ぬまっち先生コラム48 ボクのアクティブ・ラーニング論(2)

今のクラスでもプロジェクトの「花畑」がだんだん増えてきました(世田谷小で)

沼田 晶弘


第48回 ボクのアクティブ・ラーニング論(2)


 

♣馬を水辺に連れていっても......

 有名な英語のことわざにこういうものがあります。

 

  You can take a horse to the water, but you can't make him drink.

  (馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない)

 

 馬を手綱で引っ張っていくことはできるけど、最後に水を飲むかどうかは馬次第、ということですね。教育を語る時によく引き合いに出されることわざです。教室で机に座らせるまではできても、本当に学びの果実を得ることができるかどうかは、子どもの意欲次第だということです。

 

♥いろんな方法を考えてみよう

 では「馬に水を飲ませる」にはどうしたらいいでしょうか。思いつく限り考えてみましょう。

 

  (1)水をおいしくする

  (2)あらかじめ喉を乾かせておく

  (3)周りの勢いで一気に

  (4)馬を引いてきた人との信頼関係を深める

 

 多くの先生が取るのが(1)の方法ではないでしょうか。水を甘くして「ほら、おいしいよ」と飲ませる方法です。子どもの関心を引くような話題を取り上げたり、教材を面白そうに工夫したり。それ自体は決して悪くありません。しかし、水に味をつけるだけではすぐに飽きられそうだし、そもそも喉が乾いていない馬(子ども)にはあまり効果がありません。

 そう考えると、(2)の方がはるかに効果的でしょう。水辺に連れて行く前に、どこかで運動させてたっぷり汗をかかせるのです。喉が渇いた馬は、何もしなくても自分から水を飲むでしょう。ボクが心がけているのもこれです。

 じゃあ(3)は? みんなで一斉にわーっと行って水を飲むのです。自分は大して喉が乾いていなくても、周りがごくごく飲んでいるとつられるものです。一緒に何かやると楽しいのは子どもに限らず人間の本能。大勢で飲むビールがうまいのと同じ理屈です。(4)は、信頼し尊敬する相手から勧められれば、ちょっと飲んでみようかなという気になるということ。地味ながら、上級生になるほど確かな効果を発揮します。ただし、そこまでの信頼関係を構築するまでには、なかなか時間がかかります。

 

♠水辺に着いてからではもう遅い

 ここで考えてほしいのは、馬がもう水辺にいる場合、つまり授業が始まっている場合、多くの先生には(1)の手段しか取りようがないことです。(2)を行うには授業が始まる前に十分な準備をしなくてはなりませんし、(3)も(4)も先生と子どもの日常的な信頼関係が前提になります。つまり、本当は、授業が始まる前に5割がたの勝負はすでに決まっているのです。

 アクティブ・ラーニングを考える時、忘れてはならないのがこれだとボクは思います。アクティブ・ラーニングという「すばらしい授業手法」があって、チャイムが鳴った後にそれを使えば、教室がたちまちアクティブになるという期待は的外れです。そんな「魔法」はなかなか編み出せません。

 それなのに、つい目の前の「水にどんな味をつけるか」ばかりをあれこれ論じてしまうのが、現場の先生の陥りやすい罠だと思います。「アクティブ・ラーニングの指導書がほしい」というのは、「水に今すぐ味をつけるレシピがほしい」というのとあまり変わりません。

  馬が水辺に到着してからでは間に合わない。本物のアクティブ・ラーニングという花を咲かせるには、種を蒔いたり、芽を育てたりと、ある程度の時間がかかるというのがボクの意見です。

 

♦「アクティブ」に対するありがちな誤解

 子どもたちがやりたいことをさせればアクティブ・ラーニングだろう、というのも単純すぎます。国語や社会の教科授業の中で「さあ、何でも自由に調べていいよ」「自由に議論していいよ」「書いていいよ」と言っても、子どもはなかなか乗ってきません。

 「好きにやらせた方が、アクティブになりやすいのに」と、考えてしまいがちですが、それは授業という「枠」の中での自由に過ぎませんから、子どもの方は「やらされ感」満載です。お寿司が食べたいのに、焼肉屋に連れて行かれて「なんでも好きなもの食べていいよ」と言われるようなものです。そもそも、江戸時代の寺子屋と違って、今の時代は勉強がしたくて学校に来ている子どもばかりではないのです。

 そうではなくて、自分から調べたくなっちゃう、議論したくなっちゃう、作文を書きたくなっちゃうような「状況」を作るのが、ボクにとってのアクティブ・ラーニングです。

 ボクは自分が勉強嫌いだったので、子どもに対しても「どうせ勉強したくないんだろうなぁ」という前提でまず考えます。

 

♣ドラマチック・カップラーメン

 7年前、4年生のタンニンだった時です。「作文を書くのきらい!」と子どもたちが言うので、「じゃ、書いてもいいと思うのはどんな時?」と聞いたら、答えは以下の3つでした。

 

  A よっぽど伝えたいことがある

  B 書いたら何かご褒美がもらえる

  C 何か面白そう、と思える

 

 なるほど。Aができればベストですが、授業で突然やろうとしてもタイミングが難しいし、子どもにとっても「伝えたいことがある時」はそれぞれでしょう。Bも難しいなあ......。Cならいけそう。じゃあ面白くしちゃえばいいじゃん!

 

 そこでやってみたのが、他の本でも紹介した「ドラマチック・カップラーメン」。カップ麺の表面に書いてある作り方の説明(一、フタを半分開けて粉末スープとカヤクを入れる 二、沸騰したお湯を入れてフタを閉め3分待つ 三、フタを開け麺をよくほぐす)を、思い切りドラマチックなラブストーリーとして書いてみよう、というものです。

 作文を書きたくない子どもも、こういうネタなら楽しそうに何枚も書くんです。必死に書き進める子どもの姿は、7年たった今でも鮮明に覚えています。これは国語の授業の枠内ですが、かなりアクティブと言ってもいいんじゃないか? と今でも思っています。

 

 余談ですが、最近、Twitter上で、「村上春樹がカップ焼きそばの作り方を書いたら」という冗談企画がヒットしていることを知りました。これって、ドラマチック・カップラーメンと似た発想ですよね。

 さらに余談。Bは難しいなあとその時は思いましたが、昨年、「世界一のクラス」の6年生たちが「花畑の伝説」で実現しました。そう、コンテスト応募で賞金ゲットです!

 

♥教科の枠をなくすのが理想ですが......

 本当なら、教科の枠を全部取っ払って、毎日面白いことをやりつつ、そこから自然と必要なことを学べるのがボクの理想です。でもそれだと、学ぶべきことの取りこぼしが起きるから、教科はやはり必要なんです。

 そんな中で、子どもに「自分から勉強したい」と思わせるためにはどうしたらいいのか。ボクが小学校の教師になった時から常に考えていることですが、それは、アクティブ・ラーニングの本質を考えることと同じではないか。そんな気が最近しています。

 


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(2016年10月 3日 10:00)
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