2020年度から始まる「大学入学共通テスト※」に、民間の英語試験(認定試験)の成績を活用するかどうかを審議していた東京大学ワーキンググループが7月12日、五神真学長に答申を出した。「活用しない」案を最優先とする内容で、答申を受け、五神学長は9月に大学としての方針を発表する考えだ。こうした動きに対し、高校の教育現場から反論があがっている。「授業改革を止めないで」と強調するのは、ユニークな英語授業で知られる東京都立両国高校・付属中学校の英語科指導教諭、布村奈緒子氏。大学での学びを深めるためにも、高校卒業時までに「話す」訓練が不可欠で、今回のような試験の活用は機運を高める好機だという。考えを聞いた。(聞き手=松本美奈・読売新聞専門委員、写真も)
※大学入学共通テスト
高校・大学教育を一体的に見直す「高大接続改革」の一環として始まる。現在のセンター入試を改める形で導入される。このうち英語では4技能(話す・書く・聞く・読む)の評価が新たに盛り込まれる。受験生が事前に受けていた資格・検定試験の結果を「成績」として提出することができる。
■結論ありきの東大WG答申
――東大WGが答申※を出した。(1)活用しない (2)文科省などに説明を受け、納得したら検討する (3)A2レベル以上の結果を出願要件として求めるが、例外も認める――の3提案で、優先度の高い順に並べている。これをどう受けとめたか。
布村 「やりたくない」という結論ありきで、そのための理由をこねているようにしか見えない。今までずっと「東大はなぜこんな2次試験をするのだろう」と疑問を感じていたから、よけい違和感があった。
――答申は、特定の試験成績を受験生に課すことで、多様な学生の確保が妨げられる懸念があるという。そのボーダーを、A2レベルと考えているようだ。A2とは、特別に高い英語力なのだろうか。
布村 全く違う。高2の段階でA2ベルにまで達していてほしいと、私たち英語教員は考えている。答申が引用していた文科省の調査※が示すのは、日本の高校生の理想レベルではない。そもそも、A2ベルに達しない生徒が東大を受けるということはありえない。日本のトップ大学なのだから、B1かB2だろう。各国からの留学生と交流し、英語でのディスカッションもある。そうした環境で学ぶのだ。
私はふだん英語で授業をしていて、英語で十分コミュニケーションがとれ、論文も書けるレベルにして東大に入学させている。もちろん、他教科もオールマイティーにできて、初めて東大だと指導してきた。答申で、英語が苦手な受験生が認定試験で排除される恐れがあると指摘している箇所を読んで、目を疑った。ほかはすごくできて、英語だけできないという学生が東大にいるのか、と。いずれにせよ、こんなことを書かれたら困る。指摘されていることが事実とすれば、日本の恥ずべき現状なのだから。
※答申より
「(文科省が)全国6万人の高校3年生を対象に実施した 2017年度の英語力調査によれば、「聞くこと」「読むこと」「書くこと」については、A2レベル以上が順に33.6%、33.5%、19.7%であり、「話すこと」の調査(こちらの対象は高校3年生1万人)では 12.9%にすぎない。本学への入学を志願する高校生が比較的上位の層に属することは予想されるとしても、この基準をそのまま出願資格に適用すれば、他の教科においてはきわめて優秀であるのに英語だけは苦手な受験生が、その一事をもって最初から排除されてしまう恐れがある」
――恥ずべき現状か。
布村 打開しなければいけない。だから私たちは授業を変えようと頑張ってきたのに、この数字を後ろ盾に、水を差すのか。これほどできない子が多いことを「よし」としていいのか。最高峰の大学の教員の発言とは思えない。
――東大としての方針が決まったわけではないが、こうした意見の存在自体に懸念があるということか。
布村 授業を改善するうえで最大の障害は大学入試だった。国公立の2次試験は「日本語に訳しなさい」「日本語で要約しなさい」「日本語で説明しなさい」という問いが多い。生徒は英語で論文を書けて、ディスカッションができても、うまい日本語訳ができないことに悩む。だから、和訳の授業を高3になってから受験対策として教えている。日本語に置き換えることが本当に英語力なのだろうか。
――英語力の定義を聞かせてほしい。
布村 英語を使って意思疎通ができる力――それが英語力だ。英語を使わなければいけない場面で自由自在に操ることができる力が、本当の英語力だと思う。その定義が人によって違うことが問題だろう。文法や訳文の上手さで判断する人もいる。だが、それは総合的な英語力の一部ではないだろうか。
――布村先生の「英語力」はシンプルだ。英語で英語の授業をする意味は何か。
