異見交論62 国民益にかなう国立大学 塩崎恭久氏(自民党行政改革推進本部長)

しおざき・やすひさ 1950年松山市生まれ。東京大学教養学部卒業、ハーバード大学行政学大学院修了。日本銀行を経て衆議院議員に。内閣官房長官、厚労相などを歴任。

 自民党行政改革推進本部が、国立大学法人の改革に本格的に乗り出した。目指すは、日本を「イノベーション大国」に導くにふさわしい教育・研究機関に脱皮させることだという。その目的達成に向け、運営費交付金に頼らない自立した経営体への変貌を掲げるが、そもそも国立大学法人は「利益の獲得」を目指して「自律した経営」ができるような建て付けにはなっていない。法人化して15年、現実と社会的要請のせめぎ合いのなかできしむ国立大学法人に、行革本部はどう切り込み、6月の「骨太の方針」に何を盛り込むつもりなのか。本部長の塩崎恭久・元厚生労働大臣を直撃した。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈、写真も)


 

■日本に活力を取り戻す

―― 「自民党行政改革推進本部の進め方」※を読んだ。「イノベーション大国」としての地位を確立する方策として「国立大学法人改革」が出てくるのはなぜか。

 

塩崎 根底にあるのは、日本の現状に対する強い危機感だ。GAFA※が業界、業態を超えたイノベーションを起こし、我々の暮らしをすっかり変えてしまった。だが、日本発の新しい価値が生み出されているだろうか。日本を代表する自動車産業にすら、グーグルが自動運転で切り込んできている。ダイナミックに世界を席巻する新しいアイデアが、日本から生まれていない。世界から恐れられた企業がかつての日本にはあったが、今は見当たらない。新しい発想を生み出す力が、日本は弱くなってしまったようだ。

 自由な発想で、新しいシステムを体系だって生み出す力は国の活力になり、結果としてあまねく国民の暮らしが良くなる。日本に活力を取り戻さなければいけない。

 

※自民党行政改革推進本部の進め方について(要旨)

・超高齢・人口減少社会でも活力に満ち、イノベーション溢れる国家であり続けるには、あらゆる面で新たな国の形を描くことが必要。

・あらゆる政府の無駄を排し、政府(行政)、すなわち国民負担の水準とその伸びを可能な限り最小化しておくことが不可欠。

・国民の行政に対する信頼の回復。

・抜本的な行政改革をゼロベースから行い、「小さく効率的な政府」「余計なことはせず、必要なことを行う政府」を実現すべき。

・ベストかつ柔軟な官民パートナーシップの実現が肝要。それが「市場の失敗」と「政府の失敗」双方を解決し、我が国が「イノベーション大国」としての地位を確立する近道。

 

※GAFA

Google、Amazon、Facebook、Appleの4大企業

 

――なるほど、日本に活力を取り戻すための国立大学法人改革か。日本の頭脳流出も問題視しているようだが。

 

塩崎 そうだ。なぜ多くの日本人ノーベル賞受賞者が米国に研究拠点を移しているのか。逆に、なぜ日本に研究拠点を移す外国人ノーベル賞受賞者が皆無なのか。このままでは、ジリ貧だ。劣勢を挽回し、新しい価値を生み出すには、まず大学だ。大学から新しいものがどんどん出てきているのが、世界共通の現象だ。シリコンバレーはその典型だろう。トヨタもシリコンバレーに研究所を置いているぐらいだから。

 新しい価値を生み出す人間を育て、最先端の新しい価値を生み出す力は、国立大学にある。2004年に法人化という新しい形態を作り、「非公務員型」で取り組んだが、現状では、大きな花が咲きそうな雰囲気がない。だから、改革だ。

 

――東大や京大など「研究大学」を対象とした改革というイメージか。

 

塩崎 そうだ。差別をしているわけではない。今の国立大学は、全然なっていないと思うのだ。

 

――「小さく、効率的な政府」「余計なことはせず、必要なことを行う政府」と書かれている。国立大学法人は「国立」ではないのだから、国が改革を強いるのは矛盾しないか。

 

