[21]突然のさようなら
2月27日(木)
「おめでとう! 良かった。本当に良かったね。大学時代は楽しい。これから本当の学問が始まるんだ!」
久しぶりに顔を出してくれた3年生たちに囲まれ、スタンドに座り、グラウンドを見下ろす。合格した大学を聞き、ハイタッチして喜んで、俺はつい「大学とは」と力説してしまう。
このところ小論文の個別指導が続いていた。放課後、部活に顔を出すのは久しぶりだ。
グラウンドの隅の鉄棒で懸垂し、体をほぐしてから、わが陸上部のトレーニングに入れてもらう。だいぶ春らしくなってきた。時おり風が吹くと、グラウンドの砂粒がピシピシッと俺の脚を刺す。
水を飲もうとスタンドに座ったところで、三年生たちに囲まれた。学校は毎日、予想のはるか上をいくにぎやかさで、思いがけない方面からドラマがやってくるし、なかなか大変なこともある。それでも、こうして合格を喜び合ったりして、完全に幸せなひとときもやってくる。
明日から学年末テスト期間(テスト1週間前)。部活は、明日から少しお休みだ。もうすぐ高校生ではなくなる3年生たちに囲まれて、グラウンドの風を吸い込む。声をかけあいながらサーキットトレーニングに打ち込む陸上部。魂をすべて目に集めてボールを追うサッカー部。腕をしならせてボールを遠くへ投げる野球部。また風が強く吹いてくる。
玄関のドアをひらけば吹いてくる風のことです春というのは
千原こはぎ『ちるとしふと』
練習を終え、進路室に戻ったら、先生方がざわめいている。
「千葉さん、ニュース見た? 休校になるよ」
スマホを見る。首相による突然の全国一律休校要請。新型コロナウィルス対策だという。
「まさか。首相が要請したくらいで、本当に休校にはならないでしょ!?」
俺は笑い返そうとしたが、いつもの笑顔にはならなかった。
3月2日(月)
午前中だけの短縮授業。俺が担当している2年生の古典は、ちゃんと授業をさせてもらえることになった。みんなの顔を見てから、思わず言った。
「よかった。今日、こうしてみんなと会えて」
黒板の端にカエルちゃんを描き、「よく来てくれた」と書き添える。
「先生、テストは、どうなりますか?」
「明日から休校になるけれど、16日から学校を再開する予定なんだ。そしたら学年末テストをやるよ。今日は、テスト範囲の内容で、何か質問があったら答えます。休校の間も、自宅でテスト勉強をしてほしいな」
おそらく「学校が休みになる。嬉しい」と思う子もいただろう。でも、桜丘の生徒たちは、こちらが真面目に話せば、真剣に受けとめてくれる。
3学期の終わりには学年総まとめの成績が出る。たとえば1学期に「4」、2学期に「3」だった子は、学年末テストの頑張り次第で「4」になるか「3」になるかが決まる。最後のテストは大切だ。机の間を歩くと、あの子もこの子も、ノートを指し示して質問してくれる。
彼らはまだ2年生。来年度も校内で会う。でも、このメンバーが揃って授業を受けるのは、もしかしたら今日が最後になるかもしれない。さっきは「学年末テストをやるよ」と言ったものの、俺は内心「休校は延長になるに違いない」と思っていた。コロナウィルスの脅威は、日々増していくばかりだ。
でも、明日から完全休校になるみんなと、「これで最後だ」みたいなお別れはしたくない。
「また一緒に勉強しよう。何かあったらいつでも質問を受け付けるよ。じゃ、またね」
いつもの授業と同じように別れた。生徒たちもいつもと同じように「先生、またね」と教室を出ていった。「またね」という言葉が、ここにいるみんなを少し救ってくれる。「また」があると信じる力が、少し湧いてくる。
教室に残る少年となへたる論語のなかを渡りゆく鳥
楠誓英『禽眼圖』
千葉 聡 @CHIBASATO
1968年生まれ。横浜市立桜丘高校教諭。歌人。第41回短歌研究新人賞を受賞。生徒たちから「ちばさと」と呼ばれている。著書に『短歌は最強アイテム』『90秒の別世界』など。「短歌研究ジュニア」の編集長も務めています。
横浜市立の学校は、3月24日まで休校することになりました。25日には修了式。ようやくみんなに会えます。その日まで、とにかく仕事を頑張ります。みんなも、どうか元気でいてください!
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