布村 母語が日本語の生徒は、おそらく日本語で思考しているが、英語でのやりとりに慣れれば、英語のままで受けとめ、英語で返せるようになる。つまり即興性で、日本人に最も欠けていると言われている。学習指導要領で、「英語の授業は英語で」と書かれているのは、まさにそうした現状を打開するためのものだろう。英語を聞いて日本語に直し、自分の考えを英語に変えて......というプロセスをしないでも、英語のまま理解して英語で返せるという即興性のある人を育てたいと考えて作られたのだろう。それなのに、入試で和訳を求める問題がとても多いことが、高校の教育現場に混乱をもたらしている。
■英語で英語を学ぶ
――先生は、授業を工夫していると聞いている。
布村 ペアワークとグループワークが中心だ。たとえば「読解」の授業ではこんなことをしている。教科書の本文を四つに分けて、教室の四隅に張る。各グループは4人で、そのうちの1番の人は、1番の隅に張ってある英文を読み頭に入れる。40人学級なので、隅に10人集まっている。それぞれ自分のグループに戻って、残りのメンバーにどんな話が書かれていたかを、英語で伝える。次に2番の人が2番の隅で続きを読み、メンバーに伝える。それを繰り返す。4人の話をつなげると、全容がやっと見えてくる。
――面白い。自分がわからないとグループのメンバーに迷惑をかけると思うから、必死だろうな。
布村 いろいろなレベルの子がいる。だから隅っこに集まっている時、できない子は必死に読み、わからないとほかの子に支援を求める。できる子も一生懸命、英語で説明する。それでもうまく説明できない場合もあるから、そのグループでは「いったいどんな話なんだろう」と全員に「?」が生まれる。そうなると、俄然、読みたくなるから、「はい、じゃあテキストを開いてみよう」と読ませる。
――なるほど。「?」があれば、乾いた砂地に水が吸い込まれるように英語がしみこむだろう。そのほかの工夫は?
布村 レッスンの終わりは、4人グループでのディスカッションにしている。日本語でもディスカッションをしたことがない生徒もいるから、英語はさらにハードルが高い。だからグループの各人に役割を与える。スピーカーとリスナー、モニター、ノートテーカー。昨日(7月19日)のテーマは、両国高校に入学を希望する14歳の「リョウタくん」への助言。毎日の勉強時間は1時間で、ゲームの時間は3時間。親に言われたから両国を希望していて、友だちにはまだ内緒、という設定。この子にどんなアドバイスをするか、それをディスカッションする。
――どういう進め方になるのか。
布村 まず、リョウタはこういうことをすべきだとスピーカーが主張する。リスナーは必ず質問する、あるいは聞き返す。ピンポンで会話をすることがルールだからだ。モニターはやりとりをチェックし、ノートテーカーはメモをとる。聞き逃したら割って入って、「What did you say?」と問いかける。
■東大英語は何を問うてきたか
――なるほど。ところで、答申では民間検定試験が入学者選抜の資料としてふさわしくないと書いている。それについてはどうか。
布村 異論がある。民間検定では「書く力」を見る際に、意見と根拠を求めている。ほとんどが200~250を超える語数だ。200を超えないと根拠を示した論理的な文章は書けないという前提があるからだ。
●IELTSの出題例
Worldwide, more and more animal and plant species are becoming endangered by human activities.
What kind of activities can lead to species becoming endangered?
What meassures could be taken to reduce this problem?
you should give reasons that support your answer and present any related examples from your knowledge and experlence.
Write at least 250 words.
(IELTS 完全対策&トリプル模試2014)
●GTEC CBTの出題例
Some people believe that corporations should be finanancially responsible for their waste products ――that they should be required to pay extra taxes based on how much waste they generate in the production and sale of their products. Do you agree or disagree?
Write an essay that presents your position on the question above.
Provide at least two supporting arguments using your own knowledge and experience.