塩崎 矛盾しない。国立大学が力を発揮できるようにフレームワーク(枠組み)を変えることが、我が国に必要だ。文科省との関係、報酬体系、資金調達力、運用能力......。大事なのは、国立大学法人が本来の力を発揮するための仕掛けだ。

 例えば、経営と教学の分離。経営のプロが経営をすべきだ。有識者によると、欧米の学長は資金集めがミッションだと聞いた。日本の国立大の学長は、文科省に行って「運営費交付金をくれ」という話しかしていない。全く寂しい話だ。運営費交付金をたとえ今のままに据え置いても、国立大が良くなるかというと、疑問がある。人件費も足りないと聞いている。

 

 

■学長選挙はご法度だ

――その通りだ。大半の大学は定年退職者の補充をしないことで、人件費を削減している。増えているのは、任期付きの教員だ。地方の国立大学では、影響がより顕著に出ている。体力勝負の危機的状況になっている。

 

塩崎 1兆1000億円の運営費交付金をどう配分するか、競争的資金との関係はどうしたらいいのかも見直す必要があるだろう。競争的資金は書類書きばかりに膨大な時間が取られ、使いにくいとも聞いている。

 いずれにせよ、どういう大学にするのか、トップの学長がしっかりしていなければいけない。旧態依然とした学長選挙をやっているようでは、思い切った改革は難しいだろう。学長選挙はご法度にすべきだ。(厚労相時代に)特定機能病院の病院長選挙を、医療法を変えてご法度にした。きっかけは群馬大学の問題*だ。ガバナンス改革が不可欠と考えたのだ。

 日本の病院は院長1人で全責任を負うことになっている。何千人というスタッフを抱えている大きな病院のトップが選挙で選ばれるとは。そんなバカな話はない。群馬大学では、ある医師が何人もの患者の命を奪ったが、この医師が抱えている票がたくさんあった。看護師、事務職員に至るまで。その票が欲しくて院長が文句を言えなかった。特定機能病院の92%が大学病院であり、この改革はイコール大学改革だと直感した。文科省は反対したが、絶対通さないと突っぱねたら、最後は向こうが折れた。大学病院の院長は、選考委員会でどういう基準で選ぶかを明らかにしたうえで、委員会が選ぶ。初めて院長になるという人はダメで、必ずどこかの病院長を経験した人を選ぶこと。その大学と関係ない大病院の院長だった方がいい。それが通った。だから今、特定機能病院の院長選考では、選挙ができない。

 

※群馬大学の問題

群馬大学付属病院で、腹腔鏡手術を受けた患者8人が死亡。執刀は同じ医師だった。この医師が行った別の手術でも患者10人が死亡していた。

 

――国立大学でも導入しようということか。

 

塩崎 法律にすれば、できる。見渡せば、慣例的に学長は医学部と工学部で交代交代といった大学が珍しくない。医学部は病院を抱え、工学部も構成員が多い、つまり選挙の票が多いのだ。学長選考会議※の構成自体から変えなければならない。学外委員を、半数ではなくて3分の2にすべきという意見があるが、賛成だ。社会の声をきちんと反映させなければ。学内票を束ねた、すごろくの上がりポストみたいな学長を置いている余裕は、今の日本にない。血税を使って人材を育成し、研究で成果を出すという重要な使命を帯びているのに、トップが名誉職であっては困る。命がけでやってもらわなければいけないことなのだ。国運がかかっている。その覚悟を持ってもらいたい。

 

※学長選考会議

同数の学内外メンバーで構成された選考会議。「自らの権限と責任により学長の適任者を学内外から選考する」こととされている(国立大学法人法12条)。実際には9割以上の国立大学が学内意向投票(選挙)を実施している。

 

――「私立大学化」も視野に入っているか。

 

塩崎 それはどうか。民営化ではないが、文科省からフリーで、新しい価値を生み出す人材を育成できる大学になってもらうことが大事だ。とりあえず今は、国立大学法人に独自の経営体として独自の路線を進めるようにするため、邪魔なものを排除しよう、その手立てを作ろうとしている段階と理解してほしい。

 

――目標はあるか。

 

