天皇陛下の執刀医として知られる天野篤・順天堂大学医学部心臓血管外科教授(59)と同科は今夏、医師を志す高校生8人を受け入れ、早期医療体験プログラムを行った。8人は読売新聞教育ネットワーク参加校の生徒で、プログラムはネットワーク活動の一環として行われた。生徒たちは二人一組で3日ずつ、天野教授が率いる医療チームに早朝から密着し、順天堂医院(東京都文京区)の心臓手術に立ち会った。手術後の患者と面会もし、「命を預かる覚悟」「なぜ医師になりたいのか」を考えた。
医師志す高校生 心臓手術見学
無影灯の下、天野教授が直径2ミリの動脈を、髪の毛より細い糸で心臓表面の血管に縫いつけていく。心臓を動かしたまま、血管の狭窄部分に迂回路(バイパス)を作る冠動脈バイパス手術の真っ最中だ。教授の手は素早く正確に動き、糸がキラキラと光る。この様子を神奈川県立湘南高2年・樋口茉莉愛さん(16)と開智高2年・樋口晴哉さん(17)が見守った。
この日の患者は73歳。胸と左手から3本の動脈を採り、硬化した冠動脈に5か所のバイパスを作り終わったのは午後1時半。手術開始から4時間10分が過ぎていた。
「バイパス用の血管の色が変わり、血が流れる瞬間を確認できた。美しく神秘的な光景だった」「医師という仕事の重みを感じた」。2人は圧倒されていた。
早期医療体験プログラムを指導した天野教授 |
厳しい叱責
順天堂医院5階、心臓手術に使われる手術室は縦7.5メートル、横9メートル。中央の手術台と医療機器が並ぶ器械台は「清潔域」として、医療チームしか近寄ることはできない。
執刀医と看護師、臨床工学士らの間で飛び交う指示と確認。心臓に装着される人工心肺装置のチューブ類。高校生たちは清潔域から50センチ以上離れ、医師の解説を受けながら手術を見学した。
彼らの印象に強く残った点がある。それは手術中の教授の厳しい指導だ。
「糸を握る角度が違う。なぜ約束を守れない!」
60代男性の大動脈弁を人工弁に取りかえる手術では、容赦ない叱責が時には准教授に、時には臨床工学士に向けられる。
手術後、叱責を受けた医師は生徒たちに声をかけた。
「あれだけ指導してくれる人はいない。人工心肺を回す時間を1秒でも短縮し、麻酔や薬液量を少しでも減らす。全て患者の負担を減らすためなんだ」。
外科医が目標だという市川高2年・安藤実さん(16)は「一つのミスも許されない世界だと分かって良かった。やはり、この世界を目指したい」と受け止め、別の生徒も「患者のため必死に手術していることが教授の声から伝わってきた」と話す。
多くの医師がサポート
プログラム中、生徒たちは多くの医師のサポートを受けた。
早朝の手術前最終会議では、スクリーンに3D造影映像や心エコーが映し出され、担当医が症例を説明する。専門用語の洗礼を受け、戸惑う生徒たち。声をかけたのは医局のベテランだ。
「LAD75%というのは、3本ある冠動脈の1本が75%も狭窄していて、酸素と栄養が心筋に届いていないこと。だからバイパスが必要なんだよ」。心臓の模型や動画を見せながら分かりやすく説明する。
手術中、森田医師(右)から説明を受ける生徒たち |
手術室では森田照正医師(54)が講師役だ。上行大動脈の一部を人工血管に、大動脈弁を人工弁にかえる手術では5時間にわたり生徒たちに付き添った。
「執刀医は戦略を立てて心臓にメスを入れる。患者の心臓を立体的にイメージし、何通りものシミュレーションをするんだ。よし、手術室に入ろう」。
森田医師は生徒たちとともに麻酔科エリアや人工心肺装置エリアを行き来し、手術の重要なポイントを丁寧に説明する。だが、森田医師の代わりに教授の手術を見学しにきている外科医や研修医、医学生が臨時講師役を務めることもある。
民間病院出身で秋からドイツに活動拠点を移すという安健太医師(37)は、教授の冠動脈バイパス手術に「ダイヤモンド吻合」という高度な技術が使われたことをノートに描いて説明した。
日独の心臓手術の違いも熱く語り、「僕が働く予定のドイツの病院では年間5000件の心臓手術を行っていて、世界スタンダードを学びたいと思っている。でも、突きつめれば、医師の目標は患者を幸せにすることです」と伝えた。
■早期医療体験とは■
早期医療体験(early exposure)は通常、大学医学部低学年生を対象に行われ、手術や地域医療の見学、外来患者のエスコートなどがある。 今回、天野教授があえて高校生を対象とした背景には医学部進学熱がある。医学部合格を目標とするのではなく、「良い医師」となることを目指し、医療に携わる心構えを具体的にイメージしてもらうのが目的だ。7月中旬から8月下旬の毎週3日間、順天堂医院で行われ、患者らの同意を得て心臓手術や集中治療室を見学した。
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