異見交論63 国は、国立大学に矛盾を押し付けるな 島田真路氏(山梨大学長)

島田真路(しまだ・しんじ) 1952年、京都生まれ。東京大学医学部卒。米国国立衛生研究所(NIH)などを経て、2015年から山梨大学長。

 「国民益にかなう国立大学」への脱皮を前回異見交論で打ち上げた自民党行政改革推進本部長の塩崎恭久氏に対し、山梨大の島田真路学長が同大公式サイトで反論を加えた(>>PDF)。「学長選挙での意向投票はご法度」「学長選考会議の3分の2は学外委員」といった提言の実効性を疑問視し、2004年の国立大学法人化以降の国による大学改革自体を「改悪」と断じている。「国は矛盾を押し付けるな」と厳しく批判する真意を、改めて尋ねた。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈、写真も)


 

■学長選挙は必要だ

――なぜ公式サイトに反論を掲載したのか。

 

島田 国大協(国立大学協会)に「反論するんですよね」と尋ねたら、「そのつもりはない」と。政治家にものを言ったらいろいろ問題が生じる心配があるから、黙っているのだろう。しかし放っておけば、このまま「骨太の方針」に盛り込まれる可能性が極めて高いと考えた。

 

――国立大学法人法では、学長が選んだ委員による学長選考会議が次の学長を選ぶことになっている。法人化に際して、学長に権限を集中させるために作ったシステムだ。意向投票について規定はない。なぜ意向投票が必要だと考えるのか。

 

島田 意向投票をやらずに、どうやって決めるのだ。学長が神様だったらそれでいい。だがそうではなく、長所も短所も抱える人間だ。とすればやはり、学内で一番尊敬され、みんなが従うリーダーがなるべきではないか。国は、矛盾に満ちたことを国立大学に押し付けてくる。

 

――意向投票のトップがそのまま、「学内で一番尊敬され、みんなが従うリーダー」を意味するのだろうか。

 

島田 少なくとも、大学の構成員の意思ではある。確かに、法人化前は選挙のみで決まっていたので、多数派工作がまかり通っていた。それに関しては、塩崎氏の指摘は当たっている。医学部と工学部の構成員が多いから、多くの大学では、そこで決まってきたと。その通りだ。本当にいい人がいても、数の論理では、なれなかったのは事実だ。

 今は、学長選考会議が選ぶ。山梨大の場合、学外委員、学内委員が6人ずつ。そこで私も選ばれた。実は投票では、教育学部と工学部の連合軍ができて、私の母体の医学部よりも票が多かったから、負けた。けれども選考会議が、私とほかの候補者をそれぞれ面接し、私を選んだのだ。

 

――そんな経緯もあるのに、なぜ意向投票を必要だと考えるのか。

 

島田 選考会議のメンバーは学長が選ぶ。従って、学長の意見しか反映しない。権力を集中しすぎると、独裁者が生まれる恐れがある。独裁者を作らないためには、意向投票が必要だ。それもなく、仮に「学外選考委員を3分の2」にしたら、どうなるか。そして医学部出身者が、自分の患者ばかりを学外委員にしてきたら、どうなるか。誰も逆らえない。事実、ある大学では問題になっている。学長を独裁者にしてはいけない。独裁者が正しかった歴史はこれまでになかった。一定の制限は要る。

 

 

■単年度主義

――塩崎氏の発言に同意している部分もある。ただ、国立大学の社会的な責任は認めつつも、アメリカや中国に水をあけられている現状について「責任があるのは国立大学だけでなく、30年間も経済を停滞させた政府/財務省の失政にもよる」とも書いていた。

 

島田 塩崎氏の主張の全体的なトーンには異論がないし、分析も当たっていると思う。特に日本の現状に対する強い危機感には共鳴する。GAFAだとかBAT、アメリカと中国には、大きな差をつけられていることは否めない。覇権争いを展開する米中に対し、 日本は完全に場外だ。企業でも、頑張っているのはどこか。ゼロだ。国大協の学長を見渡しても、そうした危機感を持っている人が一人もいないから、塩崎氏が何を言っているのかわからず、反論もできないではないか。私は切実な思いで、反論を書いた。日本の立て直しのために何をしなければならないか。根底にある思いは、全く同じだ。

