新型コロナの影響で大学の授業もオンラインに切り替わり、IT機器が手放せない毎日です。それでも、空いた時間を見つければ、Twitter、LINE、Instagram、Twitter、Instagragramと、過ごしてしまいます。「どうすれば、スマホから自由になれるの?」。一度は思った人も多いのではないでしょうか。エッセイストの忍足(おしだり)みかんさんは、スマホに「支配」された体験と苦悩を著書の「#スマホの奴隷をやめたくて」に綴っています。「コロナ鬱」も相まって、ついついスマホを触ってしまう毎日、大学生はどう向き合っていくべきか、オンラインで話を聞きました。
忍足みかん さん
エッセイスト、1994年生まれ。東京都出身。首都圏の女子大学卒業後、会社員などを経て、2019年11月に「#スマホの奴隷をやめたくて」(文芸社)でデビュー。漫画の原作なども手掛けている。
「『いいね』くれないなら、もうフォローしなくていいよ」
忍足さんがスマホを手にしたのは大学1年生の7月、同級生から、「授業の連絡を、あなたにだけメールするのが負担」と言われたのがきっかけでした。早速始めたSNS。「いいね」は「自分の価値」。少ないと落ち込み、他人の「いいね」が多いと嫉妬する。「おはよう」「大学でた!」「バイト終わった」「おやすみ」と、逐一実況してしまいます。「SNSの罠に、はまってしまった」と振り返ります。寝ている時間以外は、ずっといじっていました。
ある日、5年来のネット友達で、直接遊んだこともある人から、フォローを切られていることに気づきました。本人に確認メッセージを送ると、帰ってきたのは「『いいね』くれないなら、もうフォローしなくていいよ」という言葉でした。
体の不調も追い打ちをかけました。下がる一方の視力に加え、体のだるさ、重さも抜けません。受診した整体で、首が緩やかな湾曲を失う「ストレートネック」と診断されました。スマホは、いつしか体をもむしばんでいたのです。
大学を卒業後、入社した金融系の会社でも、同期のLINEグループが作られました。業務連絡を受け取れなくなるので、なかなかスマホからは離れられません。「スマホを捨てたい」。毎日のように携帯ショップに通っては、葛藤する日々。「束縛から解放されることが、一番後悔しない選択」。決心したのは2017年の8月でした。「現代人失格」と自分に言い聞かせながら、解約を断行し、ガラケーを購入しました。4年に及んだ「支配」から離れて戻った「ガラケー生活」。「物は持ちすぎると崩れてしまう。持ちきれなくなったものを手放しただけ」と言います。
生活に不便はないのでしょうか。「メールと電話があるので、連絡は十分」と言い切ります。本の宣伝などのため、Twitterは利用しますが、Wi-Fiがある場所でしか使えないタブレットを使っているそうです。友人との連絡は電話。「ガラケーに変えたくらいでは縁が切れないのが本当の友情」と感じています。
電車などで、ぼんやりする時間も増えました。「そういう時間が本当に大事」と話す口調は、スマホから解放された充実感にあふれていました。
あえて「ガラケー」に戻した忍足さん。アナログな付き合いの価値を再認識したという(忍足さん提供) |
「やっぱり、直接人と会うことには価値がある」
コロナ禍の日常。私たち大学生にとって、ネットの必要性が高まっています。だからこそ、スマホとの向き合い方を考え直す必要があるとも言えます。
SNSは、理想化した自分を演出しているだけかもしれません。「見せたい自分を見せる」のは快適です。でもそれは他の人だって同じかも。SNSにあふれる虚像を見て、他人の素晴らしい生活を想像し、自分が人に見せたくない「素の自分」との落差に落ち込んでいるのではないでしょうか。私自身、「なんでこの人が褒められるの?」と悩むこともあります。
「0か1か」に割り切りがちなデジタルの世界。忍足さんは「ガラケーは多様性の象徴」と言います。いいね、じゃなくても、いいんじゃないの、と認めてあげられる社会----。「今というのは、刹那的なもの。今が去った時、手元には時代遅れの機器しかない。そうならないように、スマホとの距離感を考えなければならない」と訴えます。リアルな接触が制限され、ついついネットに救いを求めてしまう毎日。だからこそ「いつの時代でも、直接会うことには価値がある」と忍足さん。液晶画面からちょっと離れて、皆さんも一緒に考えてみませんか?
(上智大学・藤田梨佳子)
その19<< | >>21 |