自民党の教育再生実行本部高等教育部会が、国立大学の定員削減を盛り込んだ提言(>>PDF)を発表した。少子化にもかかわらず、2004年の法人化以降、国立大学の定員は横ばい状態で、定員削減に踏み込んだ提言は初めてだ。優秀な学生層を集めて研究に力を注ぎ、「世界と競争する国立大学をつくれ」という。部会の主査を務めた元文科相、渡海紀三朗氏に改革への思いを聞いた。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈、撮影・秋山哲也)
■やるべき改革をやってない
――国立大学が法人化されて15年目を迎えた。国立大学とは何か、法人化とは何かを考えたい。法人化は「失敗だ」という学長がいれば、「必然だった」とみる学長もいる。
渡海 今回、座長を引き受けるにあたって、大学の歴史の本を読んだ。天野郁夫さんの「大学の誕生」など4冊だ。3冊半ぐらいで挫折したが......。それぞれの大学に目的があり、それぞれの歴史を背負って今に至る。京大はすべて東大の3分の2にするとかね。それを踏まえて今後のあり方を議論したかったからだ。
まず苦言から。「法人化が失敗」などと結論を出せるほど、国立大学はやるべき改革をやっていないじゃないか。やってから、言ってもらいたい。そもそも、そんな下らないことを言っている時ではないだろう。運営費交付金の減額に逃げ込み、それを口実にやるべきことをやっていないのだ。交付金が減少していくのは、国家的な理由がある。「2006」をみればわかる。
国立大学協会(会長=山極寿一・京都大学長)は甘えている。先日、議員連盟と国大協との会合があった。自分たちの都合のいい資料ばかり出して説明をするな、と怒った。
――「2006」とは、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006」か。確かに、国立大学の運営費交付金については効率化ルールを徹底し、各年度の予算額は対前年度比1%減と明記されている。
渡海 はっきり書いている。運営費交付金を減らされたのは法人化のせいではない。状況ははっきりしているにも関わらず、交付金が減ったから改革ができないなどと、そんな短絡的な思考をなぜするのか。
――国立大学は法人化以降、次々と改革を迫られてきた。今回の提言はさらなる改革を求めている。問題意識、危機感を聞きたい。
渡海 日本の大学は世界の中で存在感を失いつつある。たとえば、大学ランキング。悔しかったら上げてみろ、と言いたい。このままじゃ、日本の科学技術が危ない。イノベーションの核となる大学の力が発揮されていないからだ。それが、提言をまとめる一つの理由になった。
一方で高等教育無償化の議論も始まった。多額の税金を投入することになるのだから、高等教育の内容と、人、組織、両方に質を求めなければいけない。今の国立大学は、イノベーションを起こせるような体制になっていない。
――論文の大半は国立大学から出ている。
渡海 書けばいいというわけではない。トップ10に入らなければだめだ。それには人材だ。最近は博士課程に進む人が減っている。最大の問題点は、将来が見えないことだ。
■学生定員は「少なくとも半分以下」
――提言では国立大学の学生定員に踏み込んだ。なぜか。
◆国立大学に関する主な提言
・各大学が自ら「適正な規模」のあり方を機動的に見直していく。
・政府は連携・統合を促していく。
・研究大学について
○世界の研究大学の例を踏まえ、定員、教員、予算の面から、大学院に選択と集中を進めていくべきだ
○私学が担うことが容易でない分野へのシフト、大学院の強化を進めつつ、学部の再編・規模の縮小を実施すべきだ
渡海 規模に踏み込まないのはおかしい。18歳人口が減っているのだから。リカレント(学び直し)もいるが、それだけで解決できる問題ではない。日本の学生の7割以上が私立大学にいる。その私学に定員縮小を求めておいて、国立大学が別格でいいわけがない。
ある有名な東大卒業生が言っていた。1学年が200万人だったかつての時代と120万人の今、同じ定数で取ったら質が落ちるのは必然ではないかと。
