関西学院千里国際高等部卒、ブダペシュト・コルヴィヌス大学(ハンガリー)3年(19年9月時点)
小松 千聖 さん
Komatsu Chisato
私は、中欧のハンガリーという国の首都、ブダペストのブダペシュト・コルヴィヌス大学で国際関係学を勉強している。2年が終わり、9月からは最終学年の3年生だ。
私は小学校6年生から中学校1年生までの約2年間を親の仕事の都合もあり、米カリフォルニアで過ごし、帰国後も大阪の国際系の学校に通っていたので、「大学は海外で、英語で勉強したい」と自然に思うようになっていた。
ではなぜ英語圏でないハンガリーの大学にしたのか。
ハンガリーは物価も安く、充実した奨学金に加え、中央ヨーロッパ、そして大学のあるブダペストが首都という立地など魅力的な条件がそろっていた。そして、公用語はハンガリー語でありながらも、英語で国際関係学の学位を取得できる。ただでさえお金のかかる大学留学で、学費免除や生活費補助が出るのはとても魅力的だった。
しかしそれ以上に大学の環境が私の学びたいことにあっていた。奨学金の枠は日本やヨーロッパだけでなく、カザフスタンやベトナムなどアジアの国々やアフリカの国々にも多い。そのおかげもあり大学の英語コースは半数以上が留学生。ちなみに私の学科は4分の3が留学生、そして毎学期ヨーロッパ内外からの交換留学生が来る。きわめて国際的な環境だ。他の言語が飛び交うのは当たり前だし、文化や宗教が違うのも当たり前、母国語ではないけれど、英語が共通語という環境こそ、生の国際関係が学べるように思えた。
実際、クラスでは多様な意見や経験を聞く事ができるし、逆に日本人としての意見や経験を聞かれるなど日々刺激を受け、視野が広がった。クラスの外でも、コソボ人の友達から紛争の話を聞いたり、友達からハンガリー語やベトナム語を習ったりと常に新しい発見がある。
また、ハンガリーは共産主義政権だった歴史を持つ国で、冷戦時はソビエト連邦の影響を強く受けていた。教授達にはその時代を生き抜いてきた方々もおり、国際関係史や比較政治経済の授業は当時の様子や経験談を交えて教えてくれる。当時西側で、バブルだった日本とはかけ離れた状況に驚いた。今まで普通だと思っていた事がことごとく壊されていくことはショックもあるけれど、面白いと思えるようになった。
大学という大きな進路選択に、あえてなじみの少ないハンガリーを選んだことに最初は不安こそあった。しかし今では、多様な環境で生の国際関係を感じ、学び、いろいろな国の友人ができたことはとても貴重な経験で、私の世界が広がったいい選択だったと思う。最終学年も気を抜かず日々新しいことを吸収していきたい。
ブダペストの聖イシュトヴァーン大聖堂の展望塔で友人と(写真左端)=本人提供 |
ブダペシュト・コルヴィヌス大学
前身は1920年に設置された王立ハンガリー大学経済学部。ハンガリーの首都ブダペストにある。1953年、カール・マルクス経済大学に改称。1991年、行政大学と合併してブダペシュト経済行政大学(BUESPA)に改称。2003年、園芸大学と併合して現在の大学名となった。学生数は約1万5千人。
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