塩崎 世界ランキング10位に入る国立大学だ。国立大学が上位にくるような世界ランキングを日本が自分で作る? そんなのはダメだ。「物差しが悪いから順位が悪い」「我々は、本当はもっといい大学なんだ」などという関係者の声をよく耳にするが、そんなわけないだろう。なぜ、東大からノーベル賞受賞者が出て来ないのか。

 

――先ほど、経営と教学の分離を口にしていた。

 

塩崎 研究に没頭していた人が、いきなり経営者になれるわけがない。病院長も同じだ。以前、テキサス州立大学のMDアンダーソンを視察に行った。がんの治療、研究についての世界的な拠点だ。当時の院長は、15年もその職を務めていたが、ゲノム医療についても高度な見識を持っていた。とにかくすごい病院で、でかい。世界中から優秀な研究者を集め、成果を示していた。そういう人を経営のトップに据え、学長は学長で教学をきちんとおさえる。両方なんてできない。

 

――今の国立大学は、教学と運営を学長一人で担っている。それを学長と理事長に分離するということか。理事長を経済界に求めるのか。

 

塩崎 そうとも限らない。米国でも、研究者が途中からマネジメントにコースを変えている。育てなければいけない。研究が得意な人と、マネジメントが得意な研究者と、それぞれの道を作ればいいのではないか。

 

――1法人複数大学が始まる。そこでも、学長と理事長の分離を求めるか。

 

塩崎 当然だ。

 

――ガバナンス改革※に取り組み、国立大学法人法などを改正した。成果は見えたか。

 

塩崎 変わった感じはしないし、国立大学法人が良くなったという話も聞かない。輝く国立大学になるためには、教授会の位置づけを変えただけでは不十分で、経営体として個性ある人を集め個性ある大学になることを妨げる原因は、ほかにもかなりある。

 

※ガバナンス改革

学長のリーダーシップの確立をめざし、教授会の役割を限定し(学校教育法)、国立大学法人の学長選考の透明化等を明記した(国立大学法人法)。いずれも、2015年4月1日施行。

 

■説明責任を果たしているか

――自律した経営体になるには、「どれだけ稼いだか」を可視化する必要がある。だが、現行の会計制度では見えない。

 

塩崎 このままではダメだろう。国民への説明責任を果たせる会計制度になっているのか、疑問だ。透明性と説明責任を具現化するのが、目に見える数字だから。国立大学の会計は減価償却の概念がないとも聞いている。長期的に自律した組織として経営する体制になっていない。当然、コストパフォーマンスの考え方もなかなか生まれて来ない。

 

――稼げない大学はどうするつもりか。法改正して、確かに校地の有効活用もできるようになり、一角を駐車場にして貸したりできるが、田んぼの真ん中に作っても、お客さんはそうはいない。運営費交付金の配分の仕方を現状のままにしていれば、格差は広がるばかりだ。

 

塩崎 渡海(紀三朗・元文科相)さんは、定員削減もやってほしいと言っている。トップではない層にも必要なお金は回るような仕組みを考えなくてはいけない。地方国立大学にも、存在意義がある。

 

――86大学全体の見直しをかけて文科省が打ち出したのが、指定国立大学※だ。

 

塩崎 それを全部の大学に広げたらいい。大多数の大学の手足を縛ったまま、選ばれた国立大学法人だけ規制緩和というのはおかしいだろう。文科省が権限を楽しんでいるだけなのか。なんのために非公務員型の国立大学法人にしたのか。小さい地方国立大学ならば、小さいなりの生き方があるはずだ。私学だと思え、ということだ。その代わり自分で責任を持て。あとは国がどこまで責任を持つかだ。説明責任と透明性はもちろん大事だが、余計な口を出さないというのがいいのではないか。

 

※ 指定国立大学

世界最高水準の教育研究ができる大学として文科省が指定。選ばれた大学には、一定の規制緩和が認められる。国立大学改革の推進役として期待されている。東北、東京、京都、東京工業、名古屋、大阪の6大学が指定を受けた(2018年12月28日時点)。

 

■法人化前よりも強い文科省支配

――国立大学法人化をどう評価するか。

 

