長野県立上田高校卒、英リーズ大学4年(21年3月時点)
高藤 友依 さん
Takato Yui
自分を一言で表すとしたら、「不完全燃焼」になるだろう。スポーツでも勉強でも何をやっても不完全燃焼に終わることが多く、小学生時代から悩みの種だった。
そんな私は次第に「何か一つ特化した人」に憧れるようになっていた。学問にしても、自分にとって「これ」と言えるものが欲しくなり、高校3年生になると、特定の分野を専門的に学べるリーズ大学への進学を決意した。2016年9月、リーズ大学ファンデーションコース(進学準備コース)に入学、翌年正式に大学へ進学した。チャレンジの日々が始まった。
大学ではマーケティングに重きをおきつつ経営学全般について学んでいる。リーズ大学には、学生が企業でインターンシップを受けられる任意の制度がある。アカデミックな視点で学びを深めた経営学について、実地的な知見を得ることができる貴重な機会だ。
大学のバレエソサイエティ(サークル)チームメートとともに(上段右端)。イギリス各地の大学で行われる大会に参加し、かけがえのない思い出となっている |
以前から地元に貢献したいと望んでいたこともあり、この制度を利用して19年10月から翌20年8月まで長野の企業で働くことにした。大学のプログラムのため、3年生の1年を講義ではなくインターンにあてることができたのだ。
インターン先は、更なる成長を目指して変化の渦中にある会社だった。その成長と変化の過程に身を置く中で、私は次第に人材開発に興味を抱くようになった。会社の成長に貢献するには従業員はどのように学習し、成長する必要があるのか。そして、会社にどの程度の介入やサポートを求めるべきなのかなど、気づけば、そうしたことを考えるようになっていた。
人材管理と開発の重要性は授業などを通して学んできたが、それを自分の経験を通して考えることは臨場感があった。学び、それを実際に活かせることで知的好奇心の高まりを覚えた。ワクワクした。
大学のシンボル「パーキンソン・ビルディング」。晴れた日の外階段はランチを食べる学生で埋め尽くされる。私もそのうちの一人だ |
海外の大学に進学したことから大きな学びもあった。多様性に対する理解だ。
私は日本人だが、母方の祖父母と父方の祖父は韓国出身だ。日本の文化に韓国色を少し取り入れたような環境で育つなか、日本にも韓国にも、どちらにも振り切れない自分は「どっちなの?」という思いが小さいころからあった。
そんな私にとって、忘れられない出来事が大学図書館であった。留学して1か月も経たないころのことで、英語に不慣れなため数学の課題に四苦八苦していた。すると、館内のカフェで一人のクラスメイトと出会った。苦戦していると伝えると、「分からないことがあれば何でも聞いて」と声をかけてくれたのだ。彼は韓国からの留学生だった。
その瞬間、「私は何者なのか」と悩んでいたことを恥ずかしく思った。何者なのかが問題なのではなく、人としてどうあるべきかが大事だということに気付かされた。
リーズ大学の学生約39000人のうち3分の1は留学生だ。多様なバックグラウンドを持つ学生との出会いによって、私は変わった。韓国に関心が募り、インターンシップで日本に一時帰国する前、韓国に短期留学するまでにいたった。これまで会う機会がなかった親戚と会い、食事にも連れていってもらった。もともと親戚が少ない私にとって、そんな経験ができる韓国はとても好きな国の一つになった。自分の殻を破ることができたと思う。
もちろん、日々の暮らしで悩みがなくなったわけではない。ただ、「これ」と思う自分の軸を探すのにこだわり、不完全燃焼に終わった自分を嫌っていた頃とは違う。
今では、自分の不完全さを受け入れ、前に進むことを心がけるようになっている。多様な価値観に出会い、知識を得て、それを活かす楽しさも知ることができた。そして、未来にはまだ見ぬ新しい発見があるかもしれないとさえ思えるようになっている。先の見えないコロナ禍で気持ちが落ち込むことも多い。でも、私は一歩ずつ前進していくつもりだ。
韓国短期留学でマレーシア人の友人とともに(写真左=いずれも本人提供) |
リーズ大学
1831年創立のリーズ医学校と1874年創立のヨークシャー理科大に起源をもち、1904年にリーズ大学として発足した国立大学。指輪物語の作者J.R.R.トールキンが教べんをとっていたこともある。秋篠宮家の次女佳子さまが2017年9月から18年6月まで留学されていた。
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