研究時間が減ったと言われているが、競争的資金の書類書きの時間ではなく、学生の教育に手間がかかるらしい。それがどうやら真実のようだ。にもかかわらず、国立大学協会の中間報告を見たら「当面規模は維持する」※と書かれていたので、筑波大学の永田学長に、「これはおかしい」と言った。
※国大協「高等教育における国立大学の将来像(最終まとめ)」 規模について「現状程度を維持」と明記されている。
――法人化以降、国立大学の学生定員が横ばい状態なのは事実だ。提言ではまた、研究大学に「定員、予算、教員の面から大学院に選択と集中を」と求めている。
渡海 国立大学は、危機感が足りない。郷愁に浸っているようにさえ見える。これからどんどん子どもが減っていく。大学院と学部の規模を見直さなければいけない。大学院の規模をみると、たとえば米国の私学、ハーバード、マサチューセッツ工科大学、スタンフォードは全体の6割を占めていた。日本は逆だ。学部に比重を置いている。
――具体的にどのぐらいの規模を考えているか。
渡海 座長を引き受けるときに、方向性を示すまでしかできないと言った。時間が足りないのだ。ただ、少なくとも半分以下にすべきではないかと考えている。「3分の1にすべきだ」という声もある。まずは大学自身が自分で考えるべきだ。
――研究大学を大学院大学(学部のない大学院だけの大学)にすべきだと考えているのか。
渡海 そこまでは言わない。大学院中心にした方がいいというところまでだ。全国の学部の優秀な学生を研究大学が大学院で受けとめればいい。
――一法人複数大学(アンブレラ)を発表した名古屋大学に学生定員をどうするのかと尋ねたら、国が方向性を示してほしいと言っていた。
渡海 個々の大学が考えるべきだが、国と国大協が一緒になって考えることでもある。こういう政策にはこういう人材がどれだけいるのか、大学の方がわかっているはずだ。だから提言では「話し合え」と言っている。
――国立大学の数も問題になるだろう。どのぐらいを考えているのか。
渡海 具体案はないが、このままでは、大学数は多いと思う。そのために、国立大学を3分類した。前回の異見交論で、小林喜光・経済同友会代表幹事が「ホールディングス制」について話していたように、名古屋と岐阜みたいなアンブレラの発想はあっていい。九州の大学は一つにすればいいとか。米国に目を転じれば、カリフォルニア大学はそうだ。傘下に7校ある。学長の数を減らせとは言わないが、おのおのが強いところを持ち寄ればいい。太いネットがすでにある。カリフォルニアに比べれば九州は狭いから、移動手段も知れている。学問の種類を変えろ、と言っているわけではない。法人化したのだから、効果的、効率的な経営をしてほしいのだ。
だが、稼げないような学部はつぶせとか、学問をやめろと言うのは違う。学問と経営の問題をごっちゃにするつもりはない。国立大学は、社会的なニーズが少なく、経済的に成り立たない学問でも、学問として残さなければならない。それは国立大学がやらなくてはいけないことだ。そのために税金を使っていただいて結構だ。
■道半ばのガバナンス改革
――提言ではガバナンス改革にも踏み込んでいる。2014年に法律改正をしたのに、なぜまたガバナンス改革なのか。
渡海 一定の成果はあったが、道半ば、不十分だという認識だ。
――一定の成果とは。
渡海 学長選考では、改善が見られた。ただ、いまだに学長が思いきって改革できるような状態にはなっていないというのが、ガバナンス改革をやってきた方々からのヒアリングで出た意見だ。外部理事も入っているが、外部理事は欠席が多いから、わざわざ理事会を欠席者の多い日にする大学もあるそうだ。それでは意味がない。学長人材についても、新しい時代の経営感覚のある人材を育てるような制度が必要だ。ガバナンス改革は、大学改革のスタート台。これが変わらないと、改革は進まない。
評価と情報公開も問題だ。大学ポートレート※? あんなものは大したものじゃない。ステークホルダー(利害関係者)が判断できる情報をちゃんと公開すべきだ。認証評価※? 相対評価はしないと書いている。相対評価しない理由を、ステークホルダーに説明できるか。
我々が進める改革が全て正しいとは言わない。実行本部は総裁直属の諮問機関だ。だから、指示は総理から出してくれ、と伝えている。
