[17]胃袋は希望!
2年生が修学旅行で沖縄に行っていた10月初旬のこと。その日も、われわれ教員は、学生食堂に集まっていた。焼肉定食、ロコモコ丼、ラーメン。まだまだ暑い時期だったため、冷やしそばもあった。
1日のうち、数時間は授業の「空き」がある。昼休み直前の4限が「空き」だと、「学食ファンクラブ」の教員が食堂にやってくる。嵐の前の静けさ。昼休みに突入すると生徒たちが大挙して押し寄せるが、今は大人の語らいのひとときだ。
クリハラ先生は定食を大盛りにしている。
「クリさん、よく食べますね。男子大学生のランチみたいですよ」
俺が感心すると、クリさんはじつにいい笑顔になる。毎日、高校生に接していると、心身ともに若くなるのか。教員はみんな実年齢より若く見えるし、じつによく食べる。五十代の先輩も、二十代の若手も、焼肉にはマヨネーズをかけ、単品のラーメンには半チャーハンをプラスしている。たくさん食べられることを、お互いに見せつけ合い、「まだ若いぜ」というアピールをする。この若さと体力は、生徒にも負けない!
もちろん俺も定食をぺろりと平らげ、そのあとで購買部の甘いパンを食べて見せたりする。同僚にも生徒にも負けたくない!
緑なるものを食いたりそのあとは赤なるものを急いで食いぬ
髙瀬一誌『火ダルマ』
4限が終わり、生徒たちが食堂に駆けつける。食券の販売機前には列ができる。大人の語らいはおしまいだ。俺は進路室に戻った。昼休みには、3年生たちがやってくるのだ。質問、相談、赤本の貸し出し、小論文指導......。
その昼休みも、いつものようににぎやかに、そして平和に終わるはずだった。
だが、午後1時、校内放送が入った。
「えー、昼休みも後半。みなさん、お昼は済ませましたか? じつは準備の手違いから、今、食堂で定食などが60食ぶん余っています。生徒のみなさんでも、先生方でも、まだ胃袋に余裕のある方......」
放送が終わる前に、校舎のあちこちでは「おぉー!」とか「えー?」とか声が上がっているようだった。俺は隣の席のシノハラ先生と目を見合わせた。
「シノハラ先生、行きますか? 残飯にしてしまうよりは、食べたほうがいいですよね」
「いいや。俺はいいよ。もう胃に何も入らない。千葉ちゃん、行く?」
「いや、俺ももう満腹です」
それが、放送はこのあと「胃袋に余裕のある方には、無料で差し上げます。食堂へいらしてください」と続いたのだ。
「無料で」と告げられたとたん、進路室にいる俺の耳にもはっきり届くくらいの絶叫が聞こえた。三年生男子の一団が廊下をダダーッと駆けてきた。女子たちの名誉のために、はっきり言っておく。三年の校舎から駆けてきたのは男子だけだった。進路室の前で「ほら、駆けるなよ!」と声をかけても、男子の集団は夢中で食堂へと急ぐ。
そのあと数秒の間をおいて、一年生の校舎から男女の集団が駆けてきた。若者の胃袋はすごい。弁当を平らげて、なおも食べられるのだ。食べたいのだ。
様子を見ようと、食堂へ行く。廊下に生徒たちがあふれている。混雑している様子を、誰かがスマホで撮影している。60食は数十秒でなくなってしまったらしい。その情報が列の前のほうから伝わると「えー!」「もうないのー!」「食べたかったー」と声があがり、人々はあっさりといなくなった。
「あれ? ちばさと先生も食べたかったんですか? もう終わっちゃって、残念でしたね」
よく雑談をする3年生が声をかけてくれた。俺は、「そうだよ。食べたかったなぁ」とは、どうしても言えなかった。負けを認めるしかない。俺は2食ぶんも食べられない。
十代後半の胃袋は、かくも希望に満ちている。
スプーンに映れる顔ののつぺりと大き鼻さへいまは憎まず
前川佐重郎『不連続線』
千葉 聡 @CHIBASATO
1968年生まれ。横浜市立桜丘高校教諭。歌人。第41回短歌研究新人賞を受賞。生徒たちから「ちばさと」と呼ばれている。著書に『短歌は最強アイテム』『90秒の別世界』など。「短歌研究ジュニア」の編集長も務めています。
10月下旬、中間テスト。みんな、試験勉強、お疲れさまでした。そして個人面談が始まります。じっくり語らいたい秋です。
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