異見交論21「『臨床五輪』で良医育成」石川和信氏(福島県立医科大准教授)

石川和信(いしかわ・かずのぶ) 福島県立医科大学准教授、内科医。日本医学教育学会シムリンピック・コーディネーター。厚生労働省・医師国家試験委員。54歳。

 人体模型や診療トレーニング機器を駆使し、医師としての臨床スキルの向上を目指すシミュレーション教育。そのスキルを競うユニークな大会、「シムリンピック(シミュレーションメディカルオリンピック=臨床五輪)」(日本医学教育学会主催)※に注目が集まっている。今年7月、新潟大学で開かれた第2回大会では、全国12大学の医学生チームがしのぎを削った。患者に寄り添える実力のある医師を育ててほしいという国民の批判などを背景に始まった取り組みが医学教育をどう変えていくのか。発案した福島県立医科大学の石川和信准教授に聞いた。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈)


 

※シムリンピック

 人体模型や診療トレーニング機器(シミュレーター)や模擬患者を活用して、いろいろな診療場面を設定して、コミュニケーション、身体診察、採血、救急対応、蘇生、外科縫合などの実践的な臨床スキルを競う。昨年7月に初大会。今回は、「マラソン大会でゴールしたランナーが突然倒れた」「腕を切った患者の不安を和らげ、初期治療を行う」(=写真)など6つの課題を設定、医学生3人1チームで各大学の代表が臨床実習の成果を試した。課題ごとに全国で医学生を指導している専門医師教員が審査した。

 

 

――新潟大学での大会を拝見しました。診断や治療に向き合う学生さんの姿は、本番さながらで、強く印象に残りました。

 

石川 どのチームの学生もみんな真剣で、目を輝かせています。ひたむきに患者さんと向き合う医師の養成が国民から求められていると思います。しかし、現実には、医療はどんどん分化、高度化し続けるため、専門家としての能力を追求し続ける――もちろんそれは大切ですが――、どの診療科に進んでも求められる医師としての基本的な教育になかなか手が回らない。その思いが、この大会の根底にあります。

 

――どんな能力を競うのですか?

 

石川 コミュニケーションや、患者さんを診察し、検査データを整理して迅速に診断し、対応する医学生個人の力量に加えて、3人のチームワークやリーダーシップについても評価しています。医療チームワークの評価は、新しい試みで、海外からいらした見学の先生方もびっくりしていました。シムリンピックも世界初の造語です(笑)。

 

 

■臨床教育の限界

――石川先生がシムリンピックを企画されたのは、なぜですか。

 

石川 二つの理由からです。まず、日本の医師国家試験は筆記試験のみで、臨床の技能や態度を問わないことです。その結果、少なからぬ学生が診療現場に対応する能力を獲得できないで卒業を迎えています。

 もう一つは、期間と質を十分に確保できない現行の臨床実習への対応です。これは教員数の少なさが影響しています。

 

――医学部の学生対教員の比率は、日本の大学では最も恵まれていますね。医学部の教員1人が見る学生数は約2人。歯学で4人、薬学で17人ですから(2015年度読売新聞「大学の実力」調査より)。それでも足りないのですか。

 

「救急外来での対応」に取り組む医学生

石川 それでも、欧米に比べると日本の医学部教員数は3分の1とされています。このため、国際水準の医師養成に必要な実践能力を鍛える「統合型教育カリキュラム」が充実できません。低学年から医療チームの一員としてのコミュニケーション能力や問題解決力、使命感を身につける重要な課程です。

 日本では、4年生までは講義中心で、5年生になって臨床実習が始まる大学が大半です。その期間は40~50週と、国際水準の72週以上にはほど遠い状況です。

 しかも、短期間で内科や外科、小児科など20以上の診療科を駆け回ります。患者さんの協力が得られないと、学生は医療チームの一員ではなく、医師の後ろからの見学にとどまることになります。学生全員が指導医の下で診療に参加する機会を得るのは残念ながら、とても難しい状況にあります。

 

――国際的に、医学教育では、患者さんと接する臨床実習が重視されていると聞いています。

 

石川 その通りです。診療現場で患者さんや医療チームに接することができる臨床実習(クリニカル・クラークシップ)の重視は、国際的な趨勢です。2011年、世界保健機構(WHO)が患者安全カリキュラムガイドを公表しました。全ての医療人は、学生段階から患者安全に配慮して医療チームの一員として教育されるべきである、という考え方です。

 さらに2023年以降、国際基準に基づいた医学教育認証評価を受けていない海外の医学部卒業生を米国の卒後臨床研修プログラムに受け入れないことも決定されています。これは、米国で研修できないという個人の問題のみではなく、国際基準にもとる医学教育は国際社会からの指弾につながりかねません。中身のある日本の医師養成の再検討が急務です。

 

――とはいえ、多忙な臨床現場でこれ以上の負担を前提とした教育改革は難しそうですね。

 

石川 けれども、患者さんに負担をかけず、いつでも学べるシミュレーション教育を普及させ、医学生の臨床能力を向上させることはできます。シムリンピックの課題は、いずれも臨床のリアリティに迫るシナリオを実行委員全員で実演しながら考案し討論して作成しました。複数のシミュレータを組み合わせたり、模擬患者さんに加わってもらったりすることで、学生が実際の現場で求められる診療能力と良医としての態度を問う内容にしています。知識やスキルを備えたエキスパートとしてだけでなく、患者さんや家族との信頼関係を築ける医師としての姿勢を含めた臨床能力評価に高めていければと考えています。

 

――シミュレーション教育で培った経験を、現場で生かすのですね。

 

石川 安全な環境で基本的能力を高め、現場で経験を重ねるのです。やはり現場です。良医育成には、「医師は社会が全員で育てる」という共通理解が欠かせません。

 


おわりに

 シムリンピックでは、どの学生も真剣な表情を見せていた。中でも目についたのが、真っ青な顔で「外科縫合」の課題に向かう男子学生だ。聞くと、血を見るのが苦手で卒倒してしまったこともあるという。思い出を苦笑混じりに紹介しつつ、「信頼される医者になりたいのです。そのために毎日、仲間と研鑽を重ねてきました」と力強く語っていた。

 筆記のみの国家試験や、臨床実習を充実できない現場の課題など、大学の壁を越えた共通の課題に取り組み、知恵を出し合い、新たな知を生み出す。医学教育はもちろん、日本の他の学会のありようにも、シムリンピックが大きな波紋を広げてくれるといい。(奈)


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(2015年11月10日 11:10)
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