 だが 残念ながら、学長の選び方を変えたり、病院長の選び方を変えたりしたら良くなるなんて話ではない。そんなことで、日本が良くなるわけがないだろう。あえて言うが、国立大学の経営をきちんとできる企業人は、どこにいるのか。

 

――日本の「サラリーマン経営者」にできるわけがないと書いていた※。

 

島田 日本は、傷んだ企業ばかり。そんなところから人を連れてきて、どんな国立大学にしようというのか。この10年、海外留学に出る学生も、博士号に挑む意欲のある学生も少なくなっており、危機感を募らせている。特に山梨は、アメリカと戦うぞ、とか世界に伍していくという学生が極めて少ない。東大や京大も、そう変わらないのではないか。みんなが意気消沈しているのだ。

 

※島田氏の意見書より

「教育・研究の経験のない我が国の企業経営者、 特にサラリーマン経営者が複雑多岐な大学組織を束ねて適切な経営を行い、今の国立 大学を立て直せるとは思えない。GAFA や中国の BATH などのような世界的な超一流企 業はなく、国際的な競争でも劣勢になりつつある日本の経済界に、いったいどれだけの 適任者がいるというのか」

 

――文科省の規制について、「過度の規制を撤廃し原則として各大学の自己責任において運営を行うべきといった点については同意できる」と賛意を表明していた。どんな規制を撤廃して欲しいのか。

 

島田 最大は、6年間の中期目標・計画※をうたいながら、実質的には単年度で予算が配分され、評価されることだ。何のための中期目標・計画なのか。国立大学法人評価委員会といっても、評価ができる人がどこにいるのだ。大学改革に関する審議会や会議もそう。国立大学なんて要らないという人ばかりが、大半を占めているではないか。

 

※中期目標・計画

6年間を「1期」として、国立大学法人が達成すべき業務運営に関する目標を文部科学大臣が「中期目標」として定め、公表する。国立大学法人はその中期目標を達成するための中期計画を作成し、文科相の認可を受け、公表する(国立大学法人法)。

 

――確かに、単年度で評価され、そこでの達成状況が次の予算に反映されるのだから、当然、大きな絵は描けない。1年間で無理なくクリアできそうな目標を立て、こなしていくことになる。定員や授業料の自由化については、どう考えるか。

 

島田 授業料を上げたら、受験生が減る。定員については、教育学部は減らす方向にきているので減らそうとすると、今度は教員免許の再課程認定の問題※が起きている。教科当たりの教員人数ががちがちに決められていて、減らすこともできない。大学全体の状況にマッチしていない。

 

※再課程認定

教育職員免許法及び施行規則の改正で、2019年度から新教職課程が開始されるため、2018年4月1日までに認定を受けた教職課程については、再認定を受けなければならなくなった。

 

――つまり、冒頭の「国は、矛盾に満ちたことを国立大学に押し付けてくる」ということか。

 

島田 そうだ。 しかも、お金は来ないし。お金があれば、ポジションは増やせる。GAFAを意識するのなら、例えばデータサイエンスや人工知能の分野を強化するために人を充てるべきだろう。私たちのような地方国立大学には、相当お金を積まないといい研究者は来てくれない。乏しい資金を有効に活用しようとしても、財政単年度主義で、毎年毎年、規制されている。特に人件費については単年度で清算しないといけない。繰り越し金は、人件費については認められないからだ。そうなると、いきおい人を切っていくしかない。必要な人を呼べず、必要な人も切る......。

 

――「人を切る」というのは、定年で退職した人の後を補充しないという理解でいいか。それとも解雇するという意味か。

 

島田 補充しないということだ。皆さん、まだ国家公務員の意識のつもりでいるから、やめさせたら訴えられかねない。そもそも、仕事している人を、単に金がないという理由でやめさせることはできない。

 研究費も足りなさすぎる。運営費交付金から各教員に渡せる研究費が、年平均20万円。20万円で何ができるか。特に科学系の研究はできない。僕らの時代は、2000万円はあった。研究をするなといっているのと同じだ。かといって、クビも切れない。クビを切ったら訴えられるだろうが、政府が助けてくれるのか。

