2020年東京オリンピック・パラリンピックの1年延期決定から約1か月が経ちました。国内の新型コロナウイルス感染者は減少傾向、世界でも、外出自粛を解除する国が出始めています。少しずつ、「元の姿」を取り戻そうとしている世界ですが、まだまだ状況は予断を許しません。本来であれば、7月の開幕に向けて日本中が盛り上がっていたはずの今、改めて、五輪について考えてみたいと思います。今年1月から2月にかけて参加した青年国際事業「世界青年の船」(内閣府主催)で知り合った海外の友人などと一緒に考えてみました。
Stayhome スポーツの力
「驚いたが、最善の選択だと思う...」と話すのは、スリランカの友人です。大学が閉鎖され一日中家で過ごしていると言います。看護師の母親を持つため、感染の危険にさらされながら奮闘する医療現場の緊迫感を、日々感じています。「人命は五輪よりも大切だ」と話していました。一方、感染拡大の「震源地」となった中国の友人たちも、それぞれに不安を口にします。2022年に北京での冬季五輪を控えているため、「現状では延期は仕方ない」と理解を示します。一方、ワクチンや治療薬の開発が進まない現状では、「もう1年延びる可能性だってある。そうしたら冬季五輪はどうなるのか...」と単純な「延期」に疑問を呈しました。また、別の友人は、「2021年夏に開催できても、2022年の冬季五輪までは約5か月しかない」と不安を口にします。私自身も、急いで「日常」を取り戻しつつあるようにも見える中国の姿に、複雑な思いをぬぐえません。
Stay home週間は、スポーツと改めて向き合う機会となりました。スポーツ選手がSNSに投稿する運動動画を見て、新たに興味を持ったスポーツもあります。海外の友人が一貫して話していたのは「東京でのオリンピックが楽しみ」という前向きな声でした。不安感ばかりではなく、開会式や閉会式でどのようなパフォーマンスになるのか、「マリオは出るのかな」など、想像を膨らませてもいました。来年の東京オリンピック・パラリンピックを世界中が笑顔で迎えられるよう、今出来る事を続けていこう、と確かめ合いました。
耐えて、福島で聖火を
福島県中部の須賀川市出身の私は、現在、自宅でオンライン授業を受けながら毎日過ごしています。春休みのため実家に帰省していた私は、日々コロナウイルスの感染が拡大していく中、「東京五輪を予定通り開催する」という関係者の思いを聞きながら、一日も早い収束を願っていました。大学のある東京、出身地の福島県の両方で、ボランティアとして大会に参加する予定だったからです。3月下旬に福島県に到着した聖火は、楢葉・広野両町にあるサッカーのナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」を起点に、3月26日から3日間をかけて県内をリレーされる予定でした。2011年の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故で甚大な被害を受けた福島県にとって、聖火は「復興の火」でもあったのです。しかし、その願いも空しく、大会は1年の延期が発表されました。Jヴィレッジで予定されていた聖火の一般公開も、結局中止になってしまいました。
そんな中、私の住む須賀川市では、3月28日、1964年の東京五輪銅メダリスト・円谷幸吉選手を記念した「円谷幸吉 メモリアルパーク」の除幕式が規模を縮小して行われました。須賀川市出身の円谷選手は、悲劇的な遺書を残して自殺した「地元の英雄」です。毎年「円谷幸吉メモリアルマラソン大会」が開催されるなど、今なお市民に親しまれています。パークにある石のオブジェには彼の背番号である『77』が力強く彫られていました。円谷選手が好きだった言葉は「忍耐」。厳しい自粛生活に耐えながら、来年、福島で「復興の火」が見られるようになることを願っています。
(明治学院大学・丹伊田杏花)
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