沼田 晶弘
第43回 はじめての教壇(2)
♣コイツを何とかしてやりたい
「オレ、M高行きたいんだよ」
周治の言葉にボクは驚いてしまいました。「あ、そう」としか言えなかった。
「内申取れっかな?」
「いやムリだろ!」
ボクは思わず言ってしまいました。授業を平気でサボったり、先生にも楯突いたりするザ・やんちゃ君がいい内申書なんて取れるはずがありません。そもそも内申云々の前に偏差値が足りない。周治の成績はオール3に届いていなかったはずです。M高校の学力ランクはそう高い方ではありませんが、今の周治の成績ではかなり難しいでしょう。
「どうしたらいいべかなぁ?」
周治は真剣に悩んでいます。その時、「コイツを何とかしてやりたい」という気持ちがボクの中にムクムクと沸き起こってきました。
「お前これまで全然勉強してなかったべ。やったらできんじゃね? 頭イイと思うし」
それはお世辞でもなんでもなく、本当にボクが感じていたことでした。
「じゃあ沼田、お前が教えてくれよ」
「しゃあねぇなッ」
♠たった二人だけの教室
すでに3年生の10月、放課後になるとみんなさっさと帰ってしまいます。部活を夏で引退し、高校受験のために塾に通っているからです。教室にはボクと周治の二人だけでした。ボクはノート代わりに黒板を使って周治に教えました。いや、「教える」という偉そうな気持ちはボクにはありませんでした。周治とは「一緒に勉強した」という方が正しいと思います。
「2・26事件ってたまたま2月26日に起こしたからなの? 別の日付でもよかったわけ? じゃあバレンタインにやっとけよな!」
「ILOって何の略? アイラブオカマとか?」
まったく不謹慎ですが、26年前のアホな中学生男子の会話なのでお許しください。こんなバカ話をしながら勉強していました。これは今でもボクの授業に生きているのですが、雑談しながら覚えた知識は意外と忘れないんです。時々「お前ら何楽しそうにやってんの?」と別の級友がやってきて、3人で勉強することもありました。テキストはもっぱら教科書と公立高の過去問でした。一緒に問題を解いて、周治が引っかかるところをボクが解説するような感じで、ボク自身もけっこう勉強になったんです。
テストの点数だけでなく内申点も上げねばなりません。それにはまず授業をサボらないことです。ダルいから授業出たくねえと言う周治に、「授業出ねえと内申落ちてM高行けねえけど?」と諭すと、周治は素直に授業に出るようになりました。昔はよくやった授業妨害もしなくなったばかりか、「おい沼田、あれどういう意味かな?」と授業についてボクに質問してくることが増えてきました。
♦やんちゃ君の本当の姿
ボクが思った通り、周治は根が真面目でしかも向上心がありました。
「沼田、こういうもんあるの知ってっか?」
ある日周治が自慢気に言うので、何かと思ったらリングで閉じた受験生用の暗記カードです。
「これ便利なんだよ! すっげえ勉強しやすいんだぜ!」
思わず笑ってしまいました。いろいろ素行に問題がある周治でしたが、こうした一面を先生たちが知らず、知っているのがボクだけなのは不思議な気持ちがしました。
危うい時もありました。体育の授業でボクと周治が見学に回っていた時(正直サボりでしたが)、バスケの試合を見ていた周治がつい制服のままコートに飛び入りしてしまったのです。
「何やってんだ周治、お前見学だろう!」
担任でもある体育教師にとがめられ、カッとした周治がその教師につかみかかりそうになりました。ただそれには前段があり、前日に開かれた保護者会で、当時荒れ気味だった学校内のあれこれについて、周治のお母さんがさんざん責められて泣きながら帰ってきたそうです。そのやり場のない怒りが溜まっていたのでしょう。周治は口ではいろいろ言っていましたが、親思いの優しいやつでした。
「周治、手はポケット!」
思わずボクは叫びました。
「手ぇ出したらダメだ! M高行くんだろ!」
その声は届いたようです。ぐっと足を止めた周治は両手をポケットに入れて、その担任をにらみつけていました。
♥そして迎えた高校受験
周治との勉強会は翌年2月の受験直前まで続きました。その頃のボクはやんちゃでも成績は良かったので、担任の先生には進学校を当然のように勧められました。個人面談で「M高行きたいんですが」と試しに言ってみたら、「バカかお前は、何考えてんだ!」とさんざん怒られてしまいました。ただそれは、ボクの正直な気持ちでもあったんです。
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