※大学ポートレート
国公私立大学等の教育情報を公表するデータベース。2015年3月運用開始。
※認証評価
国内の大学等が7年以内の周期で受けることを義務付けられた評価。文科相の認証を受けた評価機関が行う。2004年度開始。
――ガバナンスを強化して、研究力向上につなげたいということか。
渡海 国立大学は、過去を引きずっている。負債がある。たとえば、年寄りの教授。問題なのは、若手が育っていないことだ。理由は簡単。評価と給与に全然手をつけていないからだ。評価をされること、評価によって差をつけられること、その両方を多くの教授は嫌っている。そんな教授会が学長選に力を持つようになったら、ガバナンス改革などまず進まない。運営費交付金を減らしたのが正しかったかどうか言い切るのは、今の時点では難しいが、結果論からするとああいう圧力をかけなかったら、改革なんて進まなかっただろう。
――研究力向上がイノベーションの核、国の基になると。
渡海 歴史をひもとくと、国立大学は創設期から頑張ってきた。だが最近は、学術会議が防衛研究に携わらないという結論を出したりする。私は反対だ。あなたがたは、全地球測位システム(GPS)を使わないのか。それがいったん、国家の目標に沿うと、すぐに戦争に連れて行かれるみたいな考え方は、化石のような思考回路だ。デュアルユースがなぜいけないのか。そんなことも出来ないでは、基礎研究すら不可能だ。それなら、いっそ研究者をやめればいい。AIで研究したら、どうしたって軍事技術につながるだろう。国が戦争するために働けと求めているなどという間違った考えは、どこから来ているのか。学術会議はいったい、何を考えているのか。研究費が足りないというのなら、防衛がらみであろうが何であろうが、やればいい。兵器を開発しろ、なんて言っていないのだから。
米国では巨額な予算を用意している。そこでは、研究が常に厳しい評価をされ、激しい競争にさらされている。そういう海外の研究者と渡り合い、競争しなければならないグローバルな時代だ。今までと同じように、大学内部にこもってものを考え、出世競争に生き抜ければ自動的にポストがつくようなことで、いいはずがない。国立大学はひたすら過去の郷愁に浸っているように見える。時代は変わっているのに。
――現状を破るための法改正を検討しているとか。
渡海 議員立法で、研究開発力強化法の改正をしたい。科学技術・イノベーション創出の活性化に寄与する法律に変えるのだ。法人化以降、国立大学の足を縛ったままで運営費交付金を減らしてきた。自分で稼げと言っても、これでは稼げない。寄付の問題、持っている土地の利用、株式の扱い、ベンチャーへの投資......。国立研究所と国立大学に関してだけだが、話し合いさえつけば、今国会中に上程できる。公明党とはすでに話がついているが、野党とは、議員立法で落ち着いた話ができるような状態にない。大学、財源の多様化。具体的に法律を変えることで改革を進めやすくする。それが立法府の出来ることだ。
■評価とはいえない評価
――先ほど、評価の話が出た。国立大学には認証評価のほかに法人評価がある。
渡海 評価の仕切り直しをきちんとして、アウトカムを出さなければならない。海外では普通にできることが、なぜ日本ではできないのか。評価を厳しくして、傾斜配分する。法人評価なんて評価じゃない。自分であらかじめ低い目標設定をしていればAになる。目標を高く持てば、評価は下がる。だから低くせざるを得ない。評価をよくするために目標を下げているわけだ。これは絶対に変えなければならない。
――改革の進まない大学には撤退を求めると書かれているが、具体的にどうするのか。
渡海 国立大学法人の解散については法律を定めればできるようになっている。やることをやらなければ、そういうこともありうるというメッセージだ。もちろん私学には手出しできない。ただ、「撤退を求める」であり、撤退命令を出すわけではない。
