沼田 晶弘
第49回 ボクのアクティブ・ラーニング論(3)
♦ボクが歴史の授業の前に教えること
「なぜ、アクティブに学ぶ必要があるのか」を、子どもに理解させるのは難しいことです。
例えば、1560年に織田信長が今川義元を桶狭間で破ったことを学ぶと、将来何の役に立つのか。はっきり言って、役に立つ場面はかなり限られてしまうでしょう。それを「アクティブに学ぼう」と言っても、子どもはなかなかついて来ません。
ボクは子どもに歴史の授業をする時、いつも1時間目は「なぜ歴史を学ぶのか」という話をします。ボクの答えはシンプルで、「歴史は繰り返すから」。誰かが権力の階段を上って、天下を取って、調子に乗って一族繁栄、しかし跡継ぎの出来が悪くて、うまく権力基盤を譲れず、新しい実力者が反乱を起こす、以下繰り返し......みたいなサイクルって、昔から現在まで基本的にずっと変わらないんですよね。人間のサガというんでしょうか、政治や経済の世界にも通じる話です。だから歴史を知ると現在と未来がわかる。こういう話をすると、子どもは結構納得して、授業をよく聞くようになります。
♣意図せずアクティブ・ラーニングを実現?
しかし、それでも長くは続かないんです。子どもの興味は減速していきます。やっぱり勉強よりゲームの方が楽しいという子が多いから。そこで昨年、6年生に仕掛けたのが、このコラムで詳しく書いた「ティーチャー系授業」(第8回〜11回)です。子どものチームが先生になって、他のクラスメートに歴史の授業をするというものです。
その時はただ、子どもが子どもに教えたら、もっと学習効果が高いだろうなぁ、と思って始めたことですが、読売新聞の担当者と話している時に、「それって、アクティブ・ラーニングの要素が全部入っていませんか」と言われて、初めて気づきました。
授業で聖徳太子を取り上げたいとか、織田信長を取り上げたいとかを選ぶのは子どもたちです。彼らは教科書の内容を超えて、大人が読むような伝記やインターネットの情報を駆使して、勝手にどんどん深く調べていきます。授業の進め方はチームでディスカッションして、教材のパワポまで自分たちで作っているし、授業本番では、教える側の子どもと教わる側の子どもとで議論する場面もあります。さらに、子どもが子どものノートチェックをして、そこで出た質問に子どもが答えているのです。
これはアクティブ・ラーニングでよく推奨される「学び合い」そのものでしょう。ボクは子どもと一緒に授業を受けて、取りこぼしがないように時々質問をはさむくらいです。ボクが子どもに一方的に教えるシーンはほとんどありませんでした。
♥勝手に学び合い、協働する関係
子ども同士が教え合うのは「ワードバンク」(第32〜35回)もそうですね。ルパンタイムでは、作文の苦手な子がうまい子から表現を「いただく」ことができます。それによってクラス全体の作文力が底上げされるのですから、子どもの間には競争でなく「協働」の関係が生まれます。「ひらがなプロフェッショナル」(第36〜37回)も同じ原理で、教え合いはあっても競争は生まれません。ボクの好きな「クラス全員が勝者になれるシステム」です。体育の苦手な子が得点王になれる「タッチバスケ」(第20~22回)は、体育でその原理を応用してみたものです。
ちょっと余計なことを言えば、ボクは「学び合い」という言葉も好きではありません。「学び合いをしましょう」とか言われると、やはり何か気持ち悪い......(笑)。結果として「学び合いとしか言いようのないもの」になっているのが、ボクの目指すところです。
♠ゆとり教育の成果はこれから出る
でも、ボクにとっては、これらはアクティブ・ラーニングというより、モチベーションアップを突き詰めて考えた結果です。「どうしたらやりたくなっちゃうか」ですね。
子どものやる気をいかに引き出すかについては、文部科学省が以前からずーっと言っていることです。例えば1989年改定の学習指導要領に登場した「新学力観」や、98年の「生きる力」、あまり評判のよくない「ゆとり教育」は、実はほとんど同じ目的だったと思います。
ちなみに、ボクは「ゆとり教育」の理念は基本的に間違っておらず、「総合的な学習の時間」の成果が、すぐに現れなかっただけではないかと思っています。そんな教育を経験した「ゆとり世代」の真価は、これから社会で発揮されるのではないでしょうか。
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