにもうしこみをしてもらい、お父さんと走ることになりました。

 本番の日、マラソン会場ちかくには、見たことのない家がたくさんあります。「かせつ住たくだよ」と、お母さんが教えてくれました。

 ここでたくさんの人たちが亡くなったり、つなみのひがいにあったりしたんだな、そんなかなしいことが二度とおこらないように、いのりの気持ちをこめて走りました。

 「ぼくには一しょに走ってくれるお父さん、手をふっておうえんしてくれるお母さんがいてすごく幸せなんだ」と、思いながらゴールしました。

 大会が終わり、お父さんとお母さんにおねがいして、しんさいのひがいが大きかった大川小学校に車で行きました。ぽつんと、つなみにたえてのこった小学校がありました。黒ばん、つくえ、つな引きのつな、6年たった今も、ぼくの毎日学校で見ている物がひっそりのこっています。たくさんなみだが出てきてとまりませんでした。

 ぼくの大好きな宮沢けんじが立っていました。そして、「雨ニモマケズ」の詩、「銀河鉄道の夜」の絵もあります。「世界ぜんたい幸ふくにならないうちは、こじんの幸ふくはありえない...」という言葉もあります。「平成十三年度卒ぎょうせい作」と書いてあります。しんさい前の卒ぎょう生が作った、へき画と分かりました。

 あの宮沢けんじが、こんなすがたになってしまった大川小学校を一人で見守ってくれているように感じました。

 「また来年、石巻ふっこうマラソンの後、遊びに来るね。いや、来年も、さ来年も。ずっと毎年遊びに来るね。ぜったいに。それまで宮沢けんじと待っていてね」

 ぼくは、大川小学校の亡くなったお友だちに話しました。

 今も、毎日のように大川小学校を思いだします。なみだが出ます。ぼくの住んでいる宮城県には、ほかにもしんさいで大きなひがいをうけた場所がたくさんあると思います。ぼくは、少しずつそのような場所へ行ってみたいとすごく思いました。

 ぼくの大好きな、宮沢けんじへ。「雨ニモマケズ、風ニモマケズ...大川小学校とお友だちを見守っていてね。また来年かならず、会いに行くから、それまで...。おねがいね」(指導・上杉泰貴教諭)

 

◆被災者への思い 丹念に

【講評】 東日本大震災のとき2歳だった作者は、津波の被害を自分の目で確かめたいと「いしのまき復興マラソン」への参加を決意します。石巻への道中もレースでも、常に被災者へ思いをはせるうち、大川小を訪れずにはいられなくなる......。自らの心の動きを見つめ、丹念に記す姿勢に深い感動を覚えました。(石崎洋司)=11月30日の読売新聞に掲載しました=

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