Reference information from at least two of the experts listed below to support your arguments.
You should write at least 250 words.
(GTEC CBT公式問題集2015)
――今の東大の2次試験では、大体60~90語で英作文することを求めている。
布村 そうだ。東大も京大も80語程度で、これではワンパラグラフにもならない。私の授業では、200語程度のエッセイライティングを高2までに終わらせ、高3で「入試対策」として80語程度のエッセーを指導している。それでも生徒は困ってしまう。「80語でどうやって一貫性のある文章が書けるのか」と。イントロダクション(導入)もコンクルージョン(結び)も書けない、と。イントロ、ボディ、ボディ、コンクルージョン――書く意図、読み手を意識して、文章を展開する。例示を入れたりもし...。それには、60語から90語では本当は十分ではない。
――今年の東大2次試験は、40~60語で「思うことを書け」だった。
布村 思うとは、何を求めているのだろう。しかも日本語も書いてある。これは英語の試験なのだろうか。東大は、日本語を英語にできる翻訳家を育てたいのか。論理的な思考力とはほど遠い英作文ではないか。東大がアドミッション・ポリシーでうたう「発信力」とは、なんだろうか。
●東大の英語 二次試験
(A)次のシェークスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』からの引用を読み、二人の対話の内容について思うことを40‐60 語の英語で述べよ。
(B)以下の下線部を英訳せよ。
「現在の行動にばかりかまけていては、生きるという意味が逃げてしまう」と小林秀雄は語った。それは恐らく、自分が日常生活においてすべきだと思い込んでいることをやってそれでよしとしているようでは、人生などいつのまにか終わってしまうという意味であろう。
(東京大学2018 入試問題)
――臨機応変さ、創造性、求めている点について、さまざまな解釈が成り立つ。どんな状況でも対応できる力とか地頭とか。そういえば、小さな生き物を手にのせた不思議な写真をもとに英作文するという問題が出されたこともあったようだ。
布村 創造性を、と言うが、創造性を見るのにこの語数だろうか。実は創造性を評価点に入れていないのではないか。公表されていないので言い切れないが。臨機応変とか、柔軟な発想をできる人を、というが、柔軟な発想という項目をどう評価するのか。結局は、正確に文章を書けているかどうかを見ているのではないか。
答申には「自分の述べたいことをはっきりと述べる」と書いているが、それならばTEAPやGTECのほうが、質が高い。受けやすい値段だし。
■「話す」を阻む 心理的な壁
――先ほどアドミッション・ポリシーについて言及していた。東大はアドミッション・ポリシーで、「国内外の様々な分野で指導的役割を果たしうる『世界的視野をもった市民的エリート』(東京大学憲章)を育成」すると書いている。
布村 それがA2レベルでいいのだろうか。厳しいだろう。うちでも中3の半数は英語検定2級を取る。準2級レベルではない。
話す力は入学後に育てればいいと大学側は考えているようだが、どうだろうか。東大に限らないが、両国の卒業生たちは大学の英語教育に失望している。他の高校から入学している学生たちに英語で話しかけると、「英語で会話なんてムリ」と言われるからだ。リスニング試験での点数は上げるように努めていても、話すトレーニングはしていないのだろう。偏差値70を超える集団なのに、これではコミュニケーションが成り立たない。
――偏差値とは何だろう、と改めて考えさせられる。高校生時代から話す練習をしていることに、意味があるということか。
布村 ある程度の年齢になってから、英語で話すよう求めても、心理的なハードルが相当高い。大学に入ってからコミュニケーションを取ろうといっても、壁が分厚くなってしまっていて、解消に苦労する。
いま、日本国内でたくさんの社会人が英語の学び直しをし、英会話にお金を投じている。それは心理的なバリアや壁の厚さに原因があるからではないか。だから中学生、遅くとも高校生で、「間違ってもいいから、とにかく話してみよう」という感覚を身につけた方がいい。年齢が低いほど、ハードルは低くて越えやすいし、高い壁にもなっていない。中学校や高校で「話す」「聞く」をトレーニングした後に、高度なディスカッションを大学でする。
