《第66回》文部科学大臣賞作品紹介(3)

第66回全国小・中学校作文コンクールの中央最終審査会が行われ、各賞が決定しました。応募は国内外から3万1841点(小学校低学年4860点、高学年7566点、中学校1万9415点)。文部科学大臣賞3点を要約して紹介します。(敬称略) =2016年11月29日の読売新聞朝刊に掲載しました=


 

<中学校>

「告知が紡ぐ心模様」

千葉・市川市立第一中1年 折本空音侑(おりもと・そなた)

 今年の8月で2年が経(た)った。これは私だけの心の闘病記だ。小学4年生だった2年と少し前の冬。私を呼ぶ母の声がした。

 母の口から出た言葉は、野球で言う直球のごとく私達の胸にドスンと届いた。

 「お母さん...がんになってしまったの」

 その夜、兄は、ゆっくりと言い聞かせるように話した。

 「一番つらいのは母さんだから、おれは母さんの前では絶対に泣かない。お前も泣くな」

 当時、兄と私は性格が違い過ぎてぶつかり合うことも多かった。その度に母が間に入ってくれていた。兄は本当にすごかった。母の闘病中、私と言い争うこともせず、私のわがままをすんなりと受け入れ、母の前ではけっして泣かなかった。

 初めての抗がん剤を終えた母は、翌日から起きられなくなった。誰の目から見ても「病いを患う人」になってしまった。

 抗がん剤を明日に控えた母は私を銭湯に連れ出した。

 「こうやってあなたと一緒に外のお風呂に来れるのも最後かな...」

 ゆっくり言葉をかみしめる様に母は言う。

 「たぶん次の抗がん剤で髪が抜けてしまうと思うの。それに...その後は手術もするしね」

 この頃から私は毎日手紙を2通書くようになった。一つは「母へ」、もう一つは「自分へ」。母に渡さぬ母への手紙には、はげましと良くなることへの願いを一途に書いた。私への手紙は、誰にも相談できない不安や苦しさを理解してあげる友達のように書いた。泣けない私の代わりに手紙の中で泣いてあげた。

 母の髪を奪った時間はわずか一日だった。風呂に入った母が、私達の前に姿を見せた時には髪と呼べる物は残っていなかった。兄の喉の奥が鳴ったのが聞こえた。私は立ち上がり、ビニール袋を片手に風呂場へ行くと、母の髪を拾い集めて中へ入れた。

 「私が...大切に預かっておくから」

 母に伝えた。母が全てを隠さぬのなら、私も自分がしたいと思うことを迷わずしようと決めた。

 「行ってくるね」といつも通りの様子で家を出た。だが私達はわかっていた。母が手術を受ける為に病院に向かったのだということを。

 6日後、母は帰ってきた。玄かんを開け、万感の思いで言った「ただいま」に私は涙で出迎えた。「行ってきます」と「ただいま」は二つで一つだ。約束を守った母に、封印してきた悲しみの涙を喜びに変えて贈った。病気がわかってから7か月目の心からの笑顔の一日になった。

 今もなお母の闘病は続いている。

 母の命は私にとって大切で重いものだ。私の様に親が病を抱える子供達の心に寄りそえる人になりたい。そして、病という敵に立ち向かう医りょうの道へ進んでいきたいと願っている。

 「無駄なものなど一つもない。感謝で生きる」

 つねづね口にしている母の信念は今、しっかりと私に受け継がれているのだ。(指導・神保良幸教諭)

 

◆心と筆の成熟 表す

【講評】 「お母さん、がんになってしまったの」。その日から小4の少女の日常が激変します。母は「病を患う人」になり、毎日が薄氷を踏むような日々。一方、そりがあわないと思っていた兄が見せる意外な気丈さと優しさ......。2年余りの記録を「心の闘病記」と呼ぶ作者に、心と筆の成熟を見た気がしました。(石崎洋司)

(2016年12月 5日 12:20)
TOP