塩崎 国立大学関係者に聞くと、単に文科省支配が強くなっただけのようだ。ただ一方で、大学人も脱皮できていないと感じる。相変わらず学長選挙で意向投票をしているなんて、その最たるものだ。意向投票は禁止したほうがいい。禁止すると、学問の自由、大学の自治を冒すと反論してくるだろう。どう決めようと勝手じゃないかと。それは違う。実際に弊害が出ているじゃないか。特定機能病院の場合は、患者の安全まで脅かした。日本の国立大学は世界のランキングで評価が低い。運営もうまく行っていない。国益を考えてほしい。

 

――先ほどもその発言があった。国益とは何か。

 

塩崎 「国益のために研究しているわけではない」なんて言うかも知れない。だが、税金を使う以上、国益にプラスになるようにしないとおかしいじゃないか。納税者に対して説明ができない。国益とは、国民益だ。官僚機構は東大法学部で仕切っているが、発展をとどめている。規制ばかりしている。特に文科省はそうだ。国立大学法人に授業料と定員を自由に決めさせたらいい。それが経営だ。

 法人化して15年、一番抜けていたのは、報酬とセットにした人事評価だ。先日、経済学の東大名誉教授に聞いた。ノーベル賞を取れていないのは、経済学だけだって。日本人も早晩、取れるだろうが、そういう優秀な人材はみんなアメリカに行ってしまうようだ。報酬が3倍ぐらい違うと。評価をしてくれなければ、人間は満足できない。評価は最終的には報酬だ。国立大学では、頑張っている人も、頑張らない人もみんな一緒。そんな所に優秀な人が残るわけがないし、海外から来るわけもない。逆に、「優秀な人が来たら困る」などと考える日本人研究者が大勢いることも容易に想像できる。

 

――授業料と定員を国立大学法人の裁量に任せ、報酬とセットにした人事評価も委ねる。大きな改革になりそうだ。

 

塩崎 話は飛ぶが、公務員にしたって同じだ。公務員の定年を60歳から65歳に引き上げる国家公務員法改正案が今年、出てくるけれど、俺は絶対反対だ。民間が定年延長していないのに、国だけスケジュール闘争のように何年後に65歳に上がりますなんてありえない。福田内閣時にできたが、そこに幹部の公募は目標値を定めろと書いてある。だが、目標値すら示していない。何もしていないのに、定年だけ延長するなんてばかな話があるか。まず能力実績主義の報酬体系にすることだ。

 人事院が出した意見書※には、定年延長と能力評価は同時にやるって書いてあるが、60歳超の職員給与を60歳前の7割、とはおかしい。なんで7割なのだ。継続雇用で言えば民間は3割なのだから。能力評価なしに7割って決めるのは、言行不一致もいいところだ。

 

※意見書

定年を段階的に65歳に引き上げるための国家公務員法等の改正についての意見の申出 能力・実績に基づく人事管理の徹底などが盛り込まれている。(>>PDF

 

――国立大学も同じだと。

 

塩崎 全く同じ。だからまず国立大学でやって、公務員全体に広げる。公務員が出入り自由になって、優秀な人が民間からも来る。垣根を取っ払って、官から民に行く。こうした交流で、全体のレベルが上がる。人の能力のレベルも。最先端のことを知っている人が官にもいた方がいい。もちろん、国立大学法人にもだ。それが国民益にかなう。

 


おわりに

 国が政策を企画立案し、国立大学法人はそれを実施する。必要な費用として運営費交付金が配分される――2004年、そうした建て付けで法人化が行われた。では「国立大学法人」とは何か、「非公務員型」とは何か、主体的・自律的な経営のために国との関係をどう整理すべきか、といった抜本議論を煮詰めることもなく。

 授業料や定員を裁量に任せる、報酬とセットにした人事評価にする、理事長と学長を分離するなど、塩崎氏から明かされた踏み込んだ構想は、国立大学法人法改正にとどまらず、大学のありようを定めた大学設置基準にも大きな影響を与えることは必至だ。これを機に、国立大学とは、いや大学とは何かといった議論を、国中で深めてほしい。2019年が大学維新の年となるよう、祈っている。(奈) 


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(2019年1月 1日 10:00)
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