――学生のプライドを考えたら、心理的な問題は負担になりそうだ。それよりは高校生時代のトレーニングの方が、まだしもハードルが低く、結果的に深い学びにつながる。
布村 そういう意味からも、高大接続改革で英語の4技能を問うという設計は、本当にありがたいことだった。願ったりかなったり。その意味で、全国高等学校長協会の意見書※にも納得がいかなかった。
※2017年6月8日に出された意見書
英語の4技能評価について賛同したが、民間の資格・検定活用については懸念を表明。それぞれの試験が別の目的のために作られていることや、多様な経済環境の生徒にとって負担が大きいことなどを挙げている。
――問題は、それぞれ趣旨の違う民間試験を入試に使うことだ。
布村 異論があるのは知っている。現実問題として、レベルのレンジも大きい。例えばA2にしても、点数とレベルの両方を報告させて評価しないと、入試には使いづらいだろう。だが、そういう懸念よりも、4技能が入試に入れば、英語の授業が確実に変わるのが大きい。英語で自在に意思疎通ができる人を育てる、というのは悲願だった。
進学校ですら、英語で授業をすることに躊躇する教員が多い。1番の理由は大学入試だ。「英会話ばっかりやっても合格しない」と。ところが、その入試が変わる。だから教員も変わらざるを得ない。拙速、強行と非難する人がいるのは知っているが、この改革で導入できなければ、20年はこのままだろう。せっかく現場が変わりつつあるので、その動きを止めないでほしい。入試のウォッシュバックは大きい。
センター入試にリスニングが導入されたことで、両国も変わった。当時、授業では訳読しかやっていなかったが、すぐに定期考査の中にリスニングが設けられた。入試が変われば、授業は変わる。スピーキングが入れば、授業のやり方や評価の仕方も考える。
そこで「東大はやらない」となったら、授業改革が止まる。「東大がやらないのだから、やっても意味がない」と。
■東大入試は公平か
――答申は「公平性」を問題にしている※。東大入試は公平なのだろうか、という疑問がわく。
布村 まさにそうだ。たとえば、東大は地方入試をしていない。地方に住む高校生が東大を受験したかったら、東京に来ざるを得ない。これは公平なのだろうか。飛行機代払って、宿泊費払って、東大の入試を受けに来る現実がある。そこを「公平にする」努力をしないで、認定試験を1種類に限定したら門戸を狭めるとは、一体どういうことか。
※答申から
「認定試験を1種類に限定すれば、当該試験を受けていないと出願できなくなるので、結果的に門戸を狭めてしまうことは確実」「複数の認定試験を用いた場合は、異なる実施主体の試験成績を公平に数値化して加点することは事実上不可能であるから、この方式も採用することはできない」
――なるほど。
布村 2次試験の配点もわからないから、結局、予備校業界を潤しているだけだ。こういう配点だろうと、入試問題の模試をつくる。模試を見て、私たちはこういう配点だろうと推測する。予備校が行う東大入試研究会に行って、おそらくこう配点しているだろう、と。再現答案を書いてもらって、そこから推測をする。私たちはそれを知って、生徒に還元する。公表してしまうと、予備校業界の価値が下がるのだろうか。
――東大はどんな学生を育てたいのか、現状からはわからないということか。
布村 入試の問題からは、見えない。たとえばTOEFL。米国の大学で学べる力があるかどうかを見る試験だ。米国の大学は世界から学生を集めている。東大はそういう大学を目指しているので、入るにはTOEFLで●●点なければ、授業にはついてこられないなどと、限定すればいいと思う。現実は「国際的」といいながら、和訳させたり、よくわからない絵を出したり。東大入試は迷走している。何を目指しているのか、この際、きちんと示してほしい。
おわりに
センター試験のリスニング導入は2006年。以来、入試を監督する大学側の不満の一つとなったが、高校の授業変革には寄与した。是非はともかく、入試の力は絶大だ。民間検定を利用する場合の問題点や課題は整理されておらず、東大WGの懸念もわからないではない。一方でグローバル化の波はとどまることなく、今の子どもたちが大人世代とは全く異なる世界に放り込まれるのは確実だろう。「英語で自在に意思疎通ができる人を育てるのは悲願。拙速のそしりを恐れるな」......。応用言語学の知見を生かして授業を工夫し、生徒から高い評価を得ている教員の言葉には説得力がある。(奈)
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