口出しすると、大学はすぐに「学問の自治」と言う。僕は早稲田大学理工学部の建築で学んだが、学生がバリケードを築き、警察力の排除をした時代だ。ヘルメット、ゲバ棒がキャンパスにあふれ、入試もバリケードの中。入学式は5月1日だった。著名な建築家が来たときに、「神聖な学問の場におまえらは入るな」と追い帰したことがある。同友会の小林さんも似たようなことを言っていた。建築家は怒って帰った。今の学生に、そんなのはいないだろう。大学は被害妄想で凝り固まっている。改革から大学を学問的に守らなければならない、とか。狭い視野でしか物事を見ていないから、そうなる。
■国立大学の三つの役割
――国立大学とは何か
渡海 国立大学の主な役割は三つだ。一つは、大規模な装置を必要とする基礎研究だ。政府が設備的にもサポートする。例えば高エネ研、カミオカンデなど。これは今後もやらなければならない。二つ目は、教育の機会均等を実現すること。だから、全国各地に国立大学がある。三つ目は、国が必要とする人材の育成。かつては国が必要とする人材を育てることが求められたが、今は社会が必要とする人材の育成に変わっている。その意味で、役割を終えたのは、小中高校の先生の育成をする教育大学・教育学部だ。これから子どもの数がどんどん減っていくからで、減らす方針が決まっている。大学の統廃合や学部の再編も、当然あるだろう。
――国立大学への進学者層を見ていると、教育の機会均等になっているのか、疑問が残る。
渡海 進学者の家計収入を見ると、趣旨と現実に乖離があるようだ。1000万円の年収の家庭の子が東大に行っている。家庭の収入ではなく、学生個人に着目した方が公平になる。そこで、卒業後の年収に連動して奨学金の返済額を上下できる制度を提案した。
――私立との格差も問題になる。
渡海 7割の学生が私学にいる。その親が払っている税金が国立大学に行っている。(税金の投入額は)学生1人当たり、私立の13倍もかかっている。それを納税者に説明できるか。差が大きすぎる。政治家だって、今は圧倒的に私学出身者が多い。総理大臣もそう。だからというわけではないが、親に説明ができない状態は看過できない。本当に、これを国民は認めているか。
――それでも、国立大学に税金を投入する正当性は。
渡海 国を支えるには国立大学は過去も未来も必要であり、税金を投入する正当性はある。だが、差は絶対につけるべきだ。でないと、インセンティブが生まれない。改革、よくしていこうというインセンティブが。頑張っている大学には厚く報いるべきだ。ただ、何を持って頑張っているかは、国家が一元的に高圧的に決めるものではない。評価とのリンクだ。それには、情報公開と傾斜配分をもっとやらないと。それを勝ち抜けない大学は国際競争に勝ち抜けない。世界が大競争時代に入っているのに、日本の国立大学だけは競争がなくてもやっていけるなんて、そんなバカなことがあっていいはずがない。
――国立大学に期待している。
渡海 そりゃ、そうだ。おまえらが頑張らなければ何ともならないじゃないか。分厚い知識層、能力のある人材を作るのは、私学も同様だが。とにかく、世界と競争できる国立大学を作れ。改めてスタートを切りやすいように、きつく縛られた足ひもをほどこうとしているのだ。
おわりに
インタビューののっけから、天野郁夫氏の著書「大学の誕生」が出てきて、驚いた。大学改革論議は、ともすると欧米の大学との現状比較に終始しているからだ。それぞれの国の歴史や大学の成り立ちが全く異なるのに、制度だけを移植することは「木に竹を接ぐ」に等しく、「実」どころか「花」すら期待できないと懸念していた。
歴史は歴史にとどまらず、現代に直結している。渡海氏が引用した「京大は東大の3分の2」も、そうだ。運営費交付金の金額をみると、今に至るも「3分の2」のようだ。
天野氏は、明治時代、将来の大学を背負う教員たちを組織的に育てようという意識が欠けていた点を指摘し、「たこつぼ的で分断的な、学者の養成システムを生み出し、学閥をはびこらせる原因となり、その結果として横の連帯感に乏しい学者の世界、学界が作り上げられた」(同書)とも記している。分断の歴史も今に直結している。
それでもなお、時間、空間――縦軸、横軸を存分にクロスさせて改革論議に花を咲かせ、実を結ばせてほしい。(奈)
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