 

 

■研究室ごと「爆買い」する中国

――なるほど、削れるところは削ったということか。

 

島田 もう、削りきった。新しい分野を大きく育てていかなければいけないのはわかっているが、新しい教員を集めることも地方国立大学にはできない。東大や京大など旧7帝大や東工大、筑波大ぐらいなら、大きな額の研究費が外部から来るし、研究者も集まる。だが、それでも大概は任期付きで、それを見た若者は当然、博士になりたがらない。地方は、もっとひどい。

 生き残りがかかっているから、研究不正も起きがちだ。だから、今ここからやり直そうと訴えるのだ。金をどんとつけてほしい。

 

――どこに金があるのか。

 

島田 財務省がそう言っているだけだ。財政再建は終わっている。もし本当に1000兆円の借金(赤字国債)がある破綻寸前の国なら、安倍首相が頻繁に行う外遊や、海外要人の来日の際に拠出される総額何兆円もの資金はどこから出るのか。教育国債を使えばいい。10兆円規模の教育国債で、教育を再興する。

 

――引用論文数で言えば、中国が躍進している。

 

島田 北京大学や清華大学を回ってきた。そこでわかったのは、中国はノーベル賞級のアメリカの研究者を、研究室ごと「爆買い」していることだ。昔からその大学にいた人は、クビにする。そんな荒業が、中国ではできる。中国の教授たちに聞いたところによると、40歳ぐらいで踏み絵を踏まされるようだ。「あなたは研究者として生きていくか、教育者になるか」と。研究者でいるには、高いレベルの論文を毎年、何本出さなければならない、とタスクを課される。研究者なら、自分の分野でそれをやっていくことができるかどうか、計算したらすぐわかる。すごく優秀な人でなければできない。それで研究費も院生もいらない、といえば、その分はお金が浮くから、国はその分を次の投資に向ける。従来の研究室を取っ払って、新しくきた人たちに渡す。中国の論文数が増えた背景にあるのは、そういう現実がある。一方で、中国は毎年、数十万人、あるいはもっと多くの学生を海外に送り出している。

 日本は、爆買いしたくてもお金がない。金の切れ目が、科学の切れ目だ。

 

 

■法人化は改悪

――最後に聞きたい。国立大学とは何か。税金を投入する正当性は何か。

 

島田 法人化は制度改悪だった。文科省の出した改革とは何だ。大学院の重点化とは、何を狙っていたのだ。実際に起こったことは格差の拡大だ。それでも、東大だけでもGAFA級のイノベーションを起こしていたら黙っていた。だが現実には、東大も京大も世界ランキングで低迷している。 国立大学は溺れて、あっぷあっぷしている。それを叩いているのが国、中でも財務省だ。文科省は財務省の言いなりだ。

 国立大学には、それでも日本では一番、研究のポテンシャルがある。国立大学を活性化するしかない。その唯一の頼みの綱の国立大学の手足を縛り、叩くだけ叩いて、兵糧攻めにし、あとは自分でやれ、とは。国立大学は、瀕死の状態だ。

 それでも、今はまだ頑張っている人がいる。だから、今、考えを改めれば間に合うかもしれない。投資して、育てる。それが山梨大学でなくてもいい。そういう人たちを生かす方策を一緒に考えてほしい。大学と政府と財界とで。財界も、GAFAになれなかったんだから、そこを認めて再出発しなきゃダメだ。

 国立大学しか頼れるところはないはずだ。 金も出さないで何とかしてくれと言っても、無理なんだ。

 


おわりに

 「国は、矛盾に満ちたことを国立大学に押し付けてくる」という島田氏の指摘を否定できない。6年間の中期目標・計画がありながら、単年度で評価する意味、教育学部の定員削減と矛盾する教職課程認定......。主体的・自律的な国立大学を実現するはずの制度が、いつのまにか方向性を見失った手かせ足かせとして、現場を疲弊させているだけではないのか。国立大学のポテンシャルを最大化するために不可欠の「規制改革」とは、何か。行革本部の議論に注目したい。(奈) 


vol.62<< 記事一覧 >>vol.64
(2019年1月31日 10:00)
TOP