ぬまっち先生コラム42 はじめての教壇(1)

休み時間のひととき(世田谷小で)

沼田 晶弘


第42回 はじめての教壇(1)


 

♣ボクの原点って何だろう?

 「沼田先生の教師としての原点は何ですか?」

 

 よく聞かれる質問です。そしてちょっと困ってしまう質問でもあります。

 

 「昔から子どもが好きで、教えることも大好きだから教師になったんですよ!」

 

 こう答えられたら格好いいし、納得してもらえるのかもしれません。でもそれは本当じゃありません。ボクは無類の子ども好きというわけではないし、正直言って高い志を持って小学校教師になったわけでもないからです。東京学芸大に入った時ですら、自分が教師になるなんてまったく想像もしていませんでした。

 

 ──ボクの教師としての原点は何だろう?

 

 そう考える時、ボクの頭の中によみがえるひとつの光景があります。放課後のがらんとした教室。窓の外は夕暮れ。校庭から何かの部活の掛け声が響いてくる。そう、ここはボクが通っていた中学校だ。ブレザーの制服を着たボクは教壇に立って熱心に板書をしています。教室にいるたった一人の「生徒」に教えるために。

 その生徒、 周治はボクの同級生です。ボクよりも大柄で、顔つきもふてぶてしく、なんとも言えない迫力を体から発散している。制服のズボンは標準よりちょっと太め。周治は学内でも有名なやんちゃ君で、ボクの唯一の親友でした。

 

 「沼田、勉強教えてくれよ」

 

 周治からそう頼まれたのは、中学3年生の10月でした。

 最初の質問にお答えする前に、しばらくボクと周治の長い物語にお付き合いください。

 

♠「ザ・やんちゃ君」周治との出会い

 周治とは小学校は別々でしたが、地元の中学に入った時に同じクラスになりました。12歳にしてすでに彼の名前は轟いていて、ただならぬオーラを周囲にまき散らしていました。強面で恐れられる一方、子分も日に日に増えていくような感じでした。あまりにその空気感がスゴイので、ボクも最初は距離を置いていました。

 しかし、ボクもそれなりにやんちゃだったのです。ある日、教室の中で周治と一対一のケンカになりました。何が理由だったのかまったく覚えていません。ショックだったのは、ボクの渾身のパンチが周治にほとんど当たらなかったことです。その代わり彼のパンチがやたら痛かったことは覚えています。殴られた顔の腫れは2、3日引きませんでした。

 しかし不思議なもので、それ以来周治とは何となく仲良くなりました。

 

♦「沼田とだけは話ができる」

 周治は授業中すぐプイと出て行ってしまうし、ムカついたら教師にも遠慮なく突っかかっていくような札付きのやんちゃでした。先生にとっては頭痛のタネだったでしょうが、一本筋の通ったところがあり、弱い者や下級生をいじめるようなことはしなかった。やりたいことをやりたいようにやるのが彼のポリシーで、先生だろうが先輩だろうが、納得いかなければキッチリものを言う。相手によって態度を変えることがない。意味もなく群れるようなこともしない。だからボクも好きだったし、一般生徒にも割と人気がありました。その代わり、敵もやたら多かったと思います。

 ボクはといえばマイルドなやんちゃ君で、先生の受けはよくなかったけど、目をつけられるほどワルいことはしませんでした。周治とは格が違うので、学内ではそれほど目立ってなかったと思います。そんな二人が中学2年の終わりごろからベタベタとつるむようになりました。

 「沼田とだけはまともに話ができるからなあ」と周治はよく言っていましたが、それはボクも同じだった。周治とは結局中学の3年間同じクラスで、「偶然だねえ」と笑い合っていましたが、実は「周治がおとなしく言うことを聞く相手は沼田だけだから、クラス分けで2人を離すな」という先生たちの暗黙の了解があったと、ずっと後で知りました。

 

♥親友の突然の言葉に驚く

 そんな周治が3年生の秋、突然ボクに言ったのです。

 

 「オレM高受けたいんだけど、お前どう思うよ? 行けっかな?」

 

 ボクは驚いて周治の顔をまじまじと見てしまいました。


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(2016年8